~空からの贈りもの~

「森のこもれび」の山崎直のブログです。

今 ここ

2012-08-17 16:52:20 | 日記
昨日、夜中にふと目が覚めました。

何かが外で鳴いているのです。

寝ぼけた頭で、何が鳴いているのだろうと、聞いていたら

それは、蝉の声でした。

こんな夜中に蝉?秋の虫でもあるまいし、蝉がどうして…

と思いながら、必死で鳴いている蝉の声を聞いていたら、短い一生を

寸分でも無駄にするまいと、鳴いている様に聞こえました。

それは生きている証しのような蝉の声でした。

蝉のいのちは土の中に7年、地上に出て一週間と聞いたことがあり

ます。

蝉たちの鳴き声を聞いていると、自分のいのちの長さを知って

いるような気がします。

蝉もまた、今ここを生きているのですね。

加藤周一さんが「日本では人々が『今=ここ』を生きている様に

みえる。

その背景には、時間においては「今」に、空間においては「ここ」に

集約される世界観があるのだろうと、言われています。

この何気ない「今 ここ」という感覚はもしかしたら、日本人特有の

感覚なのかもしれません。

詩人の谷川俊太郎さんは、「私たち日本人の感性の中にある

『今 ここ』感覚が、もしかすると日常性を超えた時空へつながる

可能性を秘めているのかもしれないと、言っています。

日本人って、ちょっと凄いかも…なんてオリンピックの金メダルを

一瞬首に提げて貰ったような感じになりました。

夜中の蝉のいのちも、私の中で生きているって気がします。


     生きているということ

     いまを生きているということ

     鳥ははばたくということ

     海はとどろくということ

     かたつむりははうということ

     人は愛するということ

     あなたの手のぬくみ

     いのちということ

              ( 谷川 俊太郎 生きるより ) 
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空からの贈り物~今を生きる

2012-08-16 23:33:55 | 日記
講演会の演題を初女先生にお願いしていた後

先生からのお返事を待っている間、自分が一番聴きたいのは

なんだろう?と思った時に浮かんできたのが「今を生きる」でした。

先生にそのことを伝えると、「只今、最高のタイミングでした。

今を生きるです。それに決めましょう」というお返事があり

初女先生と思いがぴったり重なり「今を生きる」という演題に

決まったと思ってましたが、「今を生きる」を一番必要として

いたのが、私自身であったと今日はっきり分かりました。

初女先生の本を何度も読み、講演会も数えきれないほど行き

この「今を生きる」ということが、自分では分かっていたつもり

でしたが、私が分かっていたのは言葉の表層の部分だったのです。

フランクルの「人間の原点は『人生から問われている者』で

あるところにある。人間の出来ること、しなくてはいけないことは、

人生の様々な状況に直面しながら、その都度その都度、状況から

発せられる『問い』に全力で応えていくことである。」という

言葉に出会い、私はこれが初女先生の言われている「今を生きる」

だと、初めて気がつきました。

 息子の突然の死は私に「生きるとは、1分前も1秒後もない

今、今しかないんだ」と頭ではなく私の細胞に叩き込まれた気が

していました。

だから私は、そのことが解った気になって、そのことをさらに

深めようとはしてこなかったのです。

初女先生の言葉は深く、自分自身の人生を耕していかなければ

そのことの真の意味まで至りません。

今回、演題を「今を生きる」と決めた時、そのことを一番求めて

いたのは、実は私自身だったのです。

そして講演会のお申し込みを受けていると、やっぱり「今を生きる」

を求めている方が集まって来ている様に思えます。

初女先生の言葉はどれも、先生の体験から生まれているので

そのことを本当に理解するには、体験を重ね自分の人生を

より深いものにしていかなければならないということに

気がつきました。

講演を聴き、本を読みそれで解ったつもりになっていた

自分がいました。

息子が私に遺していった最大のメッセージが、初女先生の

「今を生きる」

このことをしっかり受けとり、息子とともに「今を生きたい!」

初女先生、「今を生きる」の講演を一番聴きたいのは、私でした。

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秋の空

2012-08-15 22:59:53 | 日記
今週は夏休み、昨日も今日もひたすら講演会のチラシの発送に

追われていました。

一通づつ手紙を書いていたら、息子が「お母さん、印刷しちゃえば

早いのに、効率悪い事してるなー」と、呆れて見ていました。

「効率悪くても、手紙と印刷は違うの」と言って2日間

座りっぱなしで、やっていました。

初めて主催した逗子の講演会で、チケットに600枚にミシンを

かけて、切り取り線を作った時も、息子に思い切り呆れられました。

おばさんは、手間は惜しまないの!と言っても理解不能のようです。

でも、チラシを発送しながら私はちょっとドキドキしてました。

この素敵なチラシが(自画自賛かな?)届く前に、定員が一杯に

なりませんように…

どうか、必要な人にこのチラシが届きますようにと、祈るような

思いで、チラシを封筒に入れていると、何だか嫁にだすような

そんな気持ちになりました。

宅配便を出しに、封筒の束を抱え外へ出ると、こんなに暑いのに

空は高く秋の雲になっていたのです。

吹く風に秋の気配が感じられ、明らかに日暮れが早くなって

いました。

刻々と時は刻まれていたのです。

まだまだと思っていた11月の講演会も、ぐっと近くになって

きました。

お申し込みの電話を受けながら、初女先生を求めて来る方の

思いの深さを感じます。

大切に大切にこの出会いを繋げていきたい!

その為には、おばさんはどんな労力も惜しまないぞ!と

ちょっと胸を張って、高くなった空を見上げました。

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電車の中で

2012-08-13 22:20:16 | 日記
今日、電車の中で前に座った若い女性の会話が耳に入ってきました。

「ねえ、彼に結婚申し込まれたらどうする?」「合うか合わないか

分からないから、先ず同棲して試してみる。」

「そうだよね。結婚して合わなかったら、バツイチになっちゃうもんね」

「親達って、よくいきなり結婚できたよね」と、真剣に話しているのです。

私は、ビックリしてしまいました。

愛情よりも、相性(合うかどうか)が、結婚の決め手となるんだ…

テレビの化粧品のCMじゃあるまいし、お試し期間で合わなかったら

返品?…

その会話を耳にした時、丁度私はフランクルの「夜と霧」の妻に

ついて書かれたところを読んでいました。

収容所で、飢えと寒さと過酷な労働で生きた屍のような状態の中

妻の面影を思い描き妻と語り、彼女が答えるのを聞き…

たとへそこにいなくても、彼女の眼差しは今や昇りつつある

太陽よりももっと私を照らすのであった。

(この時、彼女はすでに殺されていた)

例えもはやこの地上に何も残っていなくても、人間は瞬時であれ

愛する人間の像に心の底深く身を捧げることによって淨福に

なり得るのだということが、私は判ったのだと、フランクルは

書いていました。

そして、私は「我を汝の心の上に印の如く置け  そは愛は

死の如く強くなければなり」(雅歌八章ノ六)という真理を

知ったのであった。と語っています。

極限状態の中で、その精神を支えたのは愛であったと…

 結婚は相性ではなく愛情だということ

愛は育てていくものであるということを、目の前の若い女性が

気付いてくれる時を密かに願ってしまいました。






























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神々しい写真~イスキアへの道

2012-08-11 21:23:22 | 日記
今朝、出掛けようとして玄関にいた時、宅配便が届きました。

待ちに待ったチラシです。

開けてみたら思わず、うわーっと溜息が洩れてしまいました。

パソコンで見るのと違い、チラシの存在感が確かに感じられるのです。

写真をよく見ると、ふきのとうを持った初女先生の手に光が

見えるのです。

何か、神々しい感じがする写真だと思っていましたが…

電車の中でチラシを見ていたら、この一枚のチラシが出来るまでの

ことが思い出されました。

忙しい中、少しでもいい写真をと奮闘して下さった

カメラマンのkさん。

チラシの原稿が出来るたびに、意見や感想をくれた

スタッフのみんな。

時間をかけて心を尽くして、仕上げて下さった高山さん

チラシを見ながら、これまでのみんなの思いと働きを思ったら

電車の中で涙が止まらなくなり困りました。

スタッフからは、「今度は心込めて配らせてもらいます」という

返事がきました。

慈しむように、ふきのとうを持たれている初女先生の姿に

先生の深い母性が感じられます。

見ているだけで、先生の愛に包まれているような気が

してきます。

私も心を込めて配ろう!そして初女先生の思いを届けよう…

3か月後の今日(11日)は、初女先生と共にいるのです。

スタッフと心を合わせ、チラシに力をもらって

三浦の講演会が、神様の御心のうちにあることを信じて

進んでいこう…

本当に感謝なしでは進めない、イスキアへの道





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共に食すること

2012-08-10 21:43:29 | 日記
宿泊の講演会は、講演会だけのものと比べて、はるかに準備が

大変です。

去年の講演会を終えた時、もう泊りがけの講演会は出来ないと

思いました。

でもその後、同室だった人達が集まって同窓会をやったり、交流を

もっていると聞き、やっぱりこれは宿泊だから生まれるもの

なのだと、あらためて知りました。

そして、初女先生の「泊りは深いから」という言葉に背中を押され

宿泊の講演会をきめました。

今回、お申し込みのお電話を受けていると、皆さん初女先生を

求めて求めて、三浦半島まで来て下さるということを感じます。

先生の著書の中に、

「共に食すること」は

         「共に在ること」を実感し合う体験。

         共に食べることによって、

         深い絆が結ばれていくのです。

という言葉があります。

共に食することの深さを、初女先生は事あるごとに講演会で

語られています。

そのことを体験出来ることの喜びと感謝!

明日はチラシが出来てきます。

今回のチラシはみんなの思いが一杯詰まっています。

そして、写真からは初女先生の思いと祈りが溢れています。

チラシの力をもらって、頑張るぞー!



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繋がるいのち

2012-08-09 22:24:54 | 日記
今日、8月9日は友人の亡くなった息子さんの誕生日なので

「Jちゃんの誕生日ですね。Jちゃんはあなたのもとに

生れて来たことを、きっと感謝してますよ」と、メールをしたら

「さっき、息子と同じ歳の甥に赤ちゃんが誕生したと連絡が

ありました。息子と誕生日が同じ、不思議です。」と返信がきました。

J君の最後の誕生日は一緒にお祝いしました。

私が息子を亡くし、星を見ると息子に会っているような気持ちに

なるので、「星が見たい!」というと、友人のNさんが信州まで

連れて行ってくれたのです。

その時、息子さんのJちゃんも一緒に来てくれたのです。

あの時、長崎の原爆の日が誕生日なんだと聞いて、皆でおめでとう

と乾杯をしたのに、あれが最後のお誕生日になるなんて…

息子を亡くした私達は一緒にイスキアに行き、共に歩いてきました。

最近、Nさんはすごく綺麗になりました。

そのことを言うと、「眉間のしわが無くなったの」と、

にっこり笑って答えてくれました。

長い苦悩から解放された晴れやかさが、彼女の顔を明るくして

います。

60歳を過ぎて、綺麗になったと言われるNさん。

きっと、Jちゃんが僕のお母さんは最高!と、思っている

ことでしょう。

甥っ子さんの赤ちゃんが、Jちゃんと同じ8月9日に生まれた

なんて!

やっぱり、いのちは繋がっている!

12日はペルセウス座流星群がきます。

宇宙のどこかにある、Jちゃん星とつくる星

それは、母さんだけに見える親子星…

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平和~心の終戦

2012-08-07 23:39:09 | 日記
息子が大学図書館から、初版本の「夜と霧」を借りてきたので

親子で一冊の本を読んでいます。

最初に、70ページに近い解説があり、強制収容所でどのような

ことが行われていたかが、書いてあるのですが、今まで写真や

映画で、ある程度は知っていると思ってた私ですが、夜と霧を読み

人間はここまで残虐になれるのかと、読むのが恐ろしくなるほど

でした。

息子も「お母さん、怖くて読めねえよ」と言っていました。

しかし、この本が時代を超え読み継がれるベストセラーになって

いるのは、陰惨な事実にもかかわらず、それでもなお見出すことの

できた人間精神の崇高さに着目して、描かれているからだそうです。

 昨日8月6日は、広島に原爆が落とされた日です。

67年経っても、苦しんでいる人絶えません。

戦争とはそういうものかと、思っているとテレビであの

千羽鶴に願いを込め、十代で亡くなった貞子さんお兄さんが

出ていました。

お兄さんは「貞子は、いのちを掛けて、思いやりの心を残して

くれた」と語っていました。

そして驚いたことには、日本に原爆を落とすと決めたトルーマン

大統領のお孫さんと、貞子さんのお兄さんが交流を深めていると

いうこと…

トルーマン大統領のお孫さんは、日本に来て被曝した方々に

会って、話を聴いていました。

それは、どれ程勇気のいる行動か…

貞子さんお兄さんは、「心の終戦」と言う言葉で、この交流の

ことを言っていました。

そして、平和をつくるのは大切な事、その為には自分のまわりの

小さな平和をつくることが大事と言ってました。

そのことを聴いた時、ダライラマの「平和は一人ひとりの

心の平安から…」という言葉を思い出しました。

8月6日広島、9日長崎そして15日敗戦記念日

今ある平和は、たくさんの犠牲の上に築いた平和であることを

しっかりと心に刻まなくてはと思いました。





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ささやかだけれど、確かな祈り

2012-08-06 22:42:15 | 日記
暑い日が続いていると、なんか私、頑張って生きてる!と思うことが

あります。

そして、ふっと初女先生のことが気になります。

7月23日の夜から突然体調を崩し、水も飲めなくなりましたが、

動けなくなったそのことが、私のバタバタしていた心を静めて

くれたようです。

病気というのは、いろんな役目があるんだなーと、感心して

しまいました。

心が落ち着いたら、講演会のお申し込みが動き出し、本当に

不思議です。

でも、きっとこれは不思議でもなんでもなく、流れとはそういう

ものなのかもしれません。

そして、今回受付を始めたら地方の方が5人も続き、今までにない

運びだと思っていたら、今もその流れが続いています。

お申込みされた方と、お話をしていると本当に初女先生との

出会いは、その人にとって一番いい時に与えられているんだなー

と、つくづく思います。

十数年前に、ガイアシンフォニーの映画を観て初女さんことが

忘れられなくて…という方もいます。

ずいぶん昔に初女先生の本を読んだけれど、最近ふっと思い出して

会いたくなったと言われる方…

つい最近、雑誌で見て初めて知ったという方…

みなさん、初女先生を思い出したり、どうしても会いたくなる

深い思いを胸に、お電話を下さいます。

私は、初女先生に出会って自分の足で立ち、歩きだすことが

出来たので、一人でも多くの人に先生と出会って欲しいと思い

今まで3回の講演会をやってきました。

今回、こんなに沢山の方が地方から来て下さると思うと

身が引き締まる思いです。

あの、具合が悪くダウンしたのも、心と体を静め落ち付かす

ものだったのでしょう。

初女先生は、どんなに忙しくても心はいつも静まっています。

そのことの凄さが、ようやく解ってきました。

初女先生は「母の味は、子どもの心に落ち着きと安心感を

与えます」と言われています。

今日は、夕飯にもおむすびを作りました。

ささやかだけれど、確かな「おむすびの祈り」

その祈りが私を支えてくれています。





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希望と期待

2012-08-03 23:59:41 | 日記
希望と期待とはどのように違うのだろうか…

こんな疑問を持ったのは、フランクルが強制収容所の中で「生」と

「死」を分けたものの一つは、「未来に対する希望を持ちえているか

否かであった」と書いていたからです。

 「1944年の12月のクリスマスから新年にかけての期間に、

 収容所内でそれまでになかった数の死者が出ました。

 理由は、過酷な労働でも飢餓でも無く、「クリスマスには休暇が出て

 家に帰ることができる」という素朴な思い込みが数カ月前から

 被収容者たちを期待させ、その期待がみごとに裏切られた時に

 多くの死者が出たのです。多くの被収容者は落胆し、力尽きたの

 です。

 では、反対に収容所での過酷な状況の中で、生きながらえた人

 とは、どのような人だったかと言うと、それは未来に希望を描き

 それを見失わなかった人です。 」とフランクルが書いています。

「希望」を辞書で引いてみると、「将来によいことを期待する気持ち」

と書いてあり、希望と期待がいっしょくたんになってしまいました。

でも、期待は裏切られるというけれど、希望は裏切られるとは言いません。

私達は、希望と期待を履き違えているところが、あるように思います。

期待する気持ちが、収容所では死に繋がっていったのに、希望は

こういう究極な場にあって生に繋がって行く…

希望と期待は、これ程違うのによく分からないで、子供に期待したり

子供の未来に希望を抱いたりしてきました。

フランクルの「夜と霧」を読み終えた時、「期待」と「希望」の違いが

見えてくるような気がします。

初女先生は、「人はいくつになっても成長します。大切なのは

「自分は成長する」と心に決めて、その日、そのときを生きる

ことだと思います。精一杯生きていれば、必ずその中に気づきが

あります。」と言われています。

フランクルから頂いたこの気づきと、しっかり向き合ってみようと

思いました。

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