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浜岡原発: なぜ東海地震のまんなかに原発を建設したのか?着工してしまっていたから(昭和46年)

2011年05月10日 21時33分14秒 | 新聞
今日の朝日新聞に、「ニュースがわからん! なぜ浜岡原発だけ止めるんじゃ?」という記事がありました。

ニュースの背景を、分かりやすく解説してくれるコーナーです。

浜岡原発が東海地震の震源域の中央に建設されたのは、すでに着工してしまっていたからなのだそうです。

菅首相が、浜岡原発(中部電力)に、運転中止を要請しました。

浜岡原発は、「東海地震」の想定震源域のほぼ中央に位置しています。

政府の地震調査委員会によると、「東海地震」が今後30年以内に起きる確率は87%で、マグニチュード8クラスを予想しています。

フクロウのホー先生が、「なぜそんな場所に原発を建てたんじゃ?」と聞くと、

東海地震が注目され始めたのは、1976年(昭和51年)で、浜岡原発はすでに着工されていたと説明されています。

その後、他の原発よりも大きな揺れを想定して補強を行い、津波は8.3mの高さを想定し、海側にある砂丘(10~15m)で防げるとしてきた ということです。
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そういう理由だったのですね。

先日、複数の人と浜岡原発のことで話をした際に、「どうして東海地震の真ん中に原発を作ったの? そこが建設してもいいですよと言ったから?」という話があり、その場ではなぜだろうと答えが出ませんでした。

東海地震より先に、原発建設があったのですね。


東海地震が注目された1976年は、どうやって注目されるようになったのでしょう?

「東海地震 1976年」で見てみると、

「【解説2】東海地震と浜岡原発/ストップ浜岡」というサイトがありました。
(http://www.stop-hamaoka.com/kaisetsu-2.html参照)

東海地震のエネルギーの溜まり具合、危険性を解説したサイトです。

そこに「図8と図9は1976年の石橋克彦さんの震源モデルによります。静岡県は、長い間、石橋モデルにより被害想定をおこなってきました」という記述がありました。


「1976年 石橋克彦」さんで検索すると、

「石橋克彦 私の考え -2006年3月27日付静岡新聞1面記事」というサイトが最初に出てきました。
(http://historical.seismology.jp/ishibashi/opinion/onShizushin060327.html参照)

1976年に東海地震の可能性を指摘された石橋克彦さんの意見を掲載したサイトです。

当時は、「駿河湾大地震」という言葉で危険性を指摘されました。
(石橋克彦:東海地方に予想される大地震の再検討-駿河湾大地震について-,地震学会講演予稿集,1976 No.2,30-34,1976)


では、浜岡原発の着工はいつだったのでしょう?

浜岡原発は、静岡県御前崎市にあります。

中部電力は、1957年に火力部内に原子力課を設け、社として原発の調査研究を始めました。

最初は、三重県の3ヶ所が候補に挙がったのですが、それぞれの理由でダメになり、浜岡が候補になりました。

1970年に浜岡に現地調査事務所を設置し、1971年には建設所を開設しました。

(以上、ウィキペディア「浜岡減発」参照)


やはり、1976年より以前の1971年に、浜岡原発の建設が始まったのでした。

そんなに早い時期(昭和46年)に、原発が始まっていたということは意外でした。


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2 コメント

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Unknown (元単身赴任のYH)
2011-05-11 08:34:20
おはようございます。

そうだったんですか、知りませんでした。
作り始めて、「あちゃ~!」ってなったわけですね。
これから日本のエネルギー政策は、大きく変わるのでしょうか。

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元単身赴任のYHさんへ (モカ)
2011-05-12 05:08:59
おはようございます。

中部地方は、ものづくり、製造業が盛んな地域なんだそうですね。
それで電力も大量に必要だったんでしょうか。
エネルギー政策が変わるかは、注目ですね。

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