暑いですねぇ~
この猛暑で、少しずつ、地熱が上がってきているようで、朝、雨戸を開けた瞬間から暑いです。
今日は、カーブスにピアノ・・・出かけたりもしましたが、夏バテすることもなく、元気です。
食欲も旺盛です(暑さで食欲不振になったことなどない)
主観的幸福感ですが・・・・
認知症患者さんで、改善傾向が見えてきて、数値の上でもよくなってきて・・・
本来であれば、認知症は良くなることはないとされているものなので、少しでも改善傾向がみえてきたことは、この先の希望にも繋がることであり、喜ばしいことだと思うんです。
でも、必ずしも、ご家族の方がそれに喜ぶとは限らないそうです。
その結果に喜び、この先に希望も見えてきて、心が楽になる人がいる一方で、
少し改善はしたといっても、まだ、本来の状態ではない。
それ以上に改善するのは難しいのではないか・・・
まだまだ、喜びを感じるには至らない人もいる。
どこに「幸福感」を感じるのかは、あくまでも「主観的」なもののようです。
何度も同じことを言うのでイライラしてしまうとか?常に、目が離せないとか?
家族さんの「辛さ」「大変」さがどれだけ解消されるか・・・
「幸福感」を感じるとしたら、その苦しみから開放されてこそ?
「症状の改善」はその手段に過ぎないそうです。
不登校でも同じではないかなと思いました。
完全不登校の状態から、少し学校に行けるようになったとして・・・
「学校に戻れてよかった!」
「学校に通えるだけでよし。元気で通ってくれれば」と願う人と・・・
「学校に戻れてよかった!」と、ここまでは一緒でも、
「戻ったはいいけど、勉強しなくなった」
「相変わらず、ゲームばかり」と、不安、不満がいつまでも消えない人・・・
(うちの主人は、学校に戻っても、勉強しないのなら、戻っても意味がないと言っておりました)
ここでも大きく「幸福感」が違ってくると思います。
先日、友達と、何かにつけて、文句を言いたい人・・・の話をしていました。
そういう人って、正義を振りかざして?状況を良くしようとしているのかもしれませんが、
文句って言えば言うほど出てくるんですよね。尽きることがない。
良い面を見ようとする・・・ことから遠ざかってしまう。
結局「幸福感」から見放されてしまっていると思います。
「幸福」になりたいのなら「幸福そうな人」の側にいるといいと言います。
「幸福」って伝染するのですよね。
子どもの幸せを願うのなら、親が「幸福感」を感じられればいいのだと思います。
認知症状の改善には、いろんなアプローチがあるのですが、
「どうぜ、治らないんでしょ?気休めにしかならない」という気持ちでアプローチするのと、
「なんらかの効果はあるのでは!」と信じて、アプローチするのでは、結果が違ってくるそうです。
カーブスでも、
「筋トレしている時は、意識を筋肉に集中させてくださいね。今日の夕飯は何にしよう?とか違うことを考えてはダメですよ(笑)」と言われます。
筋肉に意識を集中させるのと、そうでないのとでは筋肉のつき方が違ってくるそうです。
「幸福」はそう簡単に向こうからはやってこないですよね。
自分でしっかり引き寄せてくださいね!
いつもありがとうございます。
応援ポチよろしくお願いいたします。
にほんブログ