新聞はとっていない。テレビも退屈。
昨年出版されて、いちど目を通しただけの
「人を聴く」を開いてみた。
読むと、一節一節から、じぶんが身近な人や暮らしから
じぶんのなかに見つけてきた、ささやかな、
一コマ一コマの探究の場面が蘇ってくる。
この2年ばかり、こういうことを見て来たのかなあ・・
「年の変わり目に立って」とおもってみた。
時代の変わり目。社会の変わり目、あるいは転換期。
とは言っても、時代や社会はじぶんの外にだけは
ないだろう。
じぶんの外にあるとおもっているものが、変わるとか
変わらないとかいっても、それが何だというのだろう。
英語では”So what?" と言うのを、何かで知った。
「だから、なんだというの?」
年の瀬に、サイエンズスクール事務局の美代子さんに
声かけられて、別の日だったけど、二人の人の
こころのうちを美代子さんといっしょに聞かせてもらった。
やってみて、お二人から醸し出されるものに、
じぶんが、なにか照らされているんじゃないか、
そんな余韻があって、ずっと、尾を引いている。
「懐かしい未来」と言う本は、ヘレナ・ホッジという
ヨーロッパの人がラダックの人や暮らしを内側から体感した
ドキュメントだ。
その一節、死者への儀式。
死後、49日間、よき転生をねがって、死者に語りかける。
心の本性である「純粋な光」「虚空に射す透明な光」に
向かえるように、激励するという。
こういうものの深奥に分け入るには今からでは、手遅れかも。
じぶんなりに、じぶんの奥の奥で、気付かないで、
固く閉ざしていたものを、そういえば、
ここ2年のノソノソの歩みから、発見したんじゃなかったろうか?
これまで、ずっと、
「こんなじぶんでいいのか」
「なんとかしなきゃだめじゃないの」
と、じぶんがじぶんにささやいていた?
じぶんのこころのうちを見るんだ、見るんだといいながら、
「こんなじぶん」というものを見ていたんじゃないか?
どこで、そうおもったか、あまりはっきりしない。
「もう、そのままでいい、というより、
そうとしかいえないんじゃないの?」
座布団をひっくり返すということがあるじゃん。
どういうことか、いまでも分かっているわけではない。
「これかな・・」
ちょっぴり、手ごたえがあったかな。
座布団ひっくり返したからといって、
この人間が変わるわけではないだろう。
ここからはじまる、
ここからしかはじまりようがない。
そういうところへの変わり目。
”目”というのには、
”物の接するところ”という意味もあるらしい。
変わり目に立っているけど、
あっちとこっちがあって、
どっちへ行くのと
たえず、じぶんに語りかけていないと、
なんか、あぶなっかしい。
60余年かけて、つみかさねてきたものは、
まさしく、じぶんのなかにある。
これを、
「いいとか、よくなかったという感覚をも
ちょっと、横においてっと」、
そんなことが出来たら、
とっても豊かな人生だったんじやないか?
ああ、もしかしたら
どの人にも、
「こんな人」とみてきた人にも、
だれのなかにも・・
かけがいのない、とっても、とっても
豊かなものが・・・
目に映るものものは・・・
日々、ああやって、こうやってといそがしいものは・・・、
どっかの新しく市長さんになった人が、
「連続を断ち切って・・」と言われていた、
その断ち切るものって、どんなもの?
はじめがまちがったら、
なんか、いろんなことがちぐはぐになりそうで・・
ちぐはぐにずっと馴染んできたので、
シンプルになったら
へんな気持ちがおきるかも・・
それでも、どこを
はじめとする?
昨年出版されて、いちど目を通しただけの
「人を聴く」を開いてみた。
読むと、一節一節から、じぶんが身近な人や暮らしから
じぶんのなかに見つけてきた、ささやかな、
一コマ一コマの探究の場面が蘇ってくる。
この2年ばかり、こういうことを見て来たのかなあ・・
「年の変わり目に立って」とおもってみた。
時代の変わり目。社会の変わり目、あるいは転換期。
とは言っても、時代や社会はじぶんの外にだけは
ないだろう。
じぶんの外にあるとおもっているものが、変わるとか
変わらないとかいっても、それが何だというのだろう。
英語では”So what?" と言うのを、何かで知った。
「だから、なんだというの?」
年の瀬に、サイエンズスクール事務局の美代子さんに
声かけられて、別の日だったけど、二人の人の
こころのうちを美代子さんといっしょに聞かせてもらった。
やってみて、お二人から醸し出されるものに、
じぶんが、なにか照らされているんじゃないか、
そんな余韻があって、ずっと、尾を引いている。
「懐かしい未来」と言う本は、ヘレナ・ホッジという
ヨーロッパの人がラダックの人や暮らしを内側から体感した
ドキュメントだ。
その一節、死者への儀式。
死後、49日間、よき転生をねがって、死者に語りかける。
心の本性である「純粋な光」「虚空に射す透明な光」に
向かえるように、激励するという。
こういうものの深奥に分け入るには今からでは、手遅れかも。
じぶんなりに、じぶんの奥の奥で、気付かないで、
固く閉ざしていたものを、そういえば、
ここ2年のノソノソの歩みから、発見したんじゃなかったろうか?
これまで、ずっと、
「こんなじぶんでいいのか」
「なんとかしなきゃだめじゃないの」
と、じぶんがじぶんにささやいていた?
じぶんのこころのうちを見るんだ、見るんだといいながら、
「こんなじぶん」というものを見ていたんじゃないか?
どこで、そうおもったか、あまりはっきりしない。
「もう、そのままでいい、というより、
そうとしかいえないんじゃないの?」
座布団をひっくり返すということがあるじゃん。
どういうことか、いまでも分かっているわけではない。
「これかな・・」
ちょっぴり、手ごたえがあったかな。
座布団ひっくり返したからといって、
この人間が変わるわけではないだろう。
ここからはじまる、
ここからしかはじまりようがない。
そういうところへの変わり目。
”目”というのには、
”物の接するところ”という意味もあるらしい。
変わり目に立っているけど、
あっちとこっちがあって、
どっちへ行くのと
たえず、じぶんに語りかけていないと、
なんか、あぶなっかしい。
60余年かけて、つみかさねてきたものは、
まさしく、じぶんのなかにある。
これを、
「いいとか、よくなかったという感覚をも
ちょっと、横においてっと」、
そんなことが出来たら、
とっても豊かな人生だったんじやないか?
ああ、もしかしたら
どの人にも、
「こんな人」とみてきた人にも、
だれのなかにも・・
かけがいのない、とっても、とっても
豊かなものが・・・
目に映るものものは・・・
日々、ああやって、こうやってといそがしいものは・・・、
どっかの新しく市長さんになった人が、
「連続を断ち切って・・」と言われていた、
その断ち切るものって、どんなもの?
はじめがまちがったら、
なんか、いろんなことがちぐはぐになりそうで・・
ちぐはぐにずっと馴染んできたので、
シンプルになったら
へんな気持ちがおきるかも・・
それでも、どこを
はじめとする?