人生とは、日々の暮らしの積み重ね。
その当たり前のことを、私たちはどこか忘れています。
丁寧に生きる初女先生を見ていると、どんな小さなことでも
それが自分の人生であり、生き方なのだと言う事に気づかされます。
そして、何があっても変わらない確かな日常の生活がそこには
あるのです。
震災で私は、自分のすべてが止まった気がしました。
日常の生活も、心が別のところに行ってしまったようで、地に足が
着かず、揺れていたような気がします。
イスキアで初女先生の暮らし振り見て、そのことに気がつきました。
「たとえば お米を研ぐ時。
私たちの年代だと小さい頃から教えられていますから、
といだ水はそのまま捨てないで、畑にまいたり。
といだお水で雑巾がげをすると、糠が入っているから
ツヤが出ますね。
そんなふうに水は1回ごとに捨てないで何回も使う。
それが戦後に衛生上悪いといわれ、みんながじゃんじゃん
捨て始めた。
でも私は捨てないように教わって育ったから、ずっと
そうやってきました。」
(ささやかなことが、流れを変えていく)
「今の生活の中で水の使い方や電気の使い方は、
身近なことなので、感謝まで行っていない、当たり前の
ことになっているんですね。
それが突然の大震災によって、どれだけ私たちが
水のお世話になっているか電気のお世話になっているか、
なくなって始めて気づいた。
それは小さなささやかなことですけれども、とても大きな
気づきではないでしょうか」
(佐藤 初女 いのちのことばより)
その当たり前のことを、私たちはどこか忘れています。
丁寧に生きる初女先生を見ていると、どんな小さなことでも
それが自分の人生であり、生き方なのだと言う事に気づかされます。
そして、何があっても変わらない確かな日常の生活がそこには
あるのです。
震災で私は、自分のすべてが止まった気がしました。
日常の生活も、心が別のところに行ってしまったようで、地に足が
着かず、揺れていたような気がします。
イスキアで初女先生の暮らし振り見て、そのことに気がつきました。
「たとえば お米を研ぐ時。
私たちの年代だと小さい頃から教えられていますから、
といだ水はそのまま捨てないで、畑にまいたり。
といだお水で雑巾がげをすると、糠が入っているから
ツヤが出ますね。
そんなふうに水は1回ごとに捨てないで何回も使う。
それが戦後に衛生上悪いといわれ、みんながじゃんじゃん
捨て始めた。
でも私は捨てないように教わって育ったから、ずっと
そうやってきました。」
(ささやかなことが、流れを変えていく)
「今の生活の中で水の使い方や電気の使い方は、
身近なことなので、感謝まで行っていない、当たり前の
ことになっているんですね。
それが突然の大震災によって、どれだけ私たちが
水のお世話になっているか電気のお世話になっているか、
なくなって始めて気づいた。
それは小さなささやかなことですけれども、とても大きな
気づきではないでしょうか」
(佐藤 初女 いのちのことばより)