昨日、夜中にふと目が覚めました。
何かが外で鳴いているのです。
寝ぼけた頭で、何が鳴いているのだろうと、聞いていたら
それは、蝉の声でした。
こんな夜中に蝉?秋の虫でもあるまいし、蝉がどうして…
と思いながら、必死で鳴いている蝉の声を聞いていたら、短い一生を
寸分でも無駄にするまいと、鳴いている様に聞こえました。
それは生きている証しのような蝉の声でした。
蝉のいのちは土の中に7年、地上に出て一週間と聞いたことがあり
ます。
蝉たちの鳴き声を聞いていると、自分のいのちの長さを知って
いるような気がします。
蝉もまた、今ここを生きているのですね。
加藤周一さんが「日本では人々が『今=ここ』を生きている様に
みえる。
その背景には、時間においては「今」に、空間においては「ここ」に
集約される世界観があるのだろうと、言われています。
この何気ない「今 ここ」という感覚はもしかしたら、日本人特有の
感覚なのかもしれません。
詩人の谷川俊太郎さんは、「私たち日本人の感性の中にある
『今 ここ』感覚が、もしかすると日常性を超えた時空へつながる
可能性を秘めているのかもしれないと、言っています。
日本人って、ちょっと凄いかも…なんてオリンピックの金メダルを
一瞬首に提げて貰ったような感じになりました。
夜中の蝉のいのちも、私の中で生きているって気がします。
生きているということ
いまを生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
( 谷川 俊太郎 生きるより )
何かが外で鳴いているのです。
寝ぼけた頭で、何が鳴いているのだろうと、聞いていたら
それは、蝉の声でした。
こんな夜中に蝉?秋の虫でもあるまいし、蝉がどうして…
と思いながら、必死で鳴いている蝉の声を聞いていたら、短い一生を
寸分でも無駄にするまいと、鳴いている様に聞こえました。
それは生きている証しのような蝉の声でした。
蝉のいのちは土の中に7年、地上に出て一週間と聞いたことがあり
ます。
蝉たちの鳴き声を聞いていると、自分のいのちの長さを知って
いるような気がします。
蝉もまた、今ここを生きているのですね。
加藤周一さんが「日本では人々が『今=ここ』を生きている様に
みえる。
その背景には、時間においては「今」に、空間においては「ここ」に
集約される世界観があるのだろうと、言われています。
この何気ない「今 ここ」という感覚はもしかしたら、日本人特有の
感覚なのかもしれません。
詩人の谷川俊太郎さんは、「私たち日本人の感性の中にある
『今 ここ』感覚が、もしかすると日常性を超えた時空へつながる
可能性を秘めているのかもしれないと、言っています。
日本人って、ちょっと凄いかも…なんてオリンピックの金メダルを
一瞬首に提げて貰ったような感じになりました。
夜中の蝉のいのちも、私の中で生きているって気がします。
生きているということ
いまを生きているということ
鳥ははばたくということ
海はとどろくということ
かたつむりははうということ
人は愛するということ
あなたの手のぬくみ
いのちということ
( 谷川 俊太郎 生きるより )