前回前々回と、ネット依存について考察されている小寺信良という方のサイトの紹介をしてきた。
小寺氏は「青少年のネット依存を考える」(1)~(7)では、韓国やアメリカ、そして日本のネット依存の実態や研究の状況、そしてネット依存に対する対処法などを、分かりやすく丁寧に解説してくださっている。それによれば、やはりオンラインゲームに依存するタイプと、SNS(twitter,facebook,mixi)あるいはメールやチャット、最近急激に普及したLINEなど新型のコミュニケーションツールにはまっているタイプは分けて考えるほうがよいということだ。後者はコミュニケーション依存あるいはつながり依存とでも呼ぶべきタイプなのだという。
前者のゲーム依存はその性質が、現在すでに取り上げられているアルコール、薬物、ギャンブルなどの依存症ととてもよく似ている。ちなみにゲーム依存症のチェック項目というのを調べてみたら以下のようなものがあった。
◦ゲームに費やしている時間を偽る
◦やるべき事の前にゲームを始める
◦自己紹介をするとき本名ではなくwebネームを使う
◦現実よりもオンライン上の方が感情の起伏が激しい
◦ゲームをしていないと幸福感に乏しく、退屈、空虚な感じがする
◦ゲームによって(具合が悪くなったりなどの)身体的影響や睡眠パターンの変化がある
◦ゲームの時間を削ったり止めると、落ち着かなくなる、感情的になる、悲しくなる、不安になる、イラつく
◦ゲームのための時間をもとに、一日のスケジュールをたてる
◦ゲームをするためにイベントなどを欠席したり早めに帰ったりしたことがある
◦ゲームを中断されると、すぐに動揺する
◦プレイ時間をコントロールできると思っているが、実際やろうとすると切り上げられない
3番目と4番目の項目を除けば「ゲーム」の部分をアルコールやギャンブルなど他の依存他の依存症のチェック項目に置き換えても共通するものばかりなのが分かる。ゲーム依存自体は決して新しいものではない。テレビゲームが登場したのは1980年代で、それ以降この問題は継続的に社会に浸透してきた。ゲームをするためのツールもどんどん変化して、テレビからゲーム機、そして現在はPCや、タブレット、携帯を使ってネット上でプレイをするオンラインゲームが急激に普及して現在に至っている。そしてネット依存の対象がゲームであり、上記のチェック項目の多くに該当する場合はゲーム依存症の可能性が非常に高く、他の依存症と同様に脳がゲームをやりたいという欲求にたいするコントロールを失っているものと思われる。
小寺氏の「青少年のネット依存を考える」によると「クローズアップ現代」で紹介された韓国の場合は、ネット依存者の7~8割がこのオンラインゲームの依存であるという。このコントロール障害としてのゲーム依存症は、不登校や引きこもり、あるいは多額の課金による経済的な問題、そして「クローズアップ現代」でも取上げられていたように、人間的な感情(悲しいとかうれしいとかいう)が理解できなくなるという様々な問題を起す。
だからこのケースは、精神科や心療内科でのカウンセリングや、社会生活に適応できるようになっていくためのリハビリが必要になる。
ただこれも繰り返し書いてきたが、日本ではこと依存症に関しては、患者や家族が治療に取り組むためのネットワークやシステムが、ほとんどできてはいない。前に田辺等先生の「ギャンブル依存症」という書籍を紹介した時に、依存症について田辺先生は「薬物療法や化学療法などの医療にはなじみにくい心の問題だ」という見解を述べておられて、私は実はここが依存症を考える上でのとても大切な点であり、なおかつ急激な社会の変化とともに多様化した心の病の治療を困難にしている大きなポイントのような気がしている。医療の範疇に入らないから、専門家ですらこれらの問題に積極的に取り組もうという人が少ない。そして治療の方法としてはカウンセリングや、患者同士で話し合いをする自助グループへの参加といった、時間がかかる割に患者自身が回復を実感しにくい極めてアナログな方法しか現状では存在しない。
しかしそれでも現代の社会ではこうした問題が決して特異なことなのではなく、もはや自分たちの身近に存在しているという問題意識の共有が最優先なのだと思う。
先日認知症のお年寄りが犯罪などに巻き込まれることを防ぐために、介護従事者や、医療関係者、詐欺などの被害に対応するために法テラスなどの法曹関係者のネットワークが作られたというニュースがあった。同じように依存症の問題についても、様々な依存症に医療や法律の関係分野が包括的に対応できるネットワークや、患者や家族を回復に結びつけるためのシステムの形成が急務なのではないだろうか。
小寺氏は「青少年のネット依存を考える」(1)~(7)では、韓国やアメリカ、そして日本のネット依存の実態や研究の状況、そしてネット依存に対する対処法などを、分かりやすく丁寧に解説してくださっている。それによれば、やはりオンラインゲームに依存するタイプと、SNS(twitter,facebook,mixi)あるいはメールやチャット、最近急激に普及したLINEなど新型のコミュニケーションツールにはまっているタイプは分けて考えるほうがよいということだ。後者はコミュニケーション依存あるいはつながり依存とでも呼ぶべきタイプなのだという。
前者のゲーム依存はその性質が、現在すでに取り上げられているアルコール、薬物、ギャンブルなどの依存症ととてもよく似ている。ちなみにゲーム依存症のチェック項目というのを調べてみたら以下のようなものがあった。
◦ゲームに費やしている時間を偽る
◦やるべき事の前にゲームを始める
◦自己紹介をするとき本名ではなくwebネームを使う
◦現実よりもオンライン上の方が感情の起伏が激しい
◦ゲームをしていないと幸福感に乏しく、退屈、空虚な感じがする
◦ゲームによって(具合が悪くなったりなどの)身体的影響や睡眠パターンの変化がある
◦ゲームの時間を削ったり止めると、落ち着かなくなる、感情的になる、悲しくなる、不安になる、イラつく
◦ゲームのための時間をもとに、一日のスケジュールをたてる
◦ゲームをするためにイベントなどを欠席したり早めに帰ったりしたことがある
◦ゲームを中断されると、すぐに動揺する
◦プレイ時間をコントロールできると思っているが、実際やろうとすると切り上げられない
3番目と4番目の項目を除けば「ゲーム」の部分をアルコールやギャンブルなど他の依存他の依存症のチェック項目に置き換えても共通するものばかりなのが分かる。ゲーム依存自体は決して新しいものではない。テレビゲームが登場したのは1980年代で、それ以降この問題は継続的に社会に浸透してきた。ゲームをするためのツールもどんどん変化して、テレビからゲーム機、そして現在はPCや、タブレット、携帯を使ってネット上でプレイをするオンラインゲームが急激に普及して現在に至っている。そしてネット依存の対象がゲームであり、上記のチェック項目の多くに該当する場合はゲーム依存症の可能性が非常に高く、他の依存症と同様に脳がゲームをやりたいという欲求にたいするコントロールを失っているものと思われる。
小寺氏の「青少年のネット依存を考える」によると「クローズアップ現代」で紹介された韓国の場合は、ネット依存者の7~8割がこのオンラインゲームの依存であるという。このコントロール障害としてのゲーム依存症は、不登校や引きこもり、あるいは多額の課金による経済的な問題、そして「クローズアップ現代」でも取上げられていたように、人間的な感情(悲しいとかうれしいとかいう)が理解できなくなるという様々な問題を起す。
だからこのケースは、精神科や心療内科でのカウンセリングや、社会生活に適応できるようになっていくためのリハビリが必要になる。
ただこれも繰り返し書いてきたが、日本ではこと依存症に関しては、患者や家族が治療に取り組むためのネットワークやシステムが、ほとんどできてはいない。前に田辺等先生の「ギャンブル依存症」という書籍を紹介した時に、依存症について田辺先生は「薬物療法や化学療法などの医療にはなじみにくい心の問題だ」という見解を述べておられて、私は実はここが依存症を考える上でのとても大切な点であり、なおかつ急激な社会の変化とともに多様化した心の病の治療を困難にしている大きなポイントのような気がしている。医療の範疇に入らないから、専門家ですらこれらの問題に積極的に取り組もうという人が少ない。そして治療の方法としてはカウンセリングや、患者同士で話し合いをする自助グループへの参加といった、時間がかかる割に患者自身が回復を実感しにくい極めてアナログな方法しか現状では存在しない。
しかしそれでも現代の社会ではこうした問題が決して特異なことなのではなく、もはや自分たちの身近に存在しているという問題意識の共有が最優先なのだと思う。
先日認知症のお年寄りが犯罪などに巻き込まれることを防ぐために、介護従事者や、医療関係者、詐欺などの被害に対応するために法テラスなどの法曹関係者のネットワークが作られたというニュースがあった。同じように依存症の問題についても、様々な依存症に医療や法律の関係分野が包括的に対応できるネットワークや、患者や家族を回復に結びつけるためのシステムの形成が急務なのではないだろうか。