塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ダービーのある世界は、ある意味で当然ですが

2024-10-05 19:16:26 | 日記

 大リーグは今季、1977年以来となる

 

 ニューヨーク・ヤンキース対ロスアンゼルス・ドジャース

 

 のワールド・シリーズになるかもしれません。

 

 このシリーズでは、「プーマ」のベースボールスパイクを愛用していた、ヤンキースのレジー・ジャクソンが大活躍でした。

 

 どうやら大リーグではこの対戦カードは、本当にあこがれのようですが、これも裏がありますね。

 

 つまり、「ブルックリン・ドジャース」が移転して、西海岸に野球を普及させる

 ナショナル・リーグ対アメリカン・リーグという方法である以上、ドジャースはナショナルにいなければならない

 

 という点です。

 

 現在のJリーグでは、カテゴリーが異なるため、静岡ダービーや埼玉ダービーが実現できません。

 

 一方で大阪ダービーや多摩川クラシコは、ファンの風物詩でもあります。

 

 むしろダービーが常にあること

 

 スペインではレアル・マドリードとアトレティコ・マドリード

 イタリアではインテル・ミラノとACミラン

 イングランドではユナイテッドとシティ

 

 などが、途絶えることなく常に実現しており、これは本当にすごいことですね。

 

 どんな強豪クラブでも

 

 1・レンジャーズ・グラスゴーのような、財務の問題で降格

 2・ユヴェントスのように、審判買収で降格

 

 といような危険性と隣り合わせのためです。

 

 ですから僕たちは、ダービーがある世界を当然のことではない、と思うべきかもしれませんね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ダービーにおける審判の重圧 | トップ |   

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事