塚田盛彦のつれづれなるままにサッカー

世界中で親しまれているサッカー。このサッカーをフィルターとして、人間社会の構造に迫っていきたいと思います。

かつてサッカーは生観戦が当然でした

2023-12-04 14:58:30 | 日記

 今はレコード、CDという媒体だけでなく、配信、コンサートと様々な形で音楽、演劇、バレエやオペラと触れ合えます。

 

 しかし、かつて音楽は生演奏でしか聴くことができず、王侯貴族が作曲家を庇護した時代でした。

 

 先日視聴したDVD「ルートヴィヒ」でも、リフャルト・ワーグナーと妻のコジマが描かれますが、このバイエルン王はワーグナーへ異常ともいえる愛着をみえます。

 

 それだけワーグナーの音楽は素晴らしいと考えたわけですが

 

 単なる金の浪費、金庫は空っぽ

 ワーグナーは人間的にふしだらだ(女癖の悪さ、ユダヤ人への嫌悪を隠さない

 

 という周囲ほ批判も大きく、ルートヴィヒへの信頼は揺るいでいきます。

 

 どこかファンタジスタを集め過ぎだと批判された、インテルミラノ時代のマッシモ・モラッティと似ていますね。

 

 録音と映像で記録にできない時代の音楽は貴重でした。

 

 それはサッカーも同様で、生観戦のためにスタジアムに集うことは、日常の嫌な事を解放させてくれる貴重な場所だったに違いありません。

 

 ヨハン・クライフは常に

 

 「美しく勝利せよ」

 「「0-1での勝利より、4-5の敗戦を機能する」

 「ボールを失うな、ボールは疲れない」

 

 と言い続けます。

 

 クライフは裕福な家庭ではなく、サッカーのすばらしさが労働者の疲れをとる効果があると信じていたのではないでしょうか。

 

 ラ・リーガの4連覇とチャンピオンズ・カップ優勝の足跡は、いまでも刻まれていますからね。

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小野伸二が示した皮肉と可能性

2023-12-04 14:27:48 | 日記

 2002年韓日ワールドカップ、小野伸二は3-5-2における「5」の左でした。

 

 厳密に言いますと、3-4-1-2の「1」は中田英寿が一番手であり、彼と同様の適正がある小野を起用するには、左にずらすしかなかったのです。

 

 あの中村俊輔ですら、嫌になるほどこの「不適正」な場所でもがく一方、小野ははたから見ていますと、器用にこなしました。

 

 葛藤はあった

 自分の意見か、代表の利益か

 

 で悩んだと思います。

 

 逆に言いますと、海外でもJリーグでも彼の適正を最大限に活用できる場所はどこなのか。

 

 指揮官とアシスタントコーチは常に模索したのではないでしょうか。

 

 布陣に囚われない素敵な発想

 敵選手とファンも、唸らしてしまう技量のすばらしさ

 

 が小野伸二にはありましたね。

 

 ジーコは初陣のジャマイカ代表戦、ブラジル人らしい発想の4-2-2-2で戦い、国立競技場に詰めかけたファンを喜ばせます。

 

 ただ、当時からすでに4-2-2-2の小僧的欠陥は指摘され

 

 スペイン式の4-2-3-1

 オランダ式の4-3-3

 

 など、両翼に幅をもたせる布陣とのかみ合わせは最悪でした。

 

 小野伸二はあまりに起用、技量がありすぎたこと、これは彼のサッカー人生に皮肉をもたらした印象ですね。

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小野伸二とアシックスの関係を見て

2023-12-04 14:19:33 | 日記

 ナイキもマーキュリアルのように、薄いスパイクを提供しています。

 

 ただ、薄いことが須合感覚とは結ぶ付かないのdしょうか。

 

 小野伸二は学生時代アシックスを履き、プーマの時代もあったと思いますが、プロ生活をナイキとアシックスで過ごしました。

 

 アシックスと契約したのは、前回お話居た

 

 怪我以前の感覚をもう一度、再現したい

 そうすればファンはきっと喜ぶ

 そして自分がプロとしてより高い目標を設定できる

 

 と考えたためと推測します。

 

 アシックスが提唱する「素足感覚」が、小野伸二の気持ちと合致したのでしょう。

 

 アシックスは小野に特別なスパイクを提供しませんでした。

 

 彼同様にナイキから移籍したアンドレス・イニエスタと共同開発した「ウルトラ・レッツア」は、子の名手の体験がふんだんに盛り込まれています。

 

 小野伸二は2007年からアシックス契約選手のはずですが、当時はまだ

 

 選手世尿スパイクの概念が薄い

 アドバイザリー契約が基本

 

 の時代でした。

 

 当時のアシックスは

 

 ファビオ・グロッソ イタリア代表

 三都主アレサンドロ 日本代表

 

 お2選手が広告塔で、アントニオ・ディナターレというセリエA得点王も、小野同様に大きな露出はありませんでした。

 

 もしシグネイチャーという概念があれば、小野モデルを開発したように感じますよ。

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小野伸二の引退に関して

2023-12-04 14:12:40 | 日記

 小野伸二が悔やんでいることがあります。

 

 それは僕たちもそうですし、本人が一番痛感していることでしょう。

 

 2000年のシドニー夏季五輪のアジア予選、フィリピン代表戦とのこと。

 

 レイトタックルにより、小野伸二は復帰すらできないのではないか、と指摘される重症を居ます。

 

 彼はこのタックル以前と以後では

 

 プレイビジョンがまるで異なる

 怪我から復帰して、以前に戻ったという感覚は全くないと漏らします。

 

 怪我の影響をない面に収め

 

 フェイエノールト・ロッテルダムに移籍

 浦和レッドダイヤむんずで、J1ノ友松とAFCちゃんピンズ・リーグで歓喜

 2002年と2006年のFIFAワールドカップ出場

 

 という、素晴らしい足跡を残します。

 

 小野伸二は同世代の選手と、先輩である中村俊輔など、代表の同僚にも恵まれました。

 

 それ以上に素晴らしいのは、小野が怪我の要因となった悪質タックルと、その選手を批判し、激怒、憎悪の感情を見せないことですね。

 

 怪我を負った当初はそう感じたと思いますよ。

 

 ただそれ以上に人間としての器の大きさ、早く復帰してサッカーしようぜと言う心意気が素晴らしい。

 

 そう思うのです。

 

 アシックスは引退後も彼をアドバイザーに起用し続けると思いますね。

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