東京都美術館の 伊藤若冲生誕300年記念「若冲展」行ってきました。
若冲は、江戸時代京都の画家です。動植物を色鮮やかに描く手法で動植物、特に鳥の絵が素晴らしい。
一枚の羽を何本もの線で描いたり、花びらの一枚一枚、南天の実一個一個、紅葉の葉一枚一枚、濃淡があって、
それが一枚の絵の中でまとまって奥行きのある絵に仕上がっている。
特に二階の展示場いっぱいに広がっていた、相国寺に寄進した「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅は圧巻でした。
どこかの流派に所属している画家ではなく、ほぼ独学で描いた人なんだそうだけど、
この時代の日本画家には珍しく、花びら一枚の中に濃淡があって立体的に描いたり、
南天の実は、塗り重ねによって、色の幅を出したり、
紅葉は、裏から色を重ねることで、表情を表現したり、
1センチ角のモザイクで象のある景色を描いたり、これってパソコンの粗い画像みたい。
いろんな技法や、斬新な画法で、しかも精密な絵あり、シンプルなのに大胆な絵ありで、
誰かの流儀を学んでないとすると、どれだけ知識や技術が豊富だったんだろうと、不思議。
「私の絵は1000年後に理解される。」と謎の言葉を残したそうだ。
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ということで、ここからはもなみの想像。
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若冲は、実は江戸時代から見て1000年後の、つまり今から700年後の人で、
江戸時代に、タイムスリップしたんじゃないかと。
だから、当時ではありえない表現方法とか、構図とか、技術を知っていたんだ!
1000年後の自分のいた時代なら、絵は理解できるはずだ。
でも、意外にも早く、実は300年後の趙高感度カメラなんかの発達で若冲が思っていたより700年前に彼の絵は理解されて、現代で高く評価されるようになった。
とかね。
若冲は、江戸時代に生きていても、適当な時期になったら1000年後に戻れると思っていたんじゃないかな?
元に戻ったら、自分で自分の絵を理解してあげようって思っていたのかもしれない。
だとしたら、結局江戸時代に亡くなったのは、残念だったのか?それもそれでよかったのか?
あああ~~~。信長コンツェルトの見すぎだ。