年明けからネット依存のことについて書いているが、先日UPしたブログへのアクセス数の多さにちょっと驚いた。
本当は家族のネット依存を心配されている方には、このブログでリンクしている小寺信良氏の「ケータイの力学」に目を通していただきたいと思っているが、そちらを読まれていない方のために「ゲーム依存」「つながり依存」「SNS依存」といったように内容を要約していくつもりだった。
これまで書いてきたように、私はダンナのギャンブル依存症と、最初はそういう病気があることも知らずに20年近く付き合ってきた経験から、まずは依存症ありきで話を進めてしまう傾向があることを自戒して、先にこの記事を書くことにした。
依存症を含めて心の問題は、たとえば糖尿病や高血圧のように病気かどうかを数値で表わすことができない。だからまさにケースバイケースだということをまずは頭にいれておいていただきたいと思う。これは長時間ネットをやっているから依存症とは限らないという場合もあるということだ。思春期のこどもたちへの対応がとても難しいということは前にも書いた。闇雲な叱責や、一方的な禁止は多分あまり効果がない。そして双方向での対話が成り立たなくなる(よく心を閉ざすというような表現をされる)と、親としてはなす術がなくなって途方にくれてしまう。
こういう状況で大切なのは、親が子どもの依存に巻き込まれないことだ。親自身が子どもの問題で頭が一杯になって、顔を見ればそのことを持ち出し、子どもの行動を監視したり絶えず干渉したりすると、反対に問題をこじらせてしまう結果にもなる。
それよりもまず子どものネット依存が心配ならば、自身が携帯やネットについて正確な知識を得るように努力することが大切だと思う。たいしてネットの知識がない中高生が、ネットを使うリスクは、依存の問題だけではない。この点について前出の小寺氏のコラム「海外と日本の子供、ネット利用はどう違うか(2)」の中で、アメリカはPFGという団体が次のような活動をしていると紹介されている。
<米国では11月下旬から年末までが典型的なホリデーシーズンだが、この時に子供にスマートフォンやタブレットなどのネット端末をプレゼントする家庭も多い。そこでPFGでは保護者向けに、ただ無条件に端末を与えるだけでなく、その中に誓約書を同梱して、子供が同意すれば使うことができるという活動を行なっている。
例えばPFGが用意しているスマートフォンの誓約書テンプレートには、1カ月に使えるのメール量や通話時間、アプリの金額、利用して良いタイプのWebサービスを書き込めるようになっている。同時に、メールすべきではない条件や、アクセスしてはいけないWebサービスなども、各家庭で条件付けられる>
さらにこの記事は次のように続く。
<重要なのはその次で、子供がそれらのルールに従うのであれば、親も一定の約束をしなければならない
1.過剰反応しない:子供が不愉快な事態に陥っても、それを助ける努力をし、過剰反応しない。
2.新しいことを覚える:子供がクールだと思うことに対して話ができるように、一緒に新しい技術を学習する。
3.手本となる:親のスマートフォンの使い方が子供の手本となるよう、運転中にメールしない、スマートフォンの機能をきちんと学習する、そしてスマートフォンなしで子供と過ごす時間をつくる>
我が家では10年以上前にPCを導入した。頭の固い親が、マニュアル相手に悪戦苦闘している間に、こどもは感覚的にあれこれPCをいじっているうちに、さっさと操作手順をマスターした。昨今は、特に私が携帯を持たないこともあって、もはやAndroidが何なのかWi-Fiが何なのか、こうしてブログを書くにもひとつづつ調べなければならない、ガラケーならぬガラパゴス人間になりつつあるが、わからない機材の操作などは、こどもにやってもらったり、やりながら教えてもらってそれをメモしたりと、OA機器に関しては
明らかに師弟関係になりつつある。
それでも我が家も最初から今のような良好な親子関係であったわけではなくて、子供たちが思春期のさなかに、ダンナのギャンブルや借金や女性問題や、それはもう山ほどあって、だから当然子供たちにも色々なことがあって、そこを乗り越えての今なのである。
上記の誓約書が求めるほど立派な親になれるわけではないが、親が子供が興味を持つことを理解することは大切だと思う。それはただ子供に迎合したり、上から目線で指導や教育をするということではなく、上の誓約書に書かれているように<子供が不愉快な事態に陥った時>つまり何かトラブルを抱えた時に、親に相談ができて、親が解決の手助けをすることができることであり、例えば親も子供もネットで面白い動画や音楽を見つけて「これ面白いよ」と話したりすることのできるような関係性を作るために親も相応の努力をするということなのだろうと思う。
受験勉強をしなければならないのに、つい携帯でゲームをやってしまう。嫌なことより楽しいことに流されるのは人間の性で、前にも書いたが子供自身もそういう自分や、将来に対して強い不安を抱いているかもしれない。その葛藤を、失敗を繰り返しながらひとつづつ乗り越えていくことが人として成長していくことなのであり、つまりは生きていくということなのだと、親もまた子供とともに悩み、学び、戦っていくのだと、そしてもしも失敗があってとしてもある時点までは親は子供を支えてあげるのだと子供にわかってもらうことができれば、そこから道は開けてくるのかもしれない。まあ親であるということはこんな風に、まるで禅の修業をするお坊さんのように、とてつもなく大変なものではあるのだけれど。
余談ですが急増する心の問題に呼応して「カウンセリング・ビジネス」と呼ばれるものも急増してきているということです。カウンセリングは健康保険の適用外のものも多く、高額の治療費がかかるという場合もあるようなので、もしもカウンセリングを受けようと思われるような場合は、まず専門の医療機関に相談をされるか、色々な施設を比較検討されることをお勧めします。
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本当は家族のネット依存を心配されている方には、このブログでリンクしている小寺信良氏の「ケータイの力学」に目を通していただきたいと思っているが、そちらを読まれていない方のために「ゲーム依存」「つながり依存」「SNS依存」といったように内容を要約していくつもりだった。
これまで書いてきたように、私はダンナのギャンブル依存症と、最初はそういう病気があることも知らずに20年近く付き合ってきた経験から、まずは依存症ありきで話を進めてしまう傾向があることを自戒して、先にこの記事を書くことにした。
依存症を含めて心の問題は、たとえば糖尿病や高血圧のように病気かどうかを数値で表わすことができない。だからまさにケースバイケースだということをまずは頭にいれておいていただきたいと思う。これは長時間ネットをやっているから依存症とは限らないという場合もあるということだ。思春期のこどもたちへの対応がとても難しいということは前にも書いた。闇雲な叱責や、一方的な禁止は多分あまり効果がない。そして双方向での対話が成り立たなくなる(よく心を閉ざすというような表現をされる)と、親としてはなす術がなくなって途方にくれてしまう。
こういう状況で大切なのは、親が子どもの依存に巻き込まれないことだ。親自身が子どもの問題で頭が一杯になって、顔を見ればそのことを持ち出し、子どもの行動を監視したり絶えず干渉したりすると、反対に問題をこじらせてしまう結果にもなる。
それよりもまず子どものネット依存が心配ならば、自身が携帯やネットについて正確な知識を得るように努力することが大切だと思う。たいしてネットの知識がない中高生が、ネットを使うリスクは、依存の問題だけではない。この点について前出の小寺氏のコラム「海外と日本の子供、ネット利用はどう違うか(2)」の中で、アメリカはPFGという団体が次のような活動をしていると紹介されている。
<米国では11月下旬から年末までが典型的なホリデーシーズンだが、この時に子供にスマートフォンやタブレットなどのネット端末をプレゼントする家庭も多い。そこでPFGでは保護者向けに、ただ無条件に端末を与えるだけでなく、その中に誓約書を同梱して、子供が同意すれば使うことができるという活動を行なっている。
例えばPFGが用意しているスマートフォンの誓約書テンプレートには、1カ月に使えるのメール量や通話時間、アプリの金額、利用して良いタイプのWebサービスを書き込めるようになっている。同時に、メールすべきではない条件や、アクセスしてはいけないWebサービスなども、各家庭で条件付けられる>
さらにこの記事は次のように続く。
<重要なのはその次で、子供がそれらのルールに従うのであれば、親も一定の約束をしなければならない
1.過剰反応しない:子供が不愉快な事態に陥っても、それを助ける努力をし、過剰反応しない。
2.新しいことを覚える:子供がクールだと思うことに対して話ができるように、一緒に新しい技術を学習する。
3.手本となる:親のスマートフォンの使い方が子供の手本となるよう、運転中にメールしない、スマートフォンの機能をきちんと学習する、そしてスマートフォンなしで子供と過ごす時間をつくる>
我が家では10年以上前にPCを導入した。頭の固い親が、マニュアル相手に悪戦苦闘している間に、こどもは感覚的にあれこれPCをいじっているうちに、さっさと操作手順をマスターした。昨今は、特に私が携帯を持たないこともあって、もはやAndroidが何なのかWi-Fiが何なのか、こうしてブログを書くにもひとつづつ調べなければならない、ガラケーならぬガラパゴス人間になりつつあるが、わからない機材の操作などは、こどもにやってもらったり、やりながら教えてもらってそれをメモしたりと、OA機器に関しては
明らかに師弟関係になりつつある。
それでも我が家も最初から今のような良好な親子関係であったわけではなくて、子供たちが思春期のさなかに、ダンナのギャンブルや借金や女性問題や、それはもう山ほどあって、だから当然子供たちにも色々なことがあって、そこを乗り越えての今なのである。
上記の誓約書が求めるほど立派な親になれるわけではないが、親が子供が興味を持つことを理解することは大切だと思う。それはただ子供に迎合したり、上から目線で指導や教育をするということではなく、上の誓約書に書かれているように<子供が不愉快な事態に陥った時>つまり何かトラブルを抱えた時に、親に相談ができて、親が解決の手助けをすることができることであり、例えば親も子供もネットで面白い動画や音楽を見つけて「これ面白いよ」と話したりすることのできるような関係性を作るために親も相応の努力をするということなのだろうと思う。
受験勉強をしなければならないのに、つい携帯でゲームをやってしまう。嫌なことより楽しいことに流されるのは人間の性で、前にも書いたが子供自身もそういう自分や、将来に対して強い不安を抱いているかもしれない。その葛藤を、失敗を繰り返しながらひとつづつ乗り越えていくことが人として成長していくことなのであり、つまりは生きていくということなのだと、親もまた子供とともに悩み、学び、戦っていくのだと、そしてもしも失敗があってとしてもある時点までは親は子供を支えてあげるのだと子供にわかってもらうことができれば、そこから道は開けてくるのかもしれない。まあ親であるということはこんな風に、まるで禅の修業をするお坊さんのように、とてつもなく大変なものではあるのだけれど。
余談ですが急増する心の問題に呼応して「カウンセリング・ビジネス」と呼ばれるものも急増してきているということです。カウンセリングは健康保険の適用外のものも多く、高額の治療費がかかるという場合もあるようなので、もしもカウンセリングを受けようと思われるような場合は、まず専門の医療機関に相談をされるか、色々な施設を比較検討されることをお勧めします。
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