昨日の夜、ケン太が持ち帰ったもの。
UFOキャッチャーでゲットしたのだとか。
20cmくらい?まあまあな大きさです。
1,000円投資らしいです。
どうでもいいけど、ピアノの上に飾ってあります
ケン太の幼稚園時代に微熱が続いていたという話。
思い出しましたので、少し書きますね。
確か、インフルだったと思いますが(定かでない)
出席停止期間が開けて、登園したわけですが、
次の日、微熱が出て休み、下がって行ったと思ったら、また休み、
まだ体調が万全ではないのかなと心配していたのです。
その時に、担任の先生の言葉です。
正確には・・・・
「精神的なものでいくらでも熱は上がりますからね。37.5℃くらいまでなら来させてください。」だったかな。
ケン太は初登園の日、園舎の入り口で親から剥がされる時に大泣きでした。
教室に入ってもずっと泣き声が聞こえてきて、ママ友に笑われたくらいです
その後、毎朝、大泣き
「お母さん、こっちを振り向かないで行っちゃってください!」と毎度、言われ、
毎朝、ケン太の泣き声を背に、小走りに園から去っていきました。
ここで、泣いている子がかわいそうなどと思いが残ってしまうと、
子どもはそれを察して、甘えが出て、余計に離れられなくなってしまう。
ずっと離れなかったり、教室まで付いて行ったりすると、
他の子に「いいな」と甘えが伝染してしまう可能性もあり、それを避けたかったのもあると思います。
心を鬼にして、子どもの自立のためにそういった対応をとる必要があったということですね。
インフルで数日間休んで、園に行って、
遊びが変わってきている。友達との距離感?自分の立ち位置?
数日間で変化していることを感じ取ってしまったようです。
繊細さが出てしまいましたね。
先生もそれを感じ取っていらっしゃったのでしょうね。
だから、メンタルって決めてましたもん(笑)
2、3日休んでしまったタイミングで、
担任の先生が夕方訪問してくださり
「明日から来てくれるかな?」と先生と指切りげんまんして、
翌日から、問題なく行けるようになったのです。
微熱も出やしません(笑)
先生の言う通りだ~とここで初めて納得できました。
この時はそれで行けてしまったのだから、まだかわいかったなと思ったりしますが
今、思い出すと、園側の対応ってビシッとしていましたね。
皆で遊んでいる時に、ケン太を叱ったら蹴られたので、それを先生に報告したら、
「お母さんは周りの目を気にして叱ったのではないですか?」と。
ドキ!
ケン太を叱らなければということよりも、ここは親として叱っておこうというポーズ?
親としてちゃんとやっているんだという周りの目を意識する方が先だった?
それをケン太に見抜かれたから蹴られた??
そうかも~と思ったよ~
先生の見立てはいつも的確でした。
定年を迎え一時期、退いたのに、また呼ばれた大ベテランの先生でした。
だからこそ、ビシッと言えたのだと思います。
その時のことを思い出すと、今の時代はどうなんだろうと思います。
さすが、コロナの感染対策をしている時に、
37.5℃までは来い!なんて言えないだろうけど、
コロナに関係なくても、言えないのではないかと思う。
今は「無理させないように」ですものね。
お休みしたら、本人が動き出すのを待つ?
ケン太は止まりそうだったけど、先生が家に来てくれて、
指切りげんまんして、背中を押してくれた。
それがなかったら、ケン太はあのまま幼稚園に行けなくなっただろうと思います。
幼稚園に行って、また楽しく遊べて、
微熱が下がってしまうことも知らないで終わったかも?
まだ病気だから治るのを待つしかないと思ってしまったかも?
あの時のことはとても印象的に記憶に残っています。
今もそれが根底にあります。
UFOキャッチャーでゲットしたのだとか。
20cmくらい?まあまあな大きさです。
1,000円投資らしいです。
どうでもいいけど、ピアノの上に飾ってあります
ケン太の幼稚園時代に微熱が続いていたという話。
思い出しましたので、少し書きますね。
確か、インフルだったと思いますが(定かでない)
出席停止期間が開けて、登園したわけですが、
次の日、微熱が出て休み、下がって行ったと思ったら、また休み、
まだ体調が万全ではないのかなと心配していたのです。
その時に、担任の先生の言葉です。
正確には・・・・
「精神的なものでいくらでも熱は上がりますからね。37.5℃くらいまでなら来させてください。」だったかな。
ケン太は初登園の日、園舎の入り口で親から剥がされる時に大泣きでした。
教室に入ってもずっと泣き声が聞こえてきて、ママ友に笑われたくらいです
その後、毎朝、大泣き
「お母さん、こっちを振り向かないで行っちゃってください!」と毎度、言われ、
毎朝、ケン太の泣き声を背に、小走りに園から去っていきました。
ここで、泣いている子がかわいそうなどと思いが残ってしまうと、
子どもはそれを察して、甘えが出て、余計に離れられなくなってしまう。
ずっと離れなかったり、教室まで付いて行ったりすると、
他の子に「いいな」と甘えが伝染してしまう可能性もあり、それを避けたかったのもあると思います。
心を鬼にして、子どもの自立のためにそういった対応をとる必要があったということですね。
インフルで数日間休んで、園に行って、
遊びが変わってきている。友達との距離感?自分の立ち位置?
数日間で変化していることを感じ取ってしまったようです。
繊細さが出てしまいましたね。
先生もそれを感じ取っていらっしゃったのでしょうね。
だから、メンタルって決めてましたもん(笑)
2、3日休んでしまったタイミングで、
担任の先生が夕方訪問してくださり
「明日から来てくれるかな?」と先生と指切りげんまんして、
翌日から、問題なく行けるようになったのです。
微熱も出やしません(笑)
先生の言う通りだ~とここで初めて納得できました。
この時はそれで行けてしまったのだから、まだかわいかったなと思ったりしますが
今、思い出すと、園側の対応ってビシッとしていましたね。
皆で遊んでいる時に、ケン太を叱ったら蹴られたので、それを先生に報告したら、
「お母さんは周りの目を気にして叱ったのではないですか?」と。
ドキ!
ケン太を叱らなければということよりも、ここは親として叱っておこうというポーズ?
親としてちゃんとやっているんだという周りの目を意識する方が先だった?
それをケン太に見抜かれたから蹴られた??
そうかも~と思ったよ~
先生の見立てはいつも的確でした。
定年を迎え一時期、退いたのに、また呼ばれた大ベテランの先生でした。
だからこそ、ビシッと言えたのだと思います。
その時のことを思い出すと、今の時代はどうなんだろうと思います。
さすが、コロナの感染対策をしている時に、
37.5℃までは来い!なんて言えないだろうけど、
コロナに関係なくても、言えないのではないかと思う。
今は「無理させないように」ですものね。
お休みしたら、本人が動き出すのを待つ?
ケン太は止まりそうだったけど、先生が家に来てくれて、
指切りげんまんして、背中を押してくれた。
それがなかったら、ケン太はあのまま幼稚園に行けなくなっただろうと思います。
幼稚園に行って、また楽しく遊べて、
微熱が下がってしまうことも知らないで終わったかも?
まだ病気だから治るのを待つしかないと思ってしまったかも?
あの時のことはとても印象的に記憶に残っています。
今もそれが根底にあります。