昨日の朝日新聞土曜版beに、「逆風満帆 「爆笑問題はトリオだ」 太田光代 上」という記事がありました。
爆笑問題の太田光さんの奥さんの光代さんは、芸能プロダクション社長で、「爆笑問題」の3人目の存在なのだそうです。
「爆笑問題」の2人太田さんと田中さんは、1990年代に所属していた芸能事務所を飛び出し、テレビ出演ができなかった時期がありました。
光代さんは、楠田枝里子さんのモノマネ等で知られるタレントで、コメディーもできる女優をめざしていました。
夫の窮状を見て、自分も事務所を辞め、芸能プロダクション「タイタン」を立ち上げ、爆笑問題の売り込みに専念しました。
光代さんは、生まれたときからお父さんがいなかったそうです。
母親が妊娠したことを知らず、別の女性と結婚しました。
1月違いで腹違いの弟さんがいます。
20歳のとき、父親が経営する飲食店に行ってみると、あまりにも自分と似ていてお互いに驚きました。
母親は生命保険の外交員をして生計を立て、光代さんは先天性股関節脱臼のため3歳まで病院で暮らしました。
子どもで亡くなる人を見て、「思い切り生きよう」と思うようになりました。
芸能人の売り込みは、人は成長もすれば時流で価値も変化するので難しく、出演料を高くしすぎると敬遠され、それでも少しずつ高くしていくことが、より高いポジションに上るためには必要です。
アンテナを張ってバランスを見極め、交渉する力が必要です。
20年来の付き合いがある菅賢治制作局次長によると、
「僕は、爆笑はコンビではなく、トリオだと思っています。2人は天才だけど、営業はできない。光代ちゃんがいなかったらスターになっていなかった」
ということです。
--------------
太田さんの奥さんが社長さんとは知りませんでした。
太田さんは光代さんのことを「みっちゃん」、光代さんは「アーリン」(ダーリンの変形)と呼ぶとも書いてありました。
爆笑問題の太田光さんの奥さんの光代さんは、芸能プロダクション社長で、「爆笑問題」の3人目の存在なのだそうです。
「爆笑問題」の2人太田さんと田中さんは、1990年代に所属していた芸能事務所を飛び出し、テレビ出演ができなかった時期がありました。
光代さんは、楠田枝里子さんのモノマネ等で知られるタレントで、コメディーもできる女優をめざしていました。
夫の窮状を見て、自分も事務所を辞め、芸能プロダクション「タイタン」を立ち上げ、爆笑問題の売り込みに専念しました。
光代さんは、生まれたときからお父さんがいなかったそうです。
母親が妊娠したことを知らず、別の女性と結婚しました。
1月違いで腹違いの弟さんがいます。
20歳のとき、父親が経営する飲食店に行ってみると、あまりにも自分と似ていてお互いに驚きました。
母親は生命保険の外交員をして生計を立て、光代さんは先天性股関節脱臼のため3歳まで病院で暮らしました。
子どもで亡くなる人を見て、「思い切り生きよう」と思うようになりました。
芸能人の売り込みは、人は成長もすれば時流で価値も変化するので難しく、出演料を高くしすぎると敬遠され、それでも少しずつ高くしていくことが、より高いポジションに上るためには必要です。
アンテナを張ってバランスを見極め、交渉する力が必要です。
20年来の付き合いがある菅賢治制作局次長によると、
「僕は、爆笑はコンビではなく、トリオだと思っています。2人は天才だけど、営業はできない。光代ちゃんがいなかったらスターになっていなかった」
ということです。
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太田さんの奥さんが社長さんとは知りませんでした。
太田さんは光代さんのことを「みっちゃん」、光代さんは「アーリン」(ダーリンの変形)と呼ぶとも書いてありました。
光代さんは、トリオであると同時に
コンビを陰で支え、後押しした「母親」のようでもあったのですね!身内だからできる”業”って感じです
人と共に何かを作り上げていくことは、すばらしいですね!
そして、彼女のパワーの源には、
「思い切り生きよう(生きたい)」という気持ちがあるのが、印象的でした。
爆笑問題は、お笑いの以外に時事問題関連でも活動していらっしゃいますね。