塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

ジーコ、その稀有な存在価値

2018-12-24 00:40:02 | 日記
 アントラーズがJリーグ最大の名門であることに、異論を唱える方はいないでしょう。

 しかし、祖の名門ですら、綿密に調査し獲得した外国籍選手が思うように馴染めず、帰国した事例が多々あります。

 それはユヴェントスやレアル・マドリー、バイエルンも同様ですが、彼らもアントラーズも優勝回数が桁外れに多いために、外国籍選手にかかる重圧が相当、という面の他に、馴染めないことがより大きくみえてしまう、という心理的負担もあります。

 そのアントラーズの中でも、やはりジーコは特別な存在で、彼の教義がそのままクラブの訓示となっています。

 僕、イニエスタが将来

 あの獲得が転換期だった
 イニエスタの教義がクラブの骨格

 と讃えられる日が来ると想像します。

 グランパスならばピクシー
 レッズならブッフバルト
 ガンバならエムボマ

 というように、クラブを離れてもその強烈なプレイ、指揮官として優勝を味わった外国籍選手が数多く存在します。

 しかし、レッズがブッフバルト時代の教えを今、活用しているかといえばそんなことはないでしょうし、ピクシーの場合もヴェンゲルと短期でも戦えたことの方が大きかったのでしょう。

 逆に言えば

 クラブの意識を根底から覆したのはジーコだけ
 ファンのほぼすべてが敬意を払う稀有な存在

 という見解は可能と思います。

 大相撲が付け人との関わりに関しての講習を「15分」行ったこと報道されています。

 もし僕がジーコならば

 「人間の根底はそう変わらないものだよ」

 と八角理事長に伝えるでしょうね。

 それだけ、個人の目を開かせることは大変だと思うのです。
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