ケン太とのprecious days

3度の不登校を経て、なんとか高校を卒業し、社会人になったケン太。社会での成長&安定を見守る母のブログです。

最初の不登校 2 ~3回の家出~

2012-11-01 13:23:01 | 不登校のこと
最初の家出で、塾はやめました。

でも、息子は勉強から逃れたかったわけではありません。
私達の叱責から逃れたかっただけでした。
「受験はしたい」と言いました。

その後、主人とマンツーマンで勉強したり、近くののんびりした塾へ行ったり、
そこが閉鎖されると、また違う大手塾に行ったりしました。
しかし、最後の塾も量が多く、息子が体調不良を訴えるようになり退塾。

5年生の5月には塾をやめ、自宅学習に切り替えていました。

勉強のスケジュールは主人が息子と相談して立てていましたが、実行できないと
量を調整して組み替えます。

しかし、いくらハードルを下げても、飛べなくなっていました。

こんなに下げてもできない。。。

どこまで下げればいいのだろう。本当はここまでやる必要があるのに・・・
家で勉強することになったので、勉強が進まない息子の姿が否が応でも目に入ってきます。

それを見ているとイライラしてきます。押えきれない叱責。
あとで自責の念にかられても、また同じ場面で繰り返す言葉。

その頃、私は、認知症の母を自宅で介護していたこともあり、
精神的に余裕がありませんでした。
そのために、息子への苛立ちを必要以上に感じてしまっていました。

私は精神的に最悪の状態でした。

しかし、息子が一番苦しんでいただろうに。。。
その時はそう思ってあげることができませんでした。

高いハードルを飛べないならわかります。
どんどん下げられるハードルを飛べない自分。
飛べなければ認められない自分。

息子はどんどん自信を失っていったに違いありません。

いさかいの翌日、学校をお休みすることが多くなりました。
親への当てつけだったのでしょう。


5年生の7月、息子はひとりで主人の母がいる北海道へ遊びに行きました。

来年の夏は天王山。息抜きのつもりでした。
1週間の自由な生活から戻ると、もう勉強が手に付かなくなっていました。

「やる」と言っても口だけで、なかなかやらない息子に腹をたて、
「出て行きなさい!」と、叩きつけてしまいました。

「出て行く」
そういって息子は玄関に向かいました。クールな反応でした。

実はその前にも2回目の家出をしていました。
きっと、戻るつもりはない・・・瞬時にそう感じました。

私は息子の腕をつかみ、引き止めました。

「離せ!」「出て行く!」
息子は激しく抵抗しました。

私から逃れるために、私に蹴りをいれ、髪の毛をひっぱり、
顔をげんこつで叩いたり、平手で打ったり・・・・あらゆる手段で攻撃してきました。


これが暴力の始まりです。

「俺が今までどんな気持ちだったか、これでわかったか」
「お前なんて顔もみたくない。消えろ。死ね。自殺しろ」
「俺の奴隷になれ!」

それまで、反抗する時は泣きじゃくっていた息子でしたが、
この時は違いました。

その時の凍りつくような視線・・・息子の目は子どもの目をしていませんでした。

壊れてしまった。。。

何をされても、私は息子を掴んで離しませんでした。
2時間ぐらい、されるがままでした。
私はもう力の限界に達しました。

友達と約束しているというので、ちゃんと帰ってくるという約束で家を出しました。
私は心配で、帰宅時間に、その友達の玄関が見える場所に隠れていました。
息子は友達の家を出て、我が家の方向へ向かっていましたが、私の姿を発見するや否や
逆方向へ逃げていってしまいました。

1時間後、近くのレンタルビデオ屋さんで息子を発見しました。
もう逃げたりはしませんでした。

欲しいと言った、攻略本を買ってあげました。


その日を境に私達夫婦は息子に何も言えなくなってしまいました。



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