明日で私の夏休みも終わり。
今日は朝から「書」三昧の一日でした。
小中学校とお習字が大嫌いだった私が、いい年して書を始めたことに
主人も子供も呆れてます。
きっかけは、体育館で書いた大きな字でした。
持ったことも無い大きな筆で、「光」と言う字をかいたのですが
筆が動いてくれず、まったく思ったように書けなかったのです。
普通なら「やーめた!」となるところでしょうが、私はこの思うように
ならない面白さに取りつかれたのです。
そして、習字ではなく「書」を習い出したのです。
普段は、中国の古い書の臨書ですが、年何回かはホールを借りて、
大きな筆で作品を書きます。
今日はその大きな作品を書く日でした。
さあ、書くぞと筆を持ち一回書いたら、筆が全く働いてくれず
途方にくれてしまい、紙の上に立ちつくしてしまいました。
「石」と言う字をかいたのですが、一画目で筆に拒否されてる感覚に
なってしまい、気持ちがしぼんでいくのを止められませんでした。
いつまで立ち尽くしていても、何も生まれないので思いきって
動いてみました。すると筆の感触が少し違ってきたのです。
相変わらず、少しも思うようにいかないのですが、そのことも
最初に「書」に出会った時のように、面白くなった時に先生が
「山崎さん、いい作品ができたじゃない!」と言って下さったのです。
先生曰く「これは、溶岩のような石ね。」と…
言われてみれば、本当に溶岩という感じの「石」です。
もう一度この感じで書きたいと思ったが、もう力尽きて書けませんでした。
今日は、思うようにならない面白さと向き合った一日でした。
気がつくと、足の裏が真っ黒…
生きていると、思うようになることの方が少ないかも知れません。
でも、その時イライラするのでなく、思うようにならないことを
楽しめてしまったら、人生がもっと楽しく生き生きしてくるかも
しれないと、溶岩のような「石」の字を見て思いました。
今日は朝から「書」三昧の一日でした。
小中学校とお習字が大嫌いだった私が、いい年して書を始めたことに
主人も子供も呆れてます。
きっかけは、体育館で書いた大きな字でした。
持ったことも無い大きな筆で、「光」と言う字をかいたのですが
筆が動いてくれず、まったく思ったように書けなかったのです。
普通なら「やーめた!」となるところでしょうが、私はこの思うように
ならない面白さに取りつかれたのです。
そして、習字ではなく「書」を習い出したのです。
普段は、中国の古い書の臨書ですが、年何回かはホールを借りて、
大きな筆で作品を書きます。
今日はその大きな作品を書く日でした。
さあ、書くぞと筆を持ち一回書いたら、筆が全く働いてくれず
途方にくれてしまい、紙の上に立ちつくしてしまいました。
「石」と言う字をかいたのですが、一画目で筆に拒否されてる感覚に
なってしまい、気持ちがしぼんでいくのを止められませんでした。
いつまで立ち尽くしていても、何も生まれないので思いきって
動いてみました。すると筆の感触が少し違ってきたのです。
相変わらず、少しも思うようにいかないのですが、そのことも
最初に「書」に出会った時のように、面白くなった時に先生が
「山崎さん、いい作品ができたじゃない!」と言って下さったのです。
先生曰く「これは、溶岩のような石ね。」と…
言われてみれば、本当に溶岩という感じの「石」です。
もう一度この感じで書きたいと思ったが、もう力尽きて書けませんでした。
今日は、思うようにならない面白さと向き合った一日でした。
気がつくと、足の裏が真っ黒…
生きていると、思うようになることの方が少ないかも知れません。
でも、その時イライラするのでなく、思うようにならないことを
楽しめてしまったら、人生がもっと楽しく生き生きしてくるかも
しれないと、溶岩のような「石」の字を見て思いました。