ある40代女性の生活

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「篤姫:22」と「いじわる日本史」

2008年06月02日 06時45分52秒 | 新聞
「篤姫 第22回 将軍の秘密」(NHK、午後8:00-)を見ました。

篤姫(宮崎あおいさん)は、真の夫婦になるために、自分が大奥に来たのは一橋派の慶喜を次期将軍とするためと家定(堺雅人さん)に話します。家定も「自分は父の9番目の子供で、26人いた兄弟は皆亡くなり、私も毒を何度も盛られて身体はぼろぼろだ。私は誰一人として信用できない」と篤姫に語りました。

朝日新聞土曜版beの「いじわる日本史」で、「「篤姫」生んだ薩摩の特異性」という記事を及川智洋さんが書かれていました。

篤姫の養父の島津斉彬(大河では高橋英樹さん)は、幕末屈指の名君とされます。
大河の時代考証をされている原口泉さんによると、島津斉彬の曽祖父の島津重豪(しげひで)が全く新しい薩摩を作り、薩摩が特異な存在となるきっかけになった人物ということでした。

島津重豪は、娘を将軍の正妻にする、外様大名の島津から「御台所」を出すという前例を作り、「高輪下馬将軍」と呼ばれる政治権力を持ち、シーボルトと親交を持つインテリだったということです。

島津重豪の参考文献とされる芳即正『島津重豪』吉川弘文館は、図書館等で探しましたが、読むことができませんでした。

ウィキペディアによると、人物紹介として
①学問 
  藩校「造士館」を開設し、多くの本を刊行しました
②政略結婚
  それまで島津氏は将軍家や有力大名との婚姻を避ける傾向があったのを、積極的に政略結婚を進める政略に転じた(子供は13男と11女まで紹介され、それぞれが有力な所と婚姻関係になっています)
③浪費家
  これらの政策による莫大な出費のため、多くの借金をしました
④超人的な活力
  80歳を越えても薩摩から江戸、長崎と各地に行き、酒豪で、
  69歳の時に子供黒田長溥が生まれました

考えも行動も、規模の大きな方だったようです。


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