今はレコード、CDという媒体だけでなく、配信、コンサートと様々な形で音楽、演劇、バレエやオペラと触れ合えます。
しかし、かつて音楽は生演奏でしか聴くことができず、王侯貴族が作曲家を庇護した時代でした。
先日視聴したDVD「ルートヴィヒ」でも、リフャルト・ワーグナーと妻のコジマが描かれますが、このバイエルン王はワーグナーへ異常ともいえる愛着をみえます。
それだけワーグナーの音楽は素晴らしいと考えたわけですが
単なる金の浪費、金庫は空っぽ
ワーグナーは人間的にふしだらだ(女癖の悪さ、ユダヤ人への嫌悪を隠さない
という周囲ほ批判も大きく、ルートヴィヒへの信頼は揺るいでいきます。
どこかファンタジスタを集め過ぎだと批判された、インテルミラノ時代のマッシモ・モラッティと似ていますね。
録音と映像で記録にできない時代の音楽は貴重でした。
それはサッカーも同様で、生観戦のためにスタジアムに集うことは、日常の嫌な事を解放させてくれる貴重な場所だったに違いありません。
ヨハン・クライフは常に
「美しく勝利せよ」
「「0-1での勝利より、4-5の敗戦を機能する」
「ボールを失うな、ボールは疲れない」
と言い続けます。
クライフは裕福な家庭ではなく、サッカーのすばらしさが労働者の疲れをとる効果があると信じていたのではないでしょうか。
ラ・リーガの4連覇とチャンピオンズ・カップ優勝の足跡は、いまでも刻まれていますからね。