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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

共通する依存症の性質

2014-01-02 13:57:30 | ギャンブル依存症
明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

昨年の年初にブログのタイトルを変更してこれからはギャンブル依存症の問題に特化して書いていくつもりと書きました。それはこのブログでリンクしている「パチンコ依存症~家族のための情報サイト」の「依存症家族のための掲示板」に日々寄せられる、ギャンブル依存症の人と関わっている人たちの悲痛な叫びを目にするたびに、それがかつての自分自身の姿にだぶって心がキリキリと痛み、せめて何か一つでも自分にできることはないかと考えた結果でした。

しかし日々目にし耳にする出来事の中で、ギャンブル依存症とは直接関係がないにしても、「依存症」という本質的な部分で共通するものがあればそれはやはり言及してもよいのではないかと改めて思うようになりました。

最近アメリカのドラマを見る機会が増えて、アメリカではドラッグや薬物依存がごく身近なものとして平然と語られていることに、ちょっとしたカルチャーショックを受けました。しかもドラッグは高額なものであるために、富裕層にも結構な数の常用者がいるらしい現実にも驚いています。けれど、それでは日本はアメリカと違って、健全で安全安心かというと決してそういうことではないと思います。

確かにドラッグに関しては、日本はアメリカほどの広がりはないかもしれません。けれどその代わりに、すでに患者数が600万人を越えていると言われるギャンブル依存症の問題を抱えています。そして何よりも日本とアメリカの大きな違いは、薬物とギャンブルの違いはあるにせよ、依存症というものへの認識の広がりの差です。昨今、飲酒運転の問題が大きくクローズアップされて、「アルコール依存症」という言葉は、メディアでもしばしば取り上げられるようにはなりました。実は私の身近でも、深刻なアルコール依存症の問題を抱えている人がいるのですが、そのことを彼のごく身近にいる人に理解してもらいたいと思っても、これが容易ではありません。「依存症は脳が依存対象に対するコントロールを永久に失うコントロール障害」だということを理解してもらうことが、ものすごく困難なのです。これは、日本では、一般の人たちに、依存症というものに対する知識や情報が決定的に不足していることが最大の要因だと思います。

前述のアメリカのドラマの中では、さほど知的なレベルが高くない人たちでも、ドラッグで検挙されると、カウンセリングとか、更正施設とか、自助グループ参加とか、薬物依存からの回復に向けたシステムに参加できる仕組みがあることが分かります。それに比べて我が国では、アルコール依存やギャンブル依存は、もはや日常的なものになりつつあるのに、それらからの回復に必要な依存症についての知識や理解やシステムはまったく普及していないし、構築されてもいない。ここに最大の問題があるのだと思います。なぜそうなのかという点になるとこれは大きく政治や経済の問題に関わることになり、論点がずれていくので、また改めて書こうと思いますが、こと依存症という病気に対する認識の低さは、アメリカに比べるとあまりにも遅れていて、むしろそのことに日常的に大きな危惧を覚えずにはいられません。

「薬物」「アルコール」「ギャンブル」に代表される依存症には、多くの共通する性質があります。それは、脳が一度失ったコントロールを取り戻すことはできないから、完全に治癒することはない病気であること、何もせずに放置しておけば病状は進行して、本人や家族の生活を崩壊させ、さらには大きな社会的な問題をも引き起こす病気であること、本人や周囲の人間が、この病気についての正確な知識を理解し、治癒することはないが、依存対象と完全に縁を切るという形で、平穏な普通の生活を取り戻す回復の可能性はあること、ただし真の意味で回復をめざすことができるのは、当事者である依存症の人、つまり本人だけであることなどです。

年頭なので、これまでにも何度も繰り返してきたことをまた書きました。言葉にするととてもシンプルですが、依存者が依存対象と絶縁することは、想像を絶するほど大変なことです。ただそれでも本人が、何とかして人間らしい、少しでも生きる価値のある人生を取り戻したいと心から願うならば、道はあります。回復に至る過程も、薬物もアルコールもギャンブルも、本質のところでは同じだと私は思います。だからこれらの依存について、治療に取り組まれているサイトの解説は、どれも参考になると思います。

そして先日から言及している「ネット依存症」ですが、こちらは上に書いてきた依存症とは若干異なる部分があります。私自身も、現在ネット依存については勉強をしている段階なので、この問題についてはいずれまた改めて書きたいと考えています。