塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

柴崎岳をA代表で使えないだろうか

2010-02-16 14:07:27 | 日記
 暴論を承知で言いますが、青森山田高校の柴崎岳を日本代表で使えないものかと考えています。申し訳ないのですが、彼を推す理由は「なんとなく」という非常に曖昧なものです。しかも彼の試合は今年の高校サッカーの決勝戦1試合しか見た事がありません。ですから柴崎を推薦する根拠が僕には無いんです。ですから皆さんからお叱りを受ける事を承知の上で、このブログを書いています。

 僕の柴崎の印象は「時間を読むことができる選手」「ポジショニングの巧さ」のふたつです。

 まず時間を読むという点からお話します。
 先日レコバを一例にしてお話したように、90分闇雲に走るサッカーは現代の過密日程に圧迫されたスケジュールでは、自分の首を締める結果にしかなりません。
 柴崎の場合この運動量ではなく、攻守のトランジションを読む洞察力、今試合の流れがどちらにあり、どういう動きをすれば相手にとどめを刺せるのかという観察力に秀でているような着がしてなりません。

 次にポジショニングについてです。
 テレビの画面でもスタジアムでも、選手の位置取りを常に把握する事は観戦中はとても難しい。例えばボールを奪う為にポジションを半歩横にずらしても、見ている僕たちには到底わかりません。

 でも半歩位置取りをずらすことで相手からボールを奪えることもありますし、試合中絶えず自分の立ち位置を考えていれば、ファウル・トラブルに陥ることもないと思います。つまり試合の風景画自分の頭の中でしっかり把握できていれば、おのずと自分が今やるべきことが見えてくるからです。

 柴崎はまだ10代の選手ですが、このふたつの要素を兼ね備えているような気がしてならないんです。

 もちろん10代の選手、しかも学生をA代表に招集することは無謀でしょうし、仮に召集したとしても学校に多くのメディアが殺到し、学校周辺が混乱する可能性もあります。
 また10代でのA代表召集が、柴崎の将来にどのような影響を及ぼすのか考えると難しいとは思います。20代で彼がスランプに陥れば、メディアは「早熟」という言葉で彼をとりあげるでしょうしね。

 ただ柴崎が稀有の能力を持ち合わせていることは確かですから、柴崎には常に将来の自分を思い描いていて欲しいです。イングランドのように古くからプロが存在する国でも、ドイツ大会にセオ・ウオルコットが召集された際は大きな論争が巻き起こりました。

 やはりキャリアの無い選手を代表で使う事は、相当なリスクがあります。でも時には「大抜擢」の見本のような召集劇が日本にあっても良いのでは。という思いは胸のどこかにあります。
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