かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

雨夜のひとりごと

2012-02-24 08:42:10 | わがうちなるつれづれの記
 雨音が部屋まで聞こえていた。
 吐き気と下痢で眠れない夜を過ごした。
 トイレに行ったすぐあとは、小康状態になる。

 本を読んだ。
 「尋問調書・補遺」P・キュルテン 池内紀・訳

 はじめキュルテンという作家が書いたものかとおもった。
 読むと、キュルテンは八人の殺人を犯している。
 第一次と二次の大戦間で生きたドイツの人。

 この文書はキュルテンが予審判事や精神科医との談話の
あいだに語ったもの。

「単に悪への喜びから犯罪を犯すものはいない。
 つねに何かがこれに加わる。その何かは当人の咎ではない」

「・・そのより高い存在は、私の行為をよしとして認めて
くれるのではあるまいか。私は不正に報復したのだから」

「私は性的欲求から結婚したのではない。
 妻の人格、性格が好きだったからだ。
 妻も私を愛してくれた。私が仕事にあけくれるのを
願わなかった。そんなにもやさしかった。
 だからわたしは妻を敬っていた。こよなく愛していた」

「自分で自分の犯罪を考えるとして、とくに子供を殺した
ことにおいて、われとわが身に死刑を要求したいほど
自己嫌悪を覚える。だからこそ醒めずにはいないのだ。
 もっとも、死刑それ自体になると、学者同士が論争して
いるではないか。
 つまりは、こういうことか。
「何のために首をはねる。
 わめいている連中を納得させるためだけのことだろう」」

「首を落とされると困ることがある一つだけある。
 首なしでは本が読めない」

 キュルテンは市井の女の人をわけももなく殺めている。
 「それは、ひどい」
 一瞬、考えるというより、いい感じでないものが出てくる。
 そのあとでは、「なんでそんなことがやれたのか」とか、
考える。
 その前、一瞬おきたものは、どんなものだろう?

 とっさに起きた反応のなかに、これまでじぶんといまの
じぶんが凝縮している。

 「なんでそんなことを・・」にも二つある。
 ひとつは、「なんてひどいことを・・」
 もうひとつは「ほんとうに、どんなことが起きたのか?」

 自分は「人を殺すなんて、とうていかんがえられない」と
おもっている。
 じゃあ、この先もそうか?と問えば、「そうだ」と言ったあとで、
「ほんとうにそうか?」という声が聞こえてきそう。

 人が人をさばくことができるのか?
 裁けるという根拠はどこにあるのだろう?
 その根拠というのが、「じぶんがそうおもっている」という
範囲のものなら、「ひどいことをした人」に関心がむくだろうか? 

 
 

一日中寝ていた日

2012-02-24 07:59:23 | アズワンコミュニテイ暮らし
 きのうは、一日中炬燵でウトウトしていた。
 前の晩から、吐き気と下痢でほとんど眠れなかった。

 きのうの朝、胃のなかのものが出て、すこし楽になった。
 下痢もおさまりかけている。
 前の晩に食べたもの、湯豆腐と鶏皮。デザートに孫の風友(ふゆ)が
つくったテイラミスというお菓子。
 なにか、菌が入ったのか。
 
 妻はいまサイエンズスクールのセミナー参加中。
 一人暮らし。

 昼ごろ、お弁当屋の三由紀さんから、お肉が入荷したと
電話がある。
「明朝使うんだけど、やれるかな?」
「うーん、やれるかなー」
いまの状態を言ったら、
「そんなんだったら、ほかでやるわ」とあっさり。

 夕方、人と会う予定があった。
 いっしょに会うという美代子さんに「きょうは、やめとく」と電話。

 ウトウトしていたが気配を感じて目を覚ました。
 部屋は薄暗くなっていた。
 人影が寝ている視線の向こうにぼーっと見える。
 娘桃子だった。
 「どうした?」と娘に聞く。
 「美代子さんから聞いて・・大丈夫?」
 「ああ、もうだいぶいい」

 「なにか、食べたいものは?」と娘。
 「うーん、ラーメン、大根の煮たの、おかゆ・・」
 てきとうに口から出るままに・・
 実言うと、食べる意欲が出てきたいない感じ。
 食べることには、貪欲なやつなのに。

 夜は、残ったご飯で雑炊を作った。
 作っていると、孫の風友が一人用の土鍋を届けてくれた。
 大根の煮もの。「ママがつくったのよ」
 「やったー」とおもった。

 整体の先生から電話。雄一くんから聞いたという。
 「番茶に塩を入れて飲むといいいです。消毒になります」
 「いやあ、だいぶ楽になりましたけど、ありがとうございます」
と照れながらも、さっそく食後に塩入の番茶をいただく。

 雑炊に梅干しを入れて炊く。
 最近知って、人知れず「ああ、うまい!」とニンマリしている。
 お茶に塩なら、お茶に梅干しだって、悪くないのでは?

 これで回復の方向にいくのかどうか、
「やらなくてもよい」というより、「やれなくなった」一日を
ふりかえる。