初女先生の話をすると、あまり知らない人たちが決まっていう言葉が
あります。
「山崎さんって、追っかけですか?」
私が、追っかけではないと説明すると、次は「それって宗教ですか」
という質問が飛んできます。
その人達は、真面目な顔をして、理解できないというように聞いて
くるのです。
私は、ああこれが多くの人が持っている感覚なのかもしれないと
最近では思うようになりました。
若い頃、私に「人生に、たった一人でいいから師といえる人に
出会ったら、それは幸せなことだ」ということを教えてくれた
先生がいました
「師」というと、漠然と教師かなと思ってしまいますが
人生の師とは、そういうものではないと言われました。
その時から、私は人生の師を求めたいという思いを、心の片隅に
いつも持っていました。
そして私は、人生最大の絶望を体験した後に、初女先生と
出会ったのです。
それまで、私は「師」とは仰ぎ見るものかと思っていましたが
初女先生は、辛い時、深い悲しみの時、苦しい時に
隣人となって心を支えて下さいました。
私は、求めて求めていた「人生の師」にやっと巡り合えたと
思いました。
でも今、多くの人たちは「師を持つ」」という感覚もないようです。
こんな話をすると、「教祖なんですか」「それって宗教ですか」
という言葉が返ってくるのです。
これは、オウム真理教などの影響でしょうか…
そうであるなら、そのことによって日本人は大切な事を
置き去りにしてきたような気がします。
この宗教に対するアレルギーはなんでしょう…
仏教とかキリスト教徒とかでなくても、私達の祖先は
大いなるものの存在を感じて生活してきたように思います。
フランクルは、無神論者の中にも隠れた
「無意識の宗教性」を発見出来ると言っています。
そして、私たちが語ることも見ることもできないこの神は、
しかし、闇の中から絶えず私たちを見つめ、たとへ私たちが
そう気づいていなくても、絶えず私達と対話しつつある神
でもあります。と語っています。
「人生の師」を求めなくなり、
「それって宗教入ってる」などと言葉が普通に交わされる現在は
満たされている人達が、心のむなしさを感じてている時代だと
言われています。
豊かな国や社会ほど、自殺者が多いそうです。
現代人は、生活のテンポを速め絶えず自分を忙しくすることで
このむなしさを麻痺させようとしているといいます。
こういう時代の流れのなかで、初女先生という「人生の師」に
出会えたことは、なんと幸せなことだろう…
あります。
「山崎さんって、追っかけですか?」
私が、追っかけではないと説明すると、次は「それって宗教ですか」
という質問が飛んできます。
その人達は、真面目な顔をして、理解できないというように聞いて
くるのです。
私は、ああこれが多くの人が持っている感覚なのかもしれないと
最近では思うようになりました。
若い頃、私に「人生に、たった一人でいいから師といえる人に
出会ったら、それは幸せなことだ」ということを教えてくれた
先生がいました
「師」というと、漠然と教師かなと思ってしまいますが
人生の師とは、そういうものではないと言われました。
その時から、私は人生の師を求めたいという思いを、心の片隅に
いつも持っていました。
そして私は、人生最大の絶望を体験した後に、初女先生と
出会ったのです。
それまで、私は「師」とは仰ぎ見るものかと思っていましたが
初女先生は、辛い時、深い悲しみの時、苦しい時に
隣人となって心を支えて下さいました。
私は、求めて求めていた「人生の師」にやっと巡り合えたと
思いました。
でも今、多くの人たちは「師を持つ」」という感覚もないようです。
こんな話をすると、「教祖なんですか」「それって宗教ですか」
という言葉が返ってくるのです。
これは、オウム真理教などの影響でしょうか…
そうであるなら、そのことによって日本人は大切な事を
置き去りにしてきたような気がします。
この宗教に対するアレルギーはなんでしょう…
仏教とかキリスト教徒とかでなくても、私達の祖先は
大いなるものの存在を感じて生活してきたように思います。
フランクルは、無神論者の中にも隠れた
「無意識の宗教性」を発見出来ると言っています。
そして、私たちが語ることも見ることもできないこの神は、
しかし、闇の中から絶えず私たちを見つめ、たとへ私たちが
そう気づいていなくても、絶えず私達と対話しつつある神
でもあります。と語っています。
「人生の師」を求めなくなり、
「それって宗教入ってる」などと言葉が普通に交わされる現在は
満たされている人達が、心のむなしさを感じてている時代だと
言われています。
豊かな国や社会ほど、自殺者が多いそうです。
現代人は、生活のテンポを速め絶えず自分を忙しくすることで
このむなしさを麻痺させようとしているといいます。
こういう時代の流れのなかで、初女先生という「人生の師」に
出会えたことは、なんと幸せなことだろう…