goo blog サービス終了のお知らせ 

癌と生きる 依存症と生きる

命がある限り希望を持つということ

こりもせず映画鑑賞

2016-04-14 16:07:10 | 社会・生活
先週は、娘に誘われて
岩井俊二監督の「リップヴァンウィンクルの花嫁」を観にいきました。
で、久々に映画館の大画面で映画を観ると
がぜん「映画観たい病」が再発して
「なんか面白そうな映画ないかなあ」とネットで検索。

珍しくダンナを誘って「モヒカン故郷へ帰る」という邦画を観てきました。

東京で、売れないデスメタルバンドをやってる永吉は
同棲している彼女の妊娠が分かったことで、7年ぶりに
ふるさとの戸鼻島という小さな島に帰る。

島で酒屋を営む父の治は、若い時からの、矢沢永吉の熱狂的なファン。
息子の永吉の結婚に、大喜びで知り合いを集めて大宴会を開くが
その直後に倒れ、末期の肺がんが見つかる。

実は、映画の告知のサイトで、お父さんが末期がんという話だと分かったので
娘を誘うか、ダンナを誘うか、ちょっと迷いました。
先日観た「リップヴァンウィンクル~」も、主要な登場人物の一人が
末期の乳がんという設定だったので
そんなに気にすることもないかなと思いましたが
やっぱり、それほど深く考えなさそうなダンナを誘ったほうが無難かなと。

伊藤計劃さんのブログに、こんな記述があります、
「自分が作ったわけでもない、誰かさんの映画に毎週毎日
こんなにも依存している、自分のほうがよっぽどおかしいのだ」

伊藤さんにはとても及びませんが、私も、本にも映画にもかなり依存しています。
けれど、ことギャンブルとかスポーツとかに関しては
正真正銘何が楽しいのか、どこが面白いのか、それこそ1ミリも分かりません。

「正直俺は運動会が大嫌いであり、スポーツ観戦というものに
子どもの頃から、ビタ一文関心がなかった」
と書かれる伊藤さんに、めちゃめちゃ親近感を覚え
まさに「師匠、一生ついていきます」という感じなのです。

「そんな、しょうもないものじゃなくて、こっちのほうが断然面白いよ」
と心の中では思いますが、こればかりは相手がそう感じてくれないことには
どうしようもないわけで、そこはお互い様ですから
長年、平行線のままで生きてきました。

最近クラフトで「相手の良いところを見つけてほめましょう」
みたいなことを勉強していますが
かつては「バラバラにして、トランク詰めにして捨ててやろうか」という
ところまでいったような夫婦関係ですから、勉強したからといって
一朝一夕に、歯の浮くようなセリフがいえるわけもありません。

そこで、私のほうも、ダンナが興味があるスポーツの話題で話を盛り上げる。
スポーツ界も、おめでたい話からダーティなネタまで
毎日ひとつくらいはニュースがあるので、話題には困りません。
ただスポーツにはどんな思い入れもないので
事件を起こそうがどうしようが「ふ~ん」という感じではあるのですが
それでも世間話のタネくらいにはできます。
ダンナもスポーツをネタにすれば、短いながらもコメントします。

そして、それと引き換えに私が観たいと思った映画やドラマを勧めてみる、と
お互いの趣味を通じて、接点を作る努力をしているわけです。
で「末期がんのお父さんが死んでしまう映画」を
そろって観にいったのですが、これが、いい具合に笑える、なかなかの良作でした。

だいたい映画やテレビでやる「病気物」というと
無駄に、感動をあおろうとする耳障りなBGMがうるさく
病人は、いまわのきわなのに長々としゃべり
号泣、嗚咽、涙、鼻水と、やたらに湿っぽいのですが
ほぼ予想通り、まったくそんな場面はありませんでした。

車を運転しながら、永吉がぼそっと言います。
「俺も最近知ったんだけどさ。やっぱ親って死ぬんだな」

そして治はそんな息子に何回も「早く東京へ帰れ」とせかし
「お前(永吉)にやさしくされると、明日にも死ぬような気がする」と言うのです。

どっちも素直じゃないと言ってしまえばそれまでですけど
そんな短い、普通の言葉のやり取りの中に
親と子、そして人間の生と死に直面したそれぞれの思いが凝縮されていて
くすくす笑いながらも、ちゃんとじーんとする映画でもありました。

ただ本当に真面目な方が観たら、不謹慎と思われるところも多いですので
あまりお勧めはしません。

今までダンナを誘った「猿の惑星」や「チャッピー」と比べると
ほんとに地味地味な映画だったので、ちょっと心配になって
帰り道に「どうやった?」と聞いたら
「月に一回くらいは映画も観に行ってもいいよ」という
返事が返ってきたので、まずまずではあったのでしょう。

「そうそう、今までギャンブルと、長年のアルコールの影響で
前頭葉が萎縮してるから、自分が知らない世界をどんどんみて
前頭葉を活性化させたほうがいいと思うよ」とは言いませんでしたが。

ついでだから書いちゃいますが、伊藤さんの映画論にはこんなのもあります。
「まず映画は「テーマを観にいくものではない」ということです。(中略)
「テーマがよくわからなかった」などという人は、映画を観に映画館へ行って
いるわけではないのです。代理店のコピーライターが考えた数行の
キャッチコピーを、わざわざ1800円払って映画館に確認しに
いっているだけなのです」

いつも私がもやもやしてる「愛と感動の○○」やら「友情の素晴らしさ」やら
「家族の絆」やらという映画のうたい文句を見て
「一行で要約できるものを2時間もかけて観る必要はない」という思いを
本当に的確に代弁してもらっています。最近の、特に漫画原作の日本映画は
まさにそんなのばっかりでげんなりしていましたが
「モヒカン故郷に帰る」は、なんの根拠も保証もない愛や希望や夢やらの
嫌らしい押し付けがましさがない良い映画でした。

リンクしている音楽ブログ「福岡のアーティストさんを応援するブログ」では
この映画の音楽ネタを書いています。「リップヴァンウィンクルの花嫁」は
「映画と本のある日々」に感想を書いています。



ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村




クラフト勉強会 簡潔に言う

2016-04-10 15:59:51 | クラフト
クラフト勉強会の参加者は、毎回12,3名。
その内男性は、2,3人といったところ。
私以外は、皆さん子どもさんの依存の問題を抱えておられます。

前回の「コミュニケーションを変える」のお話の途中で
一人のお父さんが言われました。
「こういうお話を聞いても、実は自分たちは
親からそんなふうにして育てられてはいないものですから」

確かに「子どもを甘やかしたらだめ」「悪いことをしたら叱る」
そういうのは、伝統的に受け継がれてきた価値観で
昔の親たちも、大体そんな感じで子育てをしてきて
そんなに困ったことにはならなかったわけです。

ネットの、知恵袋などに寄せられた「子どもがネット依存で」というような
相談に対する回答も「甘やかしたらだめ」「親はビシッと対応すべき」
という、従来からある価値観に添ったものもたくさんあります。
勉強会で質問をされたお父さんも
「これまで正しいとされてきたやり方でやってきたのに
なぜうまくいかないんだろう」と戸惑われているようです。

前にも書きましたが、本当にケースバイケースで
厳しく接して、うまくいく場合は
それで全然問題はないのだと思います。
ただ、それでうまくいかなくなった時には
効果の出ない、時には逆効果になることもある
同じやり方に固執するのではなく、アプローチの仕方を変えてみる
その柔軟性が必要で、クラフトはその中の一つの方法です。

クラフトの「コミュニケーションを変える」の
ポイントの3は「簡潔にいう」です。
ここは、勉強会の中では、さらっと流された項目なのですが
私が一番身に覚えがあるところなので、紹介しておきます。


私は、ダンナがパチンコに行くことを、その都度怒ったり、文句を言ったりは
しなかったのですが、たまに借金などが発覚すると
日頃たまりにたまった恨みつらみが全部出ます。

そうなると、家庭の経済状況から、子どもたちの将来のことから
ダンナのこれまでの行状から、もうあれもこれもと
最後には自分でも何が言いたいのか分からなくなるような状態でした。
ダンナも何を言われているのか分からなかったでしょう。

テキストにはこう書かれています。

「何を言いたいのかを明確にし、一度に一つのことを言うのがコツです。
長さは1~2フレーズまでにしましょう」

次のような例文とコメントが書かれています。

「日曜日にあんなに飲むから、いつも週の初めに会社を休むことに
なるんでしょう。しかもそのたびに私に電話をかけさせて!(中略)
ほんとに恥ずかしい。だいたい私、あなたと結婚してから、どれだけ
周りの人たちに言い訳してきたか、あのときだって…

これでは何を言いたいのかわかりません。相手も途中で聞く気を
失ってしまいます」

読んでいて思わず笑ってしまいますが、でもバッチリ身に覚えがあります。

この例の場合を簡潔に言うためには、自分が一番言いたいのは
「日曜日に飲む量を減らしてほしい」なのか「言い訳の電話を
かけるのはやめたい」なのか、考えてどちらかを選ぶわけです。

このように、クラフトのプログラムは、依存症の人の家族向けではありますが
日常の、子どもさんとのコミュニケーションに生かせる部分も多いと思います。
例えば、子どもさんのスマホの使い方を注意したいのに
話がどんどん広がって、学校の成績やら、日常の生活態度やら
てんこ盛りになってしまうのは、効果的ではありません。
「一番やってほしいこと」あるいは「一番やめてほしいこと」は何かを
頭の中で整理してから、簡潔に言うことにチャレンジしてみてはどうでしょう。

こうした説明を聞いて理解することはできますが
実際にそれをやる、1~2フレーズで言うとなると
結構難しいものです。しかも、それを高圧的にではなく
相手を肯定しながら、共感を持って話すことができるようになれば
かなりハイレベルなコミュニケーションのスキルということになります。
いやぁ、最初はもっと軽く考えていましたが正直難しいです。

相変わらずあちこち話が飛んでしまってすみません。
しかも、久しぶりに区の図書館に行けたので
調子に乗って、7冊も単行本を借りてしまいましたが
ハッと気づけば返却期限は2週間。
2日に1冊のペースで読まなければ、間に合いません。

「天使のナイフ」「犯罪小説家」「鬼談百景」
「ソロモンの偽証」(1~3)そして「死への祈り」と
健康な人でも病気になりそうな、陰鬱なラインナップを
現在まさに死に物狂いで読破しています。
そんなわけで私の脳の中は、相変わらず汚部屋状態です。


ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村




依存せずに生きることのできる人生

2016-04-03 17:09:56 | 依存症
前回から書いている「SMARPP24」(以後スマープと書きます)
の第7回に「依存症ってどんな病気?」という章があります。

そこでは「依存症の7つの特徴」が次のようにまとめられています。
スマープの内容は、アルコールと薬物の依存症が対象ではありますが
ギャンブル依存症にもかなりの部分が当てはまります。

① 一次性の病気です

② 慢性の病気です

③ 進行性の病気です

④ 死亡率の高い病気です

⑤ 性格が変化します

⑥ 依存対象が容易に他のものへと移行します

⑦ 人を巻き込む病気です

それぞれの説明まで書くと、またまた長くなりますので省略しますが
①の「アルコール・薬物依存症の原因は、アルコールや薬物を使った
ことにあるのであって、意志や性格ではありません。またトラウマや
ストレスがあっても、アルコールや薬物を使わなければ、アルコール・
薬物依存症にはなりません。これが「一次性」という言葉の意味です」
という項目は、これまで、あまり見かけなかった見解です。

そこで、今勉強しているクラフトと、このスマープで
どういう部分が、これまでの依存症治療から変化しているかというと
依存症の治療、あるいは支援の継続性

家族の回復
というところにより重点が置かれるようになっています。

これまではとにかく「止める」ことが重要とされていました。
もちろん「止める」ことは、基本中の基本ではあるのですが
そこだけが強調されると、特に依存症者の思考に陥った人は
「止めなければならない」という強いプレッシャーや
強いストレスに陥り、スリップすると「もうだめだ」と絶望します。

また「どうすれば止められるか」という止め方に
思考が捉われますから、止めたいという気持ちはあっても
とにかくギャンブルならギャンブルのことが常に頭から離れません。
「ギャンブルを止めるための○○」「ギャンブルをやる代わりの○○」
というように、実は常にギャンブルを中心とする考え方になっています。
ここが自分ひとりで止めようとする時の一番の難しさであり
だからこそ依存症からの回復を助ける仲間や援助者が必要なのです。

クラフトやスマープは、依存症の治療にあたる人たちの
臨床経験などをベースにした、新しい考え方が盛り込まれていますが
これは従来からある、依存症から回復するためのノウハウと歴史を持った
自助グループでのミーティングや
その基礎になる12ステップの考え方を否定するものでは、もちろんありません。
ですから、自助グループか、スマープか、あるいはクラフトか
といった二者択一でとらえるものではないと思います。

スマープの中では、アルコール依存症から回復するための
三本柱というのが紹介されています。

三本柱とは「抗酒剤」「通院」「自助グループ」です。

また回復するために必要なものとして
「信頼」「正直さ」「仲間」が挙げられています。
「薬物やアルコールを使いたい」あるいは「悪いと分かっているのに
使ってしまった」ことを正直に打ち明けられる
あるいは「自分の抱えている問題」を相談できる仲間や
援助者がいるのが、自助グループや
マックのような、依存症の相談機関です。

依存症は「止める」ことだけが重要なのではなく
「止め続ける」ことが、とても大切です。
社会の中で、あるいは日常生活の中で
ずっと薬物や、アルコールや、ギャンブルをやらず
そういう依存対象のことを考えずに
平穏で、しかも充実した一日を送れるようになれるかどうか。
依存せずに生きることのできる人生を送るためには
「治療と回復の継続」が一番大切なことなのです。

スマープや、家族であればクラフトのような
自分でできるセルフワークのプログラムにしろ
自助グループでのミーティングの参加にしろ
専門的な医療機関での治療にしろ
まずは「これはできそうだ」と思えるものに取り組んでみる。
一人でやってうまくいかなければ幾つかを組み合わせてみる。
依存症のことをよく知っている人に助けてもらう。

もとより結果がすぐに出るというものではありません。
やはり時間はかかります。

それでも、回復しよう、回復したいという気持ちを持ち続け
何らかの、回復するための努力を続けていけば
そこから回復の可能性は見えてくるものなのではないかと思えます。

 


ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村




変わり始めた依存症治療

2016-03-26 15:19:17 | 依存症
最初のクラフト勉強会で
1枚のプリントをいただきました。

そこに「治療者の禁句集」というのが書かれていて

「本人を連れてこなければ、治療はできません」
「酒を切ってから、受診してください」
「底つきを待つしかないですね」
「本人が止める気がなければどうしようもない」
「家族会に行ってください」
「家族も病気です」

私が、ダンナはギャンブル依存症だと分かって
本やネットでギャンブル依存症を治すにはどうすればいいかを
調べ始めた8年前は、上のようなアドバイスがほとんどでした。

当時ギャンブル依存症を治療してくれる施設はほとんどなく
ダンナはGAにはまったく関心を示さず
「借金の肩代わりはだめです」「尻ぬぐいはだめです」と言われ
あげくの果ては「尻ぬぐいをした家族は共依存という病気です」と
まさに踏んだり蹴ったりでした。

今クラフトの講師をされている先生は
長年アルコール依存症のケースワーカーをされている先生ですが
「わらにもすがるような思いでたどりついたご家族に
どうしようもないというようなことしか言えなかったことは
本当に辛かったです」と話されていました。

そこから、多くの方の努力によって
依存症治療の考え方が変化し
「禁句集」に見られるような形になってきているのだと思います。

実は今「物質使用障害治療プログラム SMARPP-24」の
テキストを2月に購入して、クラフトと並行してそちらも勉強しています。

これは国立精神・神経医療研究センターの松本俊彦先生のチームが
主に薬物依存症の患者さんを治療されている
臨床経験をもとに、幾度も改訂を加えて作られた
患者さん自身が、自分で読みながら質問の答を書き込むという
自分でやることができる治療プログラムのワークブックです。

ちょっと驚いたのは、このテキストは
小学校の高学年くらいでも理解できるくらいに
読みやすく分りやすい文章で書かれていて
しかもほとんどすべての漢字に振り仮名がつけてありました。

この本の前書きには、共著者の今村扶美先生が
次のように書かれています。

「SMARPPの中では、依存症は病気であり、治療が必要であり
たとえすぐに使用が止まらなかったとしても、何らかの支援
につながり続けていれば、ほんのわずかでもよい方向に近づ
いていくはず、というメッセージを繰り返し送っています」

とても穏やかな表現ですか、この柔らかな文章の中に
依存症という病気の本質と、もっとも新しい依存症治療の
方向性がまとめられていると思います。
特徴的なのは「たとえすぐに使用が止まらなかったとしても」
というところです。

以前は「止めなければ治らない」「たとえ10年止めていたと
しても一度でもやったら振り出しに戻る」という感じでした。

けれど「依存症は自分の意思ではどうにもならない病気」であり
覚悟とか決意とか、いわゆる「強い意志」と言われるようなもので
克服しようとしても、うまくいかないことが多いのです。

ですから、すぐには完全に止めることができないとか
一度は止めたのだけど、やってしまった(スリップ)ということがあっても
治療や支援をあきらめずに継続していくことが大切だということです。

私がギャンブル依存症を知り、この病気について勉強する過程で
何となく違和感を感じ続けた、依存症に対する考え方が
やっと納得のいくものになってきているように思います。

以前の説明では、あまりにもハードルが高く厳格だった部分は
ずっと受け入れやすくなりました。
それと共に、家族に対しても
以前は「あれはだめ、これはだめ」とやってはいけないことが
強調されていたので、家族は、自分に責任があると考えたり
何をすればよいのかわからなくなって
ただ沈黙してしまうという感じだったのが
クラフトのように、何をどうすればよいかを学ぶという考え方が出てきて
依存症の本人も、家族も、未来にいくばくかの希望を持つことができる
そういう方向性に変わってきているのだと思います。

けれど、裏を返せば、これは依存症からの回復は
アルコールやドラッグ、あるいはギャンブル漬けの人生よりも
それらを使用しない生活のほうが実りが多いと思える生き方ができるように
ゼロから少しづつ進んでいくという、時間もエネルギーも必要とされる
とても地道な作業なのだということです。

松本先生も繰り返し、日本の、依存症治療ができる医療機関、回復施設の不足や
人的な資源(専門的なカウンセラーなどの援助者)の少なさに言及されています。

このSMARPPを発行された目的のひとつも、援助者に高い専門性がなくても
患者と一緒にワークブックの読み合わせをするだけでも
それなりにグループセッションのファシリテーター(中立的な議事進行役)が
できるということのようです。

それでも、未だに国がギャンブル依存症を正式に病気とは認めていないために
対象になっているのがアルコールと薬物にとどまっているのは
とても残念なことではあります。
しかし、クラフトにしろSMARPP(スマープ)にしろ
同じ依存症ですから、ギャンブルでもネットでも
他の依存症でも参考にできるところはたくさんあります。


スマープの中でも、ドラッグと関連して
精神科の治療で用いられる睡眠薬や抗不安薬の依存性については
少しですが言及されています。
ぜひ早い時期に、ギャンブル依存症に対応できる
スマーププログラムの本を発行していただきたいと思います。

今のように社会がどんどん変化していく時代ですから
本当に人生何があるかわかりません。
知識や情報は決して邪魔になるものではありませんから
依存症についての様々なことを知って、お互いに情報を共有して
実生活に応用できることは応用していただけたらと願って止みません。





ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村




家族の気持ち

2016-03-23 16:01:30 | 癌のこと
先週の火曜日は通院日でした。
乳がんステージ4の告知を受けてから丸2年になります。

告知を受けたのがおととし3月の中旬で
お彼岸を過ぎた頃に、職場の人たちに打ち明けました。
それからダンナに話し
その後長男と、珍しくお昼ごはんを食べながら
そこまでの経過を説明しました。

ダンナは、ギャンブルやら何やらありましたが
もともとは真面目で、気が小さいのだと思います。
比較的仕事のスケジュールが楽で
晩酌して、いい気分になったタイミングで
カミングアウトしましたが
予想通り「俺のせいだ」と激しく落ち込んでしまい
「いやいや、人間誰でも死ぬんやし、そら100人にひとりしか
死なんて言うんやったら、大変と思うのもわかるけど
別に私だけが特別というわけじゃないんだから」と
私のほうが、とんちんかんなフォローをするはめになってしまいました。

長男は、私の話を聞いて、言葉を失っていましたが
私が「抗がん剤とかの治療はしないよ」と言うと
「そんなことじゃないかと思った」と言ってくれました。
長男は長男なりに、私のある一面をよく理解してくれていると思いました。

ちょうどその頃、年末に結婚式を挙げた娘夫婦は
新婚旅行に行っていて
旅行から帰ってきて一息ついた頃に会いにいきました。
こちらも、もはや言葉もないという感じでしたが
精密検査の結果が近々出る話をすると
「家族も一緒に来てくださいって言われんやった?」と
厳しい口調で聞くので、しかたなく「言われたけど」とちっちゃな声で答えると
「やっぱり」と、かなり怒っていました。

告知から半年くらいは、娘からは病気に関することでは
こんな具合に結構きつい言いかたをされて
私は内心「もう少し優しく言ってくれても」と思いましたが
娘の「何かできることがあるのではないか」という苛立ちや
どうにもやり場のない気持ちが、ついそういう形で出てしまうのだというのは
十分過ぎるくらい分かりました。

緩和ケアへの転院を決めた時も
「病院変わるって言うから、よさそうなところを
探そうと思ってたら、またそうやって自分一人で
さっさと決めて!」とおかんむり。
でも私が、よほど困った顔をしていたのか
「怒ってるんやないよ。怒ってないからね」と言ってくれました。

告知から2年が過ぎて
今のところは、普通の生活ができているので
ダンナも、子どもたちも、なるべく病気のことは
考えないでおこうと思っているようなふしがあります。
私もそれでいいと思っています。
私にとっては、もう一年後、二年後の未来よりも
今日の一日が、かけがえがない、大切な時間です。

今という時間が、充実して心穏やかに過ごせることが幸せです。
娘は、機会あるたびにライブや映画に誘ってくれ
長男もですが、面白い本やマンガがあると
二人してせっせと持ってきてくれます。
家族には家族の思いがあり、不安も心配もありつつも
それでも、私の気持ちを十分理解してくれているように思います。

実は私の父は、明治36年の生まれで
終戦の直前に召集されて復員し、私は、父が50才の年に生まれました。
ですから小学校時代から、父と一緒に外出すると
よく人に「おじいちゃんですか」と聞かれました。

私は、かなり小さな頃から
「この人は、いずれ死ぬんだろうな」ということ
つまり「父親の死」というものを、なんとなく意識していたのだと思います。
相当に変わった人だったので、父のおかげで
子どもの頃から、何かと大変な思いをしたことも多かったのですが
死ぬ時に、家族が泣いたり騒いだりする愁嘆場は嫌いだと広言していて
その言葉の通り、ささいな風邪で入院し
深夜、看護婦さんも気がつかないうちに息を引き取りました。
もちろん私も死に目には会えませんでした。

最後まで、自分の信念というか、美学を貫くような生き方でしたが
亡くなったのは、私が結婚した年の冬でした。
私が22才の時ですから、それからもう38年になります。
結婚式の日は、親族の控え室に私と父の二人きりで
私は自分のことはそこそこに、父がモーニングを着るのを手伝ったりと
てんやわんやしていた記憶があります。
父一人娘一人、その娘が結婚し
自分がいなくなっても、もう娘が天涯孤独の境遇にならずにすむ
それを見届けたことで安心したのかもしれません。

その年、私は通信制で京都の大学に入学して
最初のスクーリングを兼ねて、夏に父と京都旅行をしました。
最初で最後といってもいい、ささやかな親孝行の思い出です。

一年間お世話になった優しい先生とは、今回の診察でお別れでした。
「本当にお世話になりました」と、丁寧にお礼を言いました。




ランキングに参加してみました。よろしければクリックをお願いします!


にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 依存症へにほんブログ村


にほんブログ村 病気ブログ 乳がん ステージ3・4へにほんブログ村