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姫路城: 漆喰左官の柴田正樹さん 偶然で人生が変わった

2010年04月22日 07時29分08秒 | 新聞
昨日の朝日新聞夕刊に、「ニッポン人脈記 世界遺産に生きる 4 江戸の技 支える師弟愛」という記事がありました。

世界遺産に関わる方たちを、テーマごとに伝えるシリーズです。

現在、「平成の大修理」を行っている姫路城で、漆喰(しっくい)をとり仕切っている柴田正樹さんは、ひょんなことで、この世界に入ることになったのだそうです。

柴田さんが、高校3年のとき、受験勉強の合間にテレビで歌番組を見ていました。
CMになったので、チャンネルを変えたところ、教育テレビで姫路城の漆喰屋根を、専門の左官さんが修理している番組になりました。

世界遺産に決定する直前の姫路城で、左官職人は田淵靖さんでした。
番組では、田淵さんより若い職人がいず、この技術はいずれ途絶えてしまうと伝えていました。

柴田さんは、もともとお城が好きでした。
小学校のとき、雑誌の付録の下敷きの大阪城がかっこいいと思いました。

厚紙で城の模型を作ったり、卒業文集の表紙に城の絵を描いたりしました。
姫路城が江戸時代の建築物を多く残すことを知り、一番好きになり、2度訪れていました。

姫路の会社を探して、「左官職人になりたいんです」と連絡しました。

職人の世界は、昔気質で、技は見て盗むものとされています。
田淵さんは、新米の柴田さんを、つきっきりで仕込みました。

「漆喰の材料の配合は、日当たりや塗る時期に応じて考えなあかん」
「壁も屋根も定規で測ったわけではない。素朴さがあったほうがええ」

柴田さんは、ノートに書きとめては、必要に応じて何度も読みました。
気がつくと、白壁、瓦屋根、格子窓と、田淵さんのもとで姫路城の4割ほどを塗っていました。

指導した田淵さんは、「昭和の大修理」に参加していました。
高度経済成長で、周囲の職人がコンクリートに向かう中、漆喰をめざしました。

漆喰の寿命は約20年、何度も塗り直す必要があります。

田淵さんは、「平成の大修理」も行うつもりでしたが、2007年(平成19年)に病気で亡くなります。
家康の時代から400年、匠の技は柴田さんに引き継がれました。

柴田さんは、「あのときチャンスを逃さなくてよかった」と振り返ります。
現在は、若手を率いる立場にある、ということです。
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漆喰の配合が、日当たりや塗る時期で変えてあるとは、知りませんでした。
平成の大修理が完了して、姫路城を見にいく機会があったら、漆喰をじっくり見そうです。


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