「日本文学の革命」の日々

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電子同人雑誌の可能性 196 「コンピュータの本質―インターネット発展史とニッポン敗戦史」

2019-07-04 05:23:01 | 日本文学の革命
コンピュータやインターネットの発展―それはつまり日本にとっては今のところ敗戦の歴史でもあった訳だが―は今でも続いており、ついに日本経済最後の牙城自動車業界にも押し寄せようとしている。電気自動車化と自動運転化という二つの流れが自動車産業を直撃しているのである。

日本の自動車産業は世界でもトップクラスの大産業であり、日本経済の稼ぎ頭となっているが、それを根本的なところから支えているのが「日本の労働者」である。
日本の労働者ほどよく働く労働者は世界でも稀なのである。勤勉であり、真面目であり、実直であり、努力家であって、仕事に実に誠実に熱心に取り組む。フランスやイタリアの労働者のように今夜のデートやパーティーのことばかり考えて昼間は半分呆けている労働者とはえらい違いである。また日本の労働者はタフであり頑強であり、辛くたいへんな労働でも黙々と粘り強くこなしてゆく。すぐにヘタレて文句ばかり言う中国や韓国の労働者とは対照的である。また日本の労働者は「マイスター」に憧れるドイツの労働者のように職人とその匠の技に憧れと尊敬を持っていて、誰に言われなくても自分の労働技術をコツコツと高めてゆこうとする。また日本の労働者は真面目であり誠実であり、道徳的に気高い立派な人間たちが多いのである。それこそ中国の労働者たちとは―できるだけ手を抜いて働いて、隙さえあったら会社の備品まで盗むと言う―正反対の存在なのである。

そして決定的に重要なのは、日本の労働者が労働を喜びとしていることである。働くこと自体が楽しいのである。たとえそれがどんなにつまらない単純作業でも日本の労働者はそこに楽しみや喜びを見い出し、さわやかな汗をかいて気持ちよく働くことができるのである。その喜びには「人々との交流」という意味合いもこもっている。働くことで人々と交流し、働くことを通して仲間を作ってゆくことができるのである。かつての日本の職場では、一緒に働くことで仲間になれる、共に働くことで分かり合える、楽しい家族のような有意義な関係を築くことができる、という雰囲気が確かにあった。この「人々との交流」という意味合いも加わり、日本人は労働に喜びと生きがいを感じていたのであり、世界最高ともいえる日本人の勤勉性はまさにこれを土台としていたのである。

この日本人の勤勉性の上に築かれたのが日本の自動車産業だった。トヨタなどの日本の自動車企業はこの日本人の勤勉性を生かし、それをフル活用することを経営の柱にして、それを見事に成し遂げたのである。その際重要だったのは日本人労働者に「誇りや名誉」の感情を与えたことである。どんな些細な労働にも大きな価値があると正しく認識し、労働者一人一人を大切にして彼らに「誇りや名誉」を持たせ、労働者を蔑視し使い捨てにすることなどせず、彼らの持つ能力と力を十二分に引き出したのである。この「誇りや名誉」の感情は実は極めて重要なものであり、マックス・ウェーバーという偉大な社会学者は「名誉感情は社会のあらゆる機構の主柱である」とまで言っている。単なる付けたしの感情ではなく社会の「主柱」となるほどのものが、この「誇りや名誉」という人間的な感情なのである。自動車工場でやっている仕事は日本でもアメリカでもベルトコンベアーでやっている単純労働である。しかし黒人や移民労働者が嫌々やっているアメリカの労働に比べ「誇りや名誉」喜びと生きがいを持ってやっている日本の労働者の仕事は、根本的なところから違いが生じるのである。いわば労働に魂がこもり、製品に科学的には計測できない優れた品質が生じるのである。「主柱」となるべき最も重要なものが製品の中にこめられるのであり、それがアメリカをも圧倒するような実力を日本製品に与えたのである。
日本の自動車産業は日本人労働者の勤勉性をフル活用することによって、世界に君臨する大産業となったのである。

ところがこの自動車業界にもIT化の波が押し寄せようとしている。その一つが「電気自動車」で自動車をガソリンエンジンではなく電気モーターで動かすものにしようというものだが、これが起きると自動車作りが実に簡単なものになるのだという。部品の数が大幅に減り、パーツをポンポン組み合わせるだけで誰にでも簡単に作れるものになるというのだ。今は自動車作りに数万もの部品が使われており、その一つ一つを日本の労働者が丹念に磨きをかけて作り上げ、日本ならではの最高品質の車を作っているが、電気自動車になるとそのような労働が必要なくなってしまい、日本の労働者が活躍できる場が失われてしまうのである。

もう一つ波が「自動運転」である。コンピュータやインターネットのテクノロジーを使い、人間が運転しなくても車が自動で運転して目的地まで走ってくれるというものである。「どこそこまで行ってくれ」と人間が命じるだけで機械の車が「了解しました」と自動的に走ってゆくのだから、まさにSFみたいな驚異のテクノロジーである。そしてここで生じるのがソフトの優位性である。従来の車は品質だとか安全性だとかモノとしての価値が決定的に重要だったのだが、自動運転の車では車を自動的に走らせる技術―まさにそれはコンピュータやインターネットのテクノロジーが結集したソフト的価値なのである―の方が決定的に重要になり、大きな価値を持つようになるのである。日本の労働者が生み出してきた製品的価値の優位性はここでも失われてしまうのである。

日本の自動車産業がこれからどうなるのか、予断を許さないような大波が今押し寄せているのである。またもや「ニッポン敗戦」にならないように願うばかりである。