かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

風花や 天地のふしぎ 推しはかる

2012-02-18 07:10:24 | アズワンコミュニテイ暮らし
 2月16、17日、一泊二日の”アズワンコミュニテイー
ふだん着で探訪”があった。
 
 快晴で、朝は底冷えしていた。日なか、陽射しのなかで
白いものがちらついた。雪だった。北のくにからくるのかな。

 鈴鹿市内に住み、自然農をたのしんでいる60歳半ばの
男の人。
 昨年の3・11以後、生地の福岡に戻った男の人。
仕事から離れている。40代前半。
 介護職について、生き方や社会を考えているさいたま市から
来られた女の方。
 
 どの人も、鈴鹿在住の須賀亨、はるみさん夫妻となにかの
つながりがある。お互いの面識はなかったけど、だんだん
うちとけていく感じだった。

 それぞれの方が実際に見学したり、夜の懇談会で
コミュニテイにかかわっている人の話を聞きながら、
「分かってきた」というところと、「ますます分からない」
というのが湧いてきているようだった。


街のはたけ公園にて、野菜づくり、蓮根池、ぶどうやミカンの
話を聞く。




おふくろさん弁当屋さん。「おいしそうねえ」
しばし見つめる。メニュー「おでんと酢豚」



17日朝、里山体験。高崎広さん、受け入れ。
椎茸の植菌。



木に吊ってあるブランコを発見。お歳も忘れて、宇宙遊泳?

 「みなさんの話を聞いていると、”これに向かってやって
行くぞ”という理念というものがないんじゃないか。
力が入っていない。理念がないのが理念みたいな・・?」

 「どうもその事業や、やることを目標にしていないみたい。
やろうという人がやりたいだけやる。やりたくなくなったら、
続けなくてもよい。そんなことで、やれるのかなあ?」

「ここの人たちをつなげている共通のものって、
どんなことだろう?」

 「コミュニテイーと言ったら、農業が主体というイメージが
あるけど、どこにでもあるような街でやっている、それは
どんなことだろう?」

「鈴鹿カルチャーステーションとか、お弁当屋でも、資金が
なければ、やろうとしても、できないじゃないですか?
その辺はどんなふうになっているのか?」

 「その気持ちのある人が、今は使っていないお金を
コミュニテイーに預けるといっても、そこまでやれるには
人と人の信頼関係がないとできないでしょうね。
最初にシステムありきでは、ないみたい?」

 「地域通貨リンカは、いくらマイナスでも使うことができる。
コミュニテイー全体では、プラス・マイナスゼロと聞いても、
納得できない。”返さなくてもいいの?”エーという
感じ」

「食堂で食べても、お金を出す人が偉そうにする。お金が
人生を決める。犯罪や殺人でも、金が絡む。”金ってなんだ”
調べたことがある。あきらめていた。どうも、前向きに
考えていく方向があるのかなと今、おもえる・・・」


17日昼、”あっとほーむ本山”で昼食。

 17日午後、鈴鹿カルチャーステーションで解散。
 だれともなく、「写真撮ろうよ」


 晴れているものの冷えてきて、風花が舞うような空だった。

 

 
 

 

やらなくっちゃ!

2012-02-16 08:16:19 | サイエンズスクールのある暮らし
 ことさら強くじぶんのなかに出てきたときのことだけでは
なさそうだ。
 なにか焦ったり、しまったとおもったり、「もしできなかったら
どうしよう」とか、いろいろな表れかたをしている。

 お弁当屋さんの肉の下ごしらえをしている。
 発注書を見たとき、どんな反応が起きているだろう?
 一瞬、「やるもの」というのが、まずあるようだ。
 「やれるかな、やれないかな」とおもうときもある。
 「やれるな」となったら、少々「面倒だな」とおもったり
「やりたくないなあ」という気持ちがあっても、「やる」と
いうことにしている。
 
 「そんな事情ならしかたないなあ」という場合もある。
 そんなとき、「やろう」というのは、どんなところから
出てくるのだろう。
 「そういう状況ならやろう」というのは、おかしなことは
ないようにおもってきた。
 そういう状況があっても、やらない時もある。
 そういう状況があっても、「やりたくないなあ」と
おもうときもある。
 そういえば、「やりたくないなあ」というのも、じぶんの
状況でもある。
 自分の状況、あるいは気持ち、あるいは意思はどこなのか?

 あずわん・コミュニテイの見学に来られる方の受け入れを
している。
 メールで見たり、受けた人から聞いたとき、どんな反応が
起きているのだろう。
 日程案をつくったり、それを関係の人たちに連絡する。
 連絡を受けた人は、それぞれ都合とかいろいろかんがえて、
「やります」とか「できない」とか言ってくれる。
 その返事を聞きながら、自分のなかに、どんな反応が
おきているのだろう。
 「見学にくる人がいるのだから、受け入れるのがあたりまえ」
 言葉では言っていないかもしれないけど、「やらなくっちゃ」
こんなものがありそう。

 状況としては、「見学希望の人がいる」
 「受け入れたいという気持ちのじぶん」がある。
 ほかの人のことは、まずはわからない。
 
「見学希望の人」がいたら、なんとしてもやらなくちゃ、
ならないか?
 そういう事情があるということと、じぶんがそのことを
知ったとして、即「やる」「やらなくっちゃ」になるという
のはどういうことだろう。

 就学前の孫がいる。
 お母さんから「風呂に入るよ」と声がかかる。
 孫は、その時テレビを見ている。
 返事も忘れて、テレビの世界に没入している様子。
 お母さんは、なんども呼ぶ。
 どうなるかなと見ていると、ある瞬間、さあーと風呂に
向かって走っていく。
 この子のなかに「やらなくっちゃ」というのが、あるのかなあ
とおもう。

 幼少期の遊びに、「やらなくっちゃ」というのがあったろうか?
 どんなことで動いていたのだろう?
 「やらなくてもいい」というような言葉があったわけでは
ないだろうけど、そのとき自分を動かしていたのはやりたい
一心、興味本位、好きなだけやる、やめたくなったらやめる、
なんとなく自発的、自由意志などの世界そのもの、だったのかな。
 「ごっこ」遊びも、やったなあ。
 
 いま、実際この世の中で、「ごっこ」遊びなんかするのは、
ご法度かどうか。

 四日連続の日常化レッスンを3日過ぎて、どこに焦点を当てて
いくのかなあと、この辺にいるようだ。

 
 

贈り物にどうぞ!

2012-02-15 06:20:13 | わがうちなるつれづれの記
 わが子が”ハム屋”さんを始めた。
 といっても、実際の息子ではない。
 わが娘と幼年時代をいっしょの過ごしたことがある、
いま30歳。 
 ハム・ソーセージ・パテのセットを贈ってもらった。
 「あの子がつくった」とおもうと、一味ちがう。

 
 こんどは、注文して送ってもらった。
 やはり、なにかおいしく感じる。

 つい、隣の人にすすめたくなる。
 興味のある方、下記へ問い合わせを!


 シャルキュトゥリー・モエ
 〒203-0033 東京都久留米市滝山7-17-24
           滝山房美ビル103
       TEL/FAX 042-474-9250



 

東近江からようこそ

2012-02-13 07:50:28 | アズワンコミュニテイ暮らし
 鈴鹿山系の東側は、なだらかに琵琶湖にむかって、里山、田園、
市街地が広がっている。
 東近江地域は、いくつもの町が合わさっている。
 今回、鈴鹿アズワン・コミュニテイーに来訪されたのは、
近江八幡の北、旧能登川町の街起こしをはじめた実際家の人たち
7名の方々。

 今回の来訪の世話役の北川陽子さんは、家業の織物工場を
引きついでいる。製造だけでなく、この土地ではぐくまれてきた
絣の織物技術の体験や街の人たちの拠りどころを”ファブリカ村”
と名うって、活動をしている。
http://www.fabricamura.com/

 河島正行さんや大和田絹代さんは、東海道線能登川駅前の
古民家を改造して、子どもが伝統文化にふれながら、遊んだり
、学んだり、創造したりできる場として、”子民家エトコロ”と
いうプロッジェクトをはじめている。
http://etokoro.shiga-saku.net/ 

 後藤隆二郎さんは、滋賀県立大学で環境面から人と社会の
ありようを研究している。
 自転車タクシーを運営したり、机上の研究だけでなく、
”五環生活”という生き方も提唱している。
http://gokan-seikatsu.jp/about.html

横川豊彦さんは、東近江市役所の職員。33歳。「東近江モデル」が
絵に描いた餅にならないよう、心をくだいている様子。

 アズワン・コミュニテイーの見学はお昼まえから、夕方まで。
 ゆっくりご案内できたとは言えないけど、その場その場で
なにかを感じようとしておられるようだった。




 昼食は、コミュニテイー食堂中井宅。
 ふろふき大根、里芋のあんかけ、白和え、炊き込みご飯。
 いま、取れている野菜のメニュー。
 炊き込みご飯やふろふき大根は、遠慮なくお替りしておられた。



 鈴鹿カルチャーステーションで、お茶席。
 そのあと、コミュニテイーのあちこちで暮らす人たちが
何人か集まり。懇談会。
 
 北川さん
「見学させてもらい、やりたい気持があってこそ、
それぞれの活動が元気になるとか、これからの参考になることが
いっぱいありました。10年後を見ててほしいです」

 後藤さん。
「ここの人たちを見ていると、それぞれ愉快そうにやっている
ように見える。そういう空気を醸している、そのもとに
どんなことがあるか関心が出てきてます」




 「これから、おつきあいしていきましょう」という気持で
夕方、鈴鹿山系の東に帰る一行を見送った。

 

なんの気なしに・・

2012-02-12 07:53:43 | アズワンコミュニテイ暮らし
 以前、メモしていたものをなんの気なしに見ていた。
 谷川俊太郎の詩があった。
 なんども、読み返した。
 そのとき、なにを感じていたか、おもいだせない。
 いま、読み返してみると、俊太郎さんは
どこを、どんなことを言ってるのだろう、見てるのかなと
探ってみたくなる。



かすかな光        谷川俊太郎

あかんぼは歯のない口でなめる
やわらかい小さな手でさわる
なめることさわることのうちに
すでに学びがひそんでいて
あかんぼは嬉しそうに笑っている

言葉より先に 文字よりも前に
波立つ心にささやかな何故?が芽ばえる
何故どうしての木は枝葉を茂らせ
花を咲かせ四方八方根をはって
決して枯れずに実りを待つ

子どもは意味なく駈け出して
つまずきころび泣きわめく
にじむ血に誰のせいにもできぬ痛みに
すでに学びがかくれていて
子どもはけろりと泣きやんでいる

私たちは知りたがる動物だ
たとえ理由はなにひとつなくても
何の役に立たなくても知りたがり
どこまでも闇を手探りし問いつづけ
かすかな光へ歩む道の疲れを喜びに変える

老人は五感のもたらす喜怒哀楽に学んできた
際限のない言葉の列に学んできた
変幻する万象に学んできた
そしていま自分の無知に学んでいる
世界とおのが心の限りない広さ深さを