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癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

クラフト勉強会 自分が楽になる

2016-05-28 14:11:17 | クラフト
クラフト勉強会の5回目は
「あなた自身の生活を豊かにする」でした。

もともとクラフトプログラムの特徴の一つは
「たとえ依存症者が治療につながらなくても、問題行動が減ったり
家族がもっと楽に暮らせる効果がある」ことです。

具体的には自分をほめる
  私って、本当によくやってる
  人間だから間違うこともある。だけど今まで、できることを
  精いっぱいやってきたんだ
  今まで同じ場面を繰り返してきたが、別のやり方がないか
  考えられるようになった
という具合に、自分のいいところや進歩していると思えるところを見つけて
ちゃんと自分で自分をほめてあげるということです。

そして自分にごほうびをあげるでは
思いつく、自分が楽しいと思えることをやってみる。

  昼寝や友人とのおしゃべり、散歩や、ゆっくりお風呂につかる
  読書、家庭菜園やガーデニング、縫物や編み物、映画やカラオケ
  ランチ、美容院やエステ、服や化粧品を買う、旅行など

「本人の問題が解決しない限り、自分のことなんて考えられないし
考えてはいけない」というようなとらわれをやめて
「自分の好きなこと、楽しいこと、やりたいこと」に目を向け
実現できそうなことならば、一つでも二つでもやってみる。

依存症者の考え方を変えるのは、簡単なことではありませんが
まだ「頭がこわれちゃってない」家族なら、意識的に変えることができます。
依存症者は依存対象(薬物、アルコール、ギャンブル等々)で頭がいっぱい
家族は、依存症者の依存症の問題で頭がいっぱいという
依存の二重構造、負のスパイラルから
まずは家族が抜け出すことが大切で
それが家族の回復が重要で有効だと言われる理由です。

すこし前に、新聞の子育て相談に、息子さんのスマホゲーム依存について
相談を寄せられたお母さんのことがニュースになっていました。

一部引用すると


「私は怒りを10倍にして息子にぶつけ、ケンカになる。いつも、この繰り返し」
という状況で、さらに「息子を私の人生から抹消したいとさえ考え」ていて
本人にも直接「こんなクズ、産むんじゃなかった」
との言葉をぶつけているとも書かれている。

回答者の答えは相談者の息子さんへの姿勢について「尋常ではありません」と指摘し
「即刻あなたの心と態度を改めるべき」
「息子さんへの接し方について率直にあやまってください」というものでしたが
今、子どもさんのスマホの使い方について
同じようなバトルを繰り広げているご家庭は結構あると思われ
そうでなくても、長い子育ての中で、思うにまかせないことのほうが多く
「あんなに苦労して育てたのに」「子どもなんかいないほうがよかった」と
思うのは、そんなに特殊で異常なことなのでしょうか。

この相談を見る限り、お母さんは息子さんのスマホゲームのことで
毎回注意をし、小言を言い、叱責し、親子ゲンカになる。
それを際限なく繰り返すうちに次第に「息子を抹消したい」という
まさにドツボのマイナー思考に陥ったもののように思えます。
どうやらご家庭には、息子さんのこと以外でも様々な困難があり
そのストレスや怒りのほこさきが、スマホの問題をきっかけに
すべて息子さんに向いてしまって、どんどん悪化しているように感じました。

クラフトのテキストに、こういう文章があります。

相手を全否定していたらコミュニケーションは生まれません

これは依存症の人に「やさしい態度を取るのはよくないと思いこんでいる人もいます」
というお話の続きです。
「優しくすると認めることになるのではないか」という不安や
「優しくしたらつけあがる」というような過激な考え方もありますが
そうした考え方ややり方が、効果がないばかりか
状況を悪くしていると感じたらやり方を変えてみる、それがクラフトです。

まずはコミュニケーションが取れるように態度や話し方を変えてみる。
すぐにはうまくいかなくても、依存している人の問題から
自分の思考を開放して、まずは自分が少しでも楽に生きることができるようになる。
「なまぬるい」と感じられるかも知れませんが
日々の生活の中で、夫婦や親子がうまくコミュニケーションを取れるようになるのは
結構難しいものです。相当に高度なスキルが必要だと分かりました。

優しくするとなると、配偶者や子どもを怒らせないように
はれ物に触るような対応になる。結果何も言えなくなってしまう。
それはそれでマズいので、相手が何を考えているかを話してくれるようにする。
自分がどうして欲しいのか、何を考えているか冷静に伝えることができるようにする。

とまあ言うは易し、行うは難しではありますが
特に子どもさんのスマホの問題に悩んでおられるような親御さんには
こういうやり方、考え方があることを、頭の隅に止めていていただければ
そしてわが子を「抹消したく」なる前に
だめもとで試していただきたい方法ではあります。



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変化を恐れない

2016-05-19 15:41:02 | 社会・生活
偉そうなタイトルを書きましたが
最近そんな風に感じることがあったので
自戒をこめて、このタイトルで書きます。

5月9日は、5回目のクラフト勉強会でした。
これでテキストの学習はほぼ終わりで
次回の6回目は、全体のまとめになるようです。
体調に大きな変化がなくて、ここまで参加できてほっとしています。

内容については、私が特に「なるほど」と感じたところを中心に
紹介していますので、詳しくお知りになりたい方は
ぜひテキストを入手して、読んでみられてください。

我が家のPCは、デスクトップもノートも
Windows7のOSでした。
けれど新OSの10が発売されて
このところ「無償でアップデートしますよぉ~」という
押し売りというか、ほぼほぼ強制に近い通知が
頻繁に送られてくるようになって
ついに「自動的にアップデートします!」みたいな話に。

さてどうしようと思って、娘に聞いてみたら
「ああ、もう10にしたよ。大丈夫。全然普通に使えるから
心配することないって」といとも簡単に返されてしまいました。
「そりゃ、若い人はそうでしょうよ」と反射的に
思ったのですが、次の瞬間ハッとしました。
「変わるのがいや。慣れたやり方がいい」と思うのは
これはもしかして、頭が固くなっている証拠ではないのか。

私はPCについての専門知識なんか全然ないので
(解説書を見てもあんまり分からないレベル)
PCでトラブルが起きたら、知恵袋で
超初心者でも優しく教えてくれる親切な人たちに頼って乗り切ってきました。
またぞろそれをやるのが億劫なのだと思います。
療養生活になって、エネルギーやバイタリティがなくなってきたのに加えて
やっぱり頭が固くなってきた?ダンナに偉そうなことは言えません。

いつも書いていますが、知識や情報を取り入れるのは好きで
じゃんじゃん情報を増やすのですが、それを上手に整理する能力がありません。
それで頭が固くなってしまったら、頭の中で情報が石灰化して、新種のがんになりそうです。

というわけで、マイクロソフトに強制的にアップロードされる前に
自分でWindows10をインストールしました。
今までIEで使っていたお気に入りの項目を
新しいプラウザに移行するなど、細かい操作はありますが
娘が言ったように、大筋ではお手上げということにはなりませんでした。

最近夜中に、患部に痛みが出るようになっています。
昼間はそれほど感じませんが
どうも寝ているという状態だと、どこかの神経の位置の関係で
痛みが出ているようです。
痛む場所は、わきのリンパのとことか、自壊している患部の一部とか
日によってあちこち変わります。
すこし厄介なのが、ロキソニンがあまり効かないこと。
次の受診日は月末なので、ちょっと先生に相談してみようと思います。

ダンナにあまり何も言わないのもよくないので
痛みの話はしました。
「最初に症状が出てほぼ丸三年だから
痛みが出るくらいのことは想定内。あんまり心配せんでね」と
フォローしておきましたが
このままあと五年とか十年、何事もなく無事などということはありえないので
正確に現状を認識して腹をくくり「変化を過剰に恐れない」は
ダンナにも心がけてほしいことでもあります。できるかなぁ。



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クラフト勉強会 アサーティブに伝えるとは

2016-05-02 16:55:15 | クラフト
クラフトのテキストにはこう書かれています。

「CRAFT(クラフト)のコミュニケーション法は
アサーティブネスの考え方を下敷きにしています」

アサーティブネスって何?ということでググッてみました。

「アサーティブ(Assertive)」の訳語は「自己主張すること」
しかし、アサーティブであることは、自分の意見を押し通すことではなく
自分の要求や意見を、相手の権利を侵害することなく、誠実に、率直に、対等に
表現することを意味する」と説明されていましたが
これではちょっと難しい。

自分の考え方や気持ちを「アサーティブ」に伝えるためには
「お互いの人権を尊重した上で、価値観の異なる人と向き合って
攻撃するのでも黙るのでもなく、粘り強く対話をしていくことが
大切なのです」と書かれていて、こちらのほうがすんなり理解できました。

コミュニケーションがうまくいかない2つのパターンを考えてみました。

一つは「自己主張だけをする人」です。(タイプA)
相手が何を考えているかをまったく考慮せずに
自分の思ったことや、言いたいことを一方的に話す人。
頭ごなしに命令や叱責をする人もこのタイプです。

もう一つは「回りの人の思惑ばかり気にして沈黙する人」です。(タイプB)
こちらは、自分の気持ちを的確に表現できる言葉を持っていない場合もありますが
周囲の反応をあれこれ考えて、自分が言いたいことや
本当は言わなければいけないことまで我慢してしまうような人です。

家庭であれ、学校であれ、職場であれ、タイプAやタイプBの人は
周囲とうまくコミュニケーションを取ることができず
タイプBの人が、タイプAの被害者になって、激しいストレスにさらされたり
タイプAの人が、集団の中で孤立したり、疎外されたりということにもなります。

ですから、アサーティブに伝える技術というのは
これを習得することで「つい部下を口やかましく怒ってしまい
部下に煙たがられている上司」も「上司や先輩に叱られるのが怖くて
自分の希望を何一つ言えない部下」も
うまくコミュニケーションを取ることができるようになるというものです。

この「アサーティブ」が、依存症の問題とどう関わってくるかというと
依存症者の家族は、イネイプリングをしているとか、共依存だとか指摘されて
それまでにやってきた行為(よかれと思ってしてきた尻拭いや監視
小言や叱責)などをやめるように言われます。

すると「イネイプリングをやめること=よけいなことを言わずに黙っていること」
となって「家族は本人に向けて語る言葉を失い、双方の距離が広がる」ことになります。
私は「イネイプリング」とか「共依存」といった心理分析の分野には
あまり深入りしたくないほうなので、そのあたりはよく分かりませんが
長年ダンナに対しては
「何が楽しくて、お金を捨てるだけのギャンブルなんか。馬鹿じゃねえの」と
心の中では軽蔑しきって、さじを投げていたことは事実で
ですから、コミュニケーションが完全に取れなくなっていました。

けれど依存症という病気は
そういう理屈でどうこうできるような病気ではないことが分かって
自分が、こうして学んだ技術を使って
コミュニケーションを変えることで、ダンナの何かが変わるのであれば
それはありかなと思えます。

そして、クラフトの学習会を続けてきて
漠然とですが、感じていることがあります。
それは、依存症の問題を抱える家族に向き合うためには
親子だとか夫婦だとかいう家族の関係や感情とは別に
回復を支える援助者という
第三者的な視点やアプローチが必要なのではないかということ。

「アサーティブ」のほうにあった

価値観の異なる人と向き合って
攻撃するのでも黙るのでもなく、粘り強く対話をしていくこと


多分それが全ての人間関係の基本なのだろうと思います。
そこが失われているからこそ、混沌として、争いが絶えないこの社会の中で
まあ、そんなものはただの理想論だよと言われてしまえば、それまでですが。

しかし、前にも書きましたが、本当に禅かなにかの修業みたいです。
同じ仏教なら、その源泉ともいえる
高村薫さんが「究極のニヒリズム」と表現された
釈尊の教え「全ては無であり、空である」というほうに魅力を感じます。


「人間も、人生も、つまるところは無であり、空であるがゆえに
物欲や色欲や、あらゆる欲望には意味がなく
そういう意味がない欲望に捉われることで人は苦しむんだよ。
もうここいらで悟っちゃえ」なんてダンナに講釈しても
どうなるものでもないことは分かっているので
クラフト勉強会、残り2回がんばります。


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通院日と今の思い

2016-04-27 17:24:07 | 癌のこと
昨日は通院日でした。
ダンナが休みだったので、一緒に行ってもらいました。

今回から新しい先生になりました。
これが、前の先生に輪をかけて優しい、物柔らかな先生で。
患部を診察してもらって
「普段の手当はどうされていますか」と聞かれたので
「出血は少ないですが、浸出液は結構出るので
一日に何回かお湯でふいて、軟膏をつけて、ガーゼを交換します」
と説明したら「ご自分でそれをされるんですか」と驚かれました。

今度のドクターは、外科と緩和医療の先生で
今の病院には乳腺科はないので
乳がんが皮膚を破って表面に出ていて、周辺にも広がっている
私のような症例を見られたのは初めてだったのかもしれません。


「うち以外の病院にはかかられていないのですか」とも聞かれました。
近年国の方針で、がん治療の初期からの緩和ケアが推奨されています。
以前は緩和ケアといえば、治療の手段がなくなって
終末期に受診する医療というイメージが強かったのですが
最近は少し変わってきているようです。

けれどそれも、基本的にエビデンスに沿った
標準治療(手術、化学療法、放射線治療など)を
受けている患者さんの、心や体の苦痛を和らげることが柱になっているので
先生は、他の病院で治療を受けていると思われたようです。

「最初から治らないということは分かっていましたので
それなら、できる限り普通に生活したいと思って、ホルモン剤での治療を希望して
こちらに紹介していただきました」と説明したら、理解してしていただけたようです。

先日の映画「モヒカン故郷へ帰る」の中で
お父さんの肺ガンがわかった時に
ハイテクに強い弟くんが、ネットで
がん治療の権威らしきお医者さんの情報を検索して、お父さんに見せます。

けれど昭和のがんこ親父のお父さんは
チラッと見て「若いな」と。
そして、昔から世話になっていて、将棋仲間でもある
地元の病院の先生にぼそっと「俺、あんたでいいわ」と言います。
パジャマ姿で点滴をぶら下げ、病院の屋上に上がって
嬉々として、向かいの中学校の屋上に並んだ吹奏楽部の指揮をするお父さん。

自分も同じ病気ですから、このお父さんの気持ちがよく分ります。
病気とどう戦うのか、そして残りの時間をどう過ごすのか。
進行したがんで、治癒が望めない場合は
本人と、そして家族の選択に全てがかかっています。
しかも、無治療とか、私のようにエビデンスのない治療を選択した時は
その結果もすべて自己責任になります。
ですから、自分と同じ病気の方に
この選択がいいですよということは絶対にできません。
私の選択は、自分にとって
これがベストではなくとも、結果としてベターだったというだけだからです。

がんの標準治療をされている病院で
エビデンスのない治療を、なかなか承認してもらえないのは
お医者さんの側も、あとあともしも訴訟などになった場合に
それを指摘されると困るという点もあるようです。

最初に症状に気付いてから、もう少しで3年になります。
最近心の中では、とにかくここまで普通の生活をして
がんばってきたから、たとえ病気が進行しても
もうそれほど治療治療とバタバタしなくても
家族も友人も納得してくれるんじゃないのかなあと思い始めています。

弱気になっているということではありません。
なんか「自分それなりにがんばったよなあ」と思えるのです。
もちろんステージ4でも、仕事をされてる方もたくさんおられますから
私なんかは、がんばっているうちには入らないかもしれませんが。

それでも、告知をされてから今日までの2年間
ほぼ毎日チャリで近所のスーパーに買い物に行ってご飯を作り、家事をして
病気になる前とまったく変わらない時間を過ごしました。
だから、もうこのままで自然の成り行きにまかせてもよいのではないかと。
そして、最後の延命治療をどうするかというようなあたりも
家族のためにも、ちゃんと意思表示をしておいたほうがいいんだろうなと。
そうしたことを、家族や周囲の人たちが
少しづつ理解してくれるとよいのですが
どういうタイミングで話せばよいのか、悩ましいところです。


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熊本地震

2016-04-18 14:44:14 | 社会・生活
今回の熊本大分の地震で
被害にあわれた皆様には、心からお見舞いを申し上げますとともに
一日も早く平常の生活ができる日が来ますようにお祈りします。

14日の夜9時過ぎに、ゴミ捨てに下りていたら
今まで聞いたことのない携帯のアラームが鳴りました。
取り出してみたら「緊急地震速報」のメール。
「えっ」と思った瞬間には、もうアパートの建物が揺れていました。

部屋に戻ると、テレビが「熊本で地震」を報じていて
その後も何度も緊急地震速報が流れ、日付が変わる頃には
またかなり強い揺れがきました。

11年前の福岡西方沖地震で
生まれて初めて大きな地震を経験していたので
衝撃は、前回ほどではありませんでしたが
それでも地震は、まったく予知することができないので
いつ、どんなことが起きるのか、ものすごく不安です。
それでも15日は、やや落ち着いたかに見えたのですが
16日の未明に、これも緊急速報とほぼ同時に
もの凄く大きな、長い揺れが起こりました。

ちょうど寝入りばなだった、私もダンナも飛び起きて
テレビをつけると、福岡も佐賀も大分も
九州のほぼ全域が、震度5か震度4で
九州全体が揺れたような地震だったことが分かりました。

その後も、震源が阿蘇へ、さらには大分へと広がっていき
それに伴って、被害に合われる方も激増していきました。

熊本には、古くからの、本当に仲のよい友人がいます。
心配でたまりませんでしたが、やはり電話はつながらず
最初の地震の時には「大丈夫です」という返信が来ました。
その後連絡がないのですが、ご家族のことや家のことで
ものすごく大変な状況ということも考えられるので
ひたすら、友人から連絡が入るのを待ちわびています。

災害、特に地震は、事前に予知することは難しく
起こってからも、私たちにできることは本当に限られています。
今回の地震は、専門家からも「前例がない」「予測ができない」という
言葉が何度も出ました。
昨年の11月に、事故後最初に再稼動を始めた鹿児島の川内原発。
再稼動からひと月も経たない、11月の14日に鹿児島で地震が起きました。

今回の地震は、その鹿児島の地震とも連動しているというお話も出ました。
政治に何を言ってもどうなるものでもないのだということを
私は、東日本大震災と、その今日までの経過を見ていて痛感していますが
それでも「日本は、この狭い国土に、これだけ地震が多発する国だから
原発はだめなのだ」という、とても簡単な理屈が
なぜこの国を動かしている人たちには分からないのだろうと思います。

地震や津波などの自然災害は、人間の能力をはるかに超える巨大な力ですから
「予測できない」「前例がない」「想定外」の事態は幾らでも起きます。
そして、地震は天災ですが、原発事故は人災です。
それが、ものすごくたくさんの人たちの普通の暮らしを犠牲にして
この国が知った、福島原発の事故の教訓ではないのでしょうか。
福島県では、地震から五年を過ぎた今でも
まだ十万人近くの方が避難生活を続けておられます。

けれど地震と違って原発は
止めようと思えば止めることはできるし、止める力を持つ人もいるわけです。
今度こそ、取り返しがつかない事態が再び起きる前に
どうか冷静に、そして慎重に
原発問題を再考していただきたいと心の底から思います。

これを書き終えた後で、「ネットで原発問題に言及すると
「地震を政治利用するな」と激しく叩かれる」という記事を見ました。
私は、原発について、どんな政治的な思想も持っていませんし
こういうブログを書くことで、何かを変えようという野心もないし
ほとんど希望も期待もしていません。

けれど、間接的にせよ、東日本大震災と、福島の原発事故を
リアルタイムで経験したわけですからとにかく「怖い」という思いはあって
それを言葉にしているだけです。
そういう個人の思いが批判されたり、抑圧されるようなことがあるとしたら
それでなくても、あれもタブー、これもタブーという現状で
今の日本は、社会全体が「1984年」というSF小説の古典に描かれたような
薄気味の悪い世界になってきているような気がしますが、どうなのでしょう。



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