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塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

頭領の数が多くても、意味はなし

2016-01-05 10:50:25 | 日記
 維新の会と民主党の統合、自民党からの政権奪取という目論見、僕は機能しないと思います。

 それは掲げるスローガンの有無ではなく、頭領がどちらの代表になるかで必ず不満がもれますし、仮に2頭体制ならばなおさら混沌の形になります。

 リバプールが2000年代初頭

 「トロイカ」

 と呼ばれる同じ状況に陥ったときも同様でした。

 のちに正式な指揮官となりジェラール・ウイエとロイ・エバンスというふたりの責任者が存在した赤き名門の決断は、大きな反響がありました。

 しかし指揮体系がはっきりせず、アレックス・ファーガソン、ヴェンゲルに率いられたユナイテッドとアーセナルのようにはならず、最終的にはウイエ体制になり、カップ戦の優勝を含めて一応の結果は得られました。

 選手としては

 「どちらの指示を優先すべきなのか」
 「戦術、練習内容の確認をどちらに尋ねるべきなのか」

 など、困ったことでしょう。

 イングランドは伝統的に、指揮官はマネージャーと呼ばれており

 選手補強への関与
 アカデミーへの権限
 試合への取り組み、スカウティング

 などを一手に担っています。

 リバプールの判断は、ある種の斬新さがありましたが、一方では伝統的に無視した形となりました。

 日本でも身近な例として2012年のガンバがそうでした。

 セホーンと呂比須体制にあれだけ早く見切りをつけながら、最終的に降格した彼らを見ると、やはり指揮系統の大切さを痛感する形でしたね。
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