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いっこく堂さんのお父さん: 食堂、タンカー、精肉店 迷わない方

2010年08月09日 09時31分35秒 | 新聞
昨日の朝日新聞に、「おやじのせなか いっこく堂さん 思い立ったらすぐ行動」という記事がありました。

各界の方に、お父さんのことを語ってもらうコーナーです。

腹話術師のいっこく堂さんのお父さんは、食堂、タンカーの食事係、精肉店と仕事を変えながら家族を養い、迷うことのない性格の方なのだそうです。

いっこく堂さんのお父さんとお母さんは、食堂「サンドウイッチショップたまき」を、沖縄市で経営していました。

アメリカ兵や飲み屋の店員さんが主なお客で、アメリカ兵のペイデー(給料日)は、人がたくさん来て繁盛したそうです。

カレー、野菜炒め、ぜんざいなど、何でも出しました。

いっこく堂さんと弟さんは、家にいても寂しいので、店で椅子を並べて寝たこともありました。

コザで暴動が起き、アメリカ兵の夜間外出が禁止されたため、お客さんが減って閉店。

お父さんは、タンカーの食堂の下働きとして働き始めます。
3年半働いた間に、家に帰ったのは1度だけ。

お母さんは、電報が届くたびに、「何かあったのでは」と心配していました。
お父さんは、「メガネザルを見た」などと楽しそうに話していらっしゃいました。

その後は、精肉店、ライター工場と職場を変え、食堂を始める前はタイヤ工場で働いていました。

「今思えば、家族を養うために「やらなきゃ」という気持ちだったんでしょうね」

お父さんは、決めたらぱっと行動する方で、「どうしようか」と迷ったりはしない性格なのだそうです。

いっこく堂さんには、本当は公務員になってほしいと考えていらっしゃいましたが、いっこく堂さんは高校を卒業するとすぐに東京へ行きました。

役者になりたいと努力しましたが、うまくいかず、22歳で沖縄に帰ります。
お父さんは「今からでも遅くない」と、大学進学を勧められました。

いっこく堂さんは「やっぱり役者をやりたい」と、1カ月でまた東京へ出ます。

劇団に入ったものの、一人芸が向いていることに気付き、交通安全の腹話術を思い出しました。

最初の1年は、毎日8時間練習し、児童館やお祭りを回って、何とか食べられるようになりました。

35歳のときに、テレビの報道番組で特集を組んでもらい、お父さんから電話がかかってきました。

「よくがんばったなー。無理だと思ったけれど、根性あるなー」と言ってくださいました。

父の望みとは違う道だけど、やっと許してもらえた気がしたいうことです。
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タイヤ工場、食堂、タンカー、精肉店、ライター工場と働かれ、ずっと家族を養われたのは、すばらしいことです。

いっこく堂さんは、最近は外国語(英語と中国語。韓国語を勉強中)で腹話術をされ、アメリカ、ヨーロッパ、アジアで公演していらっしゃると記事にありました。


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