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命がある限り希望を持つということ

ギャンブル依存症の回復に向かうために(1)

2013-04-07 12:04:51 | ギャンブル依存症
1月にGAに参加した時に
GAがギャンブル依存症の人たちの回復のために発行している
「GAギャンブラーズアノニマス ミーティング・ハンドブック」
と「GA【ギャンブラーズ・アノニマス】へようこそ 最初の
90日間」という2冊の小冊子を購入した。

そのミーティング・ハンドブックの表紙にはこう書かれている。
「神さま、私にお与えください
自分に変えられないものを
受け入れる落ち着きを!
変えられるものは変えていく勇気を!
そして二つのものを見わける賢さを!」

私はそもそもこの文言がすんなり理解できるようなら
ギャンブル依存症なんかにはならないだろうと思ってしまったが
そんな風にあっさり断定するのが私の悪い癖で
こういう言葉を理解できるようになることが
ダンナの回復への道筋なのだろうけど
かといって私がしゃかりきになって
「こう考えろ、こう感じろ」といったって意味がない。
ああ、もう面倒くさいなぁ(とまたすぐ投げる)

しかしまあ気を取り直して
「神さま~」はアメリカの神学者ラインホルド・ニーバー作とされている。
GAよりはずっと古い歴史を持つAA(アルコホーリクス・アノニマス
アルコール依存症の人たちの自助組織)の初期のメンバーたちが
この言葉をたいへん気にいり、以降AAによって印刷配布され
広く世の中に知られるようになった。

GAは組織の設立や運営や手法がおおむねAAのそれを参考にしているので
この「ニーバーの祈り」が冒頭に書かれているのだと思われる。
この言葉はGAのサイトのトップページにも掲げられているが
できればこういう簡単な解説ものせておいてほしいものだ。
さらにGAでも初めて参加する人がいるような場合は
こうした経緯やGAで用いられている用語や表現についての
簡単な補足や説明があったほうが親切な気がする。

なぜならこの「ニーバーの祈り」や、ハンドブックにある
「スピリチュアル(霊的)な原理」というような言い回しは
幼時からキリスト教の教えに接し、それを信じて受け入れている人たちと
私たち日本人とでは聞いた時の感じ方がかなり違うような気がするからだ。

繰り返しになるがギャンブルに限らず多くの依存症は
依存する対象に対する自分の欲望をコントロールすることができなくなるし
一生コントロールを取り戻すこともできなくなるという病気だが
まずは自分でそのことを認めるということが
回復に向かうための第一歩なのだ。

そしてそれはギャンブル依存者と訣別せずに共存を選んだ
あるいは選ばざるをえない家族にも
求められることなのだと思う。
病気であるからには治るはずだ、なんとか治そうとやっきになることに意味はない。
しかし「どうせ治らないんだから何をしたってムダだ」と投げてしまえば
病気は進行し悪化し、自分の人生そのものを崩壊させるだけでなく
やがて犯罪などを引き起こし、たくさんの無関係な人たちまでを巻き込むことになる。

だから放置するのでも、開き直るのでも、自暴自棄になるのでもなく
「回復」を目指すことが何よりも大切だし、他の選択肢はない。
「ニーバーの祈り」にある
「自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを!」というのは
つまりはそういうことなのだろうと私は理解した。

「回復のためのプログラム」の1は
「私たちはギャンブルに対して無力であり、思い通りに生きて
いけなくなったことを認めた」とあるのもほぼ同じことを意味する。
まずはギャンブル依存者自身が、自分はギャンブル依存症という
不治の病気であることを認めること
それがすべてのスタートラインなのだ。




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