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宮塚文子さん: バービー人形のドレスと小物、日本で試作→日本で製造 『バービーと私』著者 

2011年05月29日 16時54分22秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「バービーと私 着せ替えドレスを作り続けた半生記 宮塚文子<著>」という記事がありました。

書評欄で、注目の本を紹介するコーナーです。

バービー人形が発売されたとき、服と小物は日本で試作され、製造も日本で行われていたのだそうです。

宮塚文子さんは、1932年生まれです。
1957年に、「国際貿易」に入社し、退社するまでドレス担当主任をしていました。

バービー人形(リカちゃん人形の前に発売されたアメリカ人スタイルの着せ替え人形)は、最初の10年間あまり、日本で製造されました。

アメリカの会社が、日本の縫製技術の高さと賃金の安さに注目し、日本の会社に生産を依頼したのです。

宮塚さんは、帝国ホテルに借り切られた部屋に1年間通い、バービー人形のドレスや小物を試作しました。

9時から5時は帝国ホテル、その後は会社、終電で帰宅してからも仕事をし、「楽しくて仕方なかった」と著書『バービーと私』に書かれているそうです。

松永美穂さん(早稲田大学教授・ドイツ文学)の書評は、アメリカ人社員との関わり方など、女性の一代記としてもおもしろいとされています。

「働く意欲に関して、この本には時代を超えたたくさんのヒントが隠されていると思う」ということです。
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バービー人形は、アメリカでデザインされ、アメリカ製のイメージがありました。

日本の帝国ホテルでドレスや小物がデザインされていたとは、初耳です。


著者は、どんな方なのでしょう。

「宮塚文子」さんで見てみると、

「Books&Magazines」というサイトが最初に出てきました。
(http://www5.big.or.jp/~naoko/Book/index.htm参照)

バービー人形に関する本や雑誌(日本語と英語)を集めたサイトです。

日本語の『NOSTALGIC Barbie』(読売新聞社、1997年)に宮塚さんに関する記述があり、

読み物としては、初期のドレスをデザインしたアメリカ人デザイナー、シャーロット・ジョンソンさんのアシスタントを務めた宮塚文子さんのインタビューがおすすめ  とあります。


「富田昭次のコンシェルジュコラム|ホテル・ノスタルジア|ホテル」というサイトが2番目に出てきました。
(http://www.concierge.ne.jp/500_column/nostalgia_030.html参照)

富田昭次さん(立教大学卒業後、ホテル専門誌の編集記者・編集長を経て独立、ホテル・旅行作家)のホテルについてのウェーブマガジンです。

帝国ホテルでは、2009年に「バービー・デビュー50周年記念企画」という催しをしたのだそうです。

「バービーとは、言うまでもなく1959年にアメリカのマテル社から発売されたバービー人形のことだが、実はその記念すべきデビュー・ファッションを担当したデザイナーのシャーロット・ジョンソン女史は1957年から約1年間、帝国ホテル旧本館のライト館に滞在し、その間にバービーの衣裳案を作ったのだという。

ジョンソン女史は客室にミシンを持ち込み、国際貿易の宮塚文子(旧姓・中村)さんをアシスタントに、22点のドレスをデザインしたそうである」

と書かれてます。



宮塚さんは、デザイナーのシャーロット・ジョンソンさんのアシスタントをされていたのですね。

検索をした範囲では、宮塚さんご本人のホームページやブログは見つけることができませんでした。

バービー人形(何百万体)、ドレス、小物が日本で生産されたと記事にあり、どの地域でどういうふうに製造されたのだろうと思いました。


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