お仕事柄、読みたくない物も読みます。
確か、もなみも高校生のころ、読みました。
というか、やっぱり教科書かなんかで、読む羽目になったのだと思います。
で、好きではありませんでした。
もなみは、きれいなものとかキラキラしたものとか優しいものとかが好きです。
痛いもの恐いもの汚いものいやです。
高校生以来、「野火」は読んだことも手にしたこともありませんでした。
大人としてね。戦争を知ることは必要だろうし、人間性とか考えることは大切なことだろうし、
だから、この小説は、きっと読む価値もあるのでしょう。
読む価値のある小説だとも、確かにそうだとも思うんですが。
いやだ~。
でも、お仕事柄読まなくてはならないことになり、数十年ぶりに読みました。
しかも、ピックアップしたところは、何度も何度も繰り返し、細かく精読せねばならぬし。
そのグロテスクな表現の意味とか背景とか解釈とか考えなくちゃいけないし。
いやだ!
締め切りがギリギリだったので、お昼ご飯も食べないでお仕事していたら、
だんなちゃんが、ラーメン作ってくれたのですが、ダイニングに行っても頭が切り替えらない。
忘れろ!忘れろ!他のことを考えるんだ!
楽しくて、美しくて、きれいなものを頭に浮かべて、なんとかラーメンを食べたものの・・・。
お肉食べる気しない~~~↓
もう、吐きそう。
『野火』を読んで、戦争は悲惨だからよくない。って思うのも良いでしょう。
生きるとは何ぞやと考えもするし、生きる上での人間性って何?! 生は死は神は心は精神は肉体は。
本当の恐怖って、自分の中の残虐性って。
大人として、日本人として、人間として、ね、考えなきゃいけないことなのですよ。
ただ、好きか嫌いかと言えば、嫌い。読みたくない。
確か、もなみも高校生のころ、読みました。
というか、やっぱり教科書かなんかで、読む羽目になったのだと思います。
で、好きではありませんでした。
もなみは、きれいなものとかキラキラしたものとか優しいものとかが好きです。
痛いもの恐いもの汚いものいやです。
高校生以来、「野火」は読んだことも手にしたこともありませんでした。
大人としてね。戦争を知ることは必要だろうし、人間性とか考えることは大切なことだろうし、
だから、この小説は、きっと読む価値もあるのでしょう。
読む価値のある小説だとも、確かにそうだとも思うんですが。
いやだ~。
でも、お仕事柄読まなくてはならないことになり、数十年ぶりに読みました。
しかも、ピックアップしたところは、何度も何度も繰り返し、細かく精読せねばならぬし。
そのグロテスクな表現の意味とか背景とか解釈とか考えなくちゃいけないし。
いやだ!
締め切りがギリギリだったので、お昼ご飯も食べないでお仕事していたら、
だんなちゃんが、ラーメン作ってくれたのですが、ダイニングに行っても頭が切り替えらない。
忘れろ!忘れろ!他のことを考えるんだ!
楽しくて、美しくて、きれいなものを頭に浮かべて、なんとかラーメンを食べたものの・・・。
お肉食べる気しない~~~↓
もう、吐きそう。
『野火』を読んで、戦争は悲惨だからよくない。って思うのも良いでしょう。
生きるとは何ぞやと考えもするし、生きる上での人間性って何?! 生は死は神は心は精神は肉体は。
本当の恐怖って、自分の中の残虐性って。
大人として、日本人として、人間として、ね、考えなきゃいけないことなのですよ。
ただ、好きか嫌いかと言えば、嫌い。読みたくない。
「野火」 おうなはそのものをまだ読破していませんので語る資格はないのですが、もなちゃんの繊細な読後感想を読みながら何故か涙があふれて止まりません。
ダイジェスト版みたいなものを読んだり、インパール作戦の話を見聞きして当時の日本の軍の上層部に対し思うところ「大!」でありましたから、、、
もう30年ほど昔、関西に居ます甥の結婚式のついでに 常々「京都」にあこがれていましたので妹を誘って綿密に計画して散策したことがありました。
一番の目的京都御所、仁和寺ほかあちこち行きました。一生一度と思っていましたので今でもその時のことを時々思い出していますが心に深く残ったことがありました。
祇園の八坂神社から高台寺へ寄り、清水寺へと歩いて行きましたが、高台寺の近くでスポーツ用の上下にお線香をお持ちの初老の男性と道連れになり、「高台寺さんへ行かはるのでしたら、於ねさんのお住まいだった家のお庭を見ていかれたら?」と案内されてその日はお休みだった「茶店」の中を通ってお庭を見せていただきました。
高台寺へ続く小道の端には小さいお地藏さんが点在してましたが、その紳士はそれらにお手持ちのお線香を上げてお参りなさるのです。
そして「ここらはその昔 応仁の乱、いやそのもっと昔から一般庶民の人らが亡くなるとその亡骸をここらへ置きに来たところでした。そりゃ もう幾千人でしょうか、それじゃきかないかも、、、その上に私たちが生活しているのです。」
何と深い言葉でしょう! いろんなお寺は丁度紅葉の季節でそれはそれで素晴らしい京都でしたが、おうなはあの初老の紳士から受けた色々が今になっても京都の一番宝の時間と思っています。
日本の過去の戦争、ほんとに見たくないことがいっぱいですね。おうなもそう思います。
人間として心からその時々の懸命に生きた先人へ思いをはせていきたいものと思っています。
もなちゃんの優しいお気持ちきっと戦で亡くなった世界中の先人へ伝わっていますよ、きっとね。歴史はそうやって巡っていくのですね。
あの~ わざと文字変えたのかな? あまりに嫌で、、、 大岡昇平さん、、、
名前間違えました。インプットミスです。ごめんなさい。
そして、貴重なお話ありがとうございます。
どうも もなみは 歴史や現実と向き合う勇気と思慮深さに欠けるようです。
懸命に生きた先人への思い、確かにそうですね。
生きるとは、そういうことなのですね。