昨日の朝日新聞夕刊に、「三谷幸喜のありふれた生活 445 特別な大先輩、向田さん」という記事がありました。
三谷さんが毎週書いていらっしゃるコーナーで、向田邦子さんの脚本について語っていらしゃいます。
仕事の合間には向田さんの作品のDVDを観るようにしていて、三谷さんにとってバイブルなのだそうです。
面白い映画や芝居に出会うと、「なんで自分にはこういうものが作れないんだ!」と無償に悔しくなりますが、向田さんの作品はポカンと口を開けて画面を見つめるだけです。
脚本家は、キャラクターの個性を出す時に、どうしても台詞に頼ってしまい、そのため、台詞が多くなるのだそうです。
向田さんは、台詞量はむしろ少なく、その代り、行動でキャラを表現します。
「阿修羅のごとく」という作品では、滝子という女性が姉に電話をします。
姉はちょっと抜けたところがあって、途中でそばにいた家族と話し込んで、妹のことを忘れてしまいます。
だいぶたってから夫に言われて思い出し、再び受話器を手に取ると、そこで画面が切り替わり、滝子が映し出されます。
彼女は公衆電話に小銭を入れながらひたすら待っていました。
「電話を忘れてしまう姉のキャラもいいけれど、じっと待っている妹(それもかなりの長時間)の怖さ。しかも待っている間、淡々と十円玉を入れ続けていた風なのだ。この瞬間だけで、彼女の、なんだかジトッとした個性が浮き上がって来る。簡単なように見えるかもしれないけど、今の僕には到底思いつけない設定だ」
ということでした。
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三谷さんが、向田さんを高く評価していらっしゃるところが興味を引きました。
プロは目をつける箇所が違うと感じました。
三谷さんが毎週書いていらっしゃるコーナーで、向田邦子さんの脚本について語っていらしゃいます。
仕事の合間には向田さんの作品のDVDを観るようにしていて、三谷さんにとってバイブルなのだそうです。
面白い映画や芝居に出会うと、「なんで自分にはこういうものが作れないんだ!」と無償に悔しくなりますが、向田さんの作品はポカンと口を開けて画面を見つめるだけです。
脚本家は、キャラクターの個性を出す時に、どうしても台詞に頼ってしまい、そのため、台詞が多くなるのだそうです。
向田さんは、台詞量はむしろ少なく、その代り、行動でキャラを表現します。
「阿修羅のごとく」という作品では、滝子という女性が姉に電話をします。
姉はちょっと抜けたところがあって、途中でそばにいた家族と話し込んで、妹のことを忘れてしまいます。
だいぶたってから夫に言われて思い出し、再び受話器を手に取ると、そこで画面が切り替わり、滝子が映し出されます。
彼女は公衆電話に小銭を入れながらひたすら待っていました。
「電話を忘れてしまう姉のキャラもいいけれど、じっと待っている妹(それもかなりの長時間)の怖さ。しかも待っている間、淡々と十円玉を入れ続けていた風なのだ。この瞬間だけで、彼女の、なんだかジトッとした個性が浮き上がって来る。簡単なように見えるかもしれないけど、今の僕には到底思いつけない設定だ」
ということでした。
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三谷さんが、向田さんを高く評価していらっしゃるところが興味を引きました。
プロは目をつける箇所が違うと感じました。
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