~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

フランクルと初女先生

2012-08-20 23:07:07 | 日記
昨日は、何年振りかに函南のkさんを訪ねました。

子どもを亡くした時に、悲しみを抱えても前を向いて歩いている人に

会いたいと思った時に、初女先生とkさんに出会いました。

kさんもお子さんを亡くし、悲しみ苦しんで、でも立ち上がり

お寺の奥さんとして、村人に信頼され前を向いて歩いている方です。

本当に、何年も会っていなかったのに空白の時間はあっという間に

埋まり、一緒に行ったNさんと3人で話が盛り上がっていた時に

私が何気なく「最近、ルランクルの夜と霧を読んで、すごい気づきが

あったの」と言うと、kさんが「私も、何度も夜と霧を読んで

大きな気づきを頂いた」と言うのです。

彼女の中学の社会科の先生が、卒業間際に「まだ解らないかも

しれないが、一生のうちの何処かで「夜と霧」を読んで欲しい」と

言ったそうです。

彼女は二十代のころに読み、それから繰り返し読んで来たと…

そして、私たち二人の考えは、フランクルと初女先生が同じことを

言っているというところに至ったのです。

例えば、フランクルは「苦悩を正面から受け止めよ。

悩んで悩んで悩みぬき、底まで落ち切った時にこそ、不思議に

自然と道が開けることがあるのです。

絶望の果てにあってこそ、光が差し込んでくるのです」と…

初女先生は「苦しいと思うほど、とことん苦しみます。

もうこれ以上できない、もう限界、というところのどん底にまで

落ちるのです。

落ちるところまで落ちてしまうと、這い上がらなければ

生きられないので、這い上がる努力をします。

それが上に活きると言う意味で「上活」というのだそうです」と

言われています。

初女先生は「体験ほど尊いものはない」と言われ、

フランクルは詩人の言葉を引用して「汝の体験せしことを

この世の如何なる力も奪い得ず」と語っています。

フランクルも初女先生も、体験から生まれた言葉です。

真理というのは、国が違っても生きた時代が違っても

一つだということが解りました。

フランクルの言葉と、初女先生の言葉があらゆるところで

重なります。

フランクルの「人は、人生から問われている者であること」

そして、「人生はけっしてあなたに絶望しない」

初女先生の「すべてが今この一瞬にあると思うから

刻まれるこの時間を大切にする」という言葉を胸に刻み

歩いていきたと思いました。

kさんとNさんと3人で、「私たち子どもを亡くしてなければ

絶対に出会ってないよね。子どもたちが繋いでくれたんだね。

きっと子ども達もここにいるね」と、嬉しい再会の時を

過ごしました。

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