かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

サイエンズNo2「人を聴く」再読

2012-01-03 15:04:38 | わがうちなるつれづれの記
 新聞はとっていない。テレビも退屈。
 昨年出版されて、いちど目を通しただけの
「人を聴く」を開いてみた。

 読むと、一節一節から、じぶんが身近な人や暮らしから
じぶんのなかに見つけてきた、ささやかな、
一コマ一コマの探究の場面が蘇ってくる。
 この2年ばかり、こういうことを見て来たのかなあ・・

 「年の変わり目に立って」とおもってみた。
 時代の変わり目。社会の変わり目、あるいは転換期。
 とは言っても、時代や社会はじぶんの外にだけは
ないだろう。
 じぶんの外にあるとおもっているものが、変わるとか
変わらないとかいっても、それが何だというのだろう。
 英語では”So what?" と言うのを、何かで知った。
 「だから、なんだというの?」

 年の瀬に、サイエンズスクール事務局の美代子さんに
声かけられて、別の日だったけど、二人の人の
こころのうちを美代子さんといっしょに聞かせてもらった。

 やってみて、お二人から醸し出されるものに、
じぶんが、なにか照らされているんじゃないか、
そんな余韻があって、ずっと、尾を引いている。

「懐かしい未来」と言う本は、ヘレナ・ホッジという
ヨーロッパの人がラダックの人や暮らしを内側から体感した
ドキュメントだ。
 その一節、死者への儀式。
 死後、49日間、よき転生をねがって、死者に語りかける。
心の本性である「純粋な光」「虚空に射す透明な光」に
向かえるように、激励するという。

 こういうものの深奥に分け入るには今からでは、手遅れかも。
じぶんなりに、じぶんの奥の奥で、気付かないで、
固く閉ざしていたものを、そういえば、
ここ2年のノソノソの歩みから、発見したんじゃなかったろうか?

 これまで、ずっと、
「こんなじぶんでいいのか」
「なんとかしなきゃだめじゃないの」
と、じぶんがじぶんにささやいていた?

 じぶんのこころのうちを見るんだ、見るんだといいながら、
「こんなじぶん」というものを見ていたんじゃないか?

どこで、そうおもったか、あまりはっきりしない。
「もう、そのままでいい、というより、
そうとしかいえないんじゃないの?」

座布団をひっくり返すということがあるじゃん。
どういうことか、いまでも分かっているわけではない。
「これかな・・」
ちょっぴり、手ごたえがあったかな。

座布団ひっくり返したからといって、
この人間が変わるわけではないだろう。
ここからはじまる、
ここからしかはじまりようがない。
そういうところへの変わり目。

”目”というのには、
”物の接するところ”という意味もあるらしい。
変わり目に立っているけど、
あっちとこっちがあって、
どっちへ行くのと
たえず、じぶんに語りかけていないと、
なんか、あぶなっかしい。

60余年かけて、つみかさねてきたものは、
まさしく、じぶんのなかにある。
これを、
「いいとか、よくなかったという感覚をも
ちょっと、横においてっと」、
そんなことが出来たら、
とっても豊かな人生だったんじやないか?

ああ、もしかしたら
どの人にも、
「こんな人」とみてきた人にも、
だれのなかにも・・
かけがいのない、とっても、とっても
豊かなものが・・・

 目に映るものものは・・・
 日々、ああやって、こうやってといそがしいものは・・・、
 どっかの新しく市長さんになった人が、
「連続を断ち切って・・」と言われていた、
その断ち切るものって、どんなもの?

はじめがまちがったら、
なんか、いろんなことがちぐはぐになりそうで・・

ちぐはぐにずっと馴染んできたので、
シンプルになったら
へんな気持ちがおきるかも・・

それでも、どこを
はじめとする?













 

百人一首泣き笑い

2012-01-03 09:19:33 | 家族あれやこれや
遊びっていうのは、なんとなくはじまるものかも・・
「正月には百人一首だったなあ」とつぶやいた。
「それ、やりたーい」と娘。
昼食のお雑煮食べて、
「やるなら、畳の部屋かな・・」
妻は「あら、たいへん」と部屋のかたづけ。
娘は食器の片付け。

孫の風友(ふゆ、小4)が絵札を
畳の部屋に広げた。
妻は、読み手の録音テープがあるのを発見、
カセットで流す。
風友と弟晴空(はるく、5歳)と妻の三人で
予行練習。

テープの声を聞いて、
とろうとするが、なんかへん。
「ちがうよ、字の書いてある札をひろげるんだあ」
三人でやりなおし。

そのうち、風友がわーっと声をあげて、
居間に飛び出してきた。
「おばあちゃんと晴空ばかりとる!」
「たまたまじゃやないのか」となだめるが、
たまりかねたように、畳の部屋にもどり、
座布団で、並んでいる札をたたいた。
何回かくりかえした。
ぐしゅんぐしゅんと洟をすすっている。

そのうち、
母の桃子と雄一くん、ぼくの三人が参戦。
「テープはやめよう。読み手やるよ」とぼく。
いつのまにか、風友も座っている。

風友はじぶんの前の札を
とりやすいように、一列に並べた。
「ずるいんじゃない」と母。

発句と下の句を覚えている、教養の人は
残念、いなかった。
ドングリの背比べ。
下句を読み始めてから、おもむろに探しはじめる。
「きょう」じゃなくて、「けふ」でしょ、
読み手に注文つけて、恥じない。

だいたい、遠くを探す。
「あったー!」と、じぶんの前の札を相手がもっていく。

「ももしきや ふるきのきばに しのぶれど・・」
突然、幼少のころのリズムが蘇る。
「ももしきや ふるけて やぶけて けつがでて
あさの さむさで ガスが でた」

最後にとった札の比べっこ。
母桃子一番、風友も結構とっている。
晴空はいつのまにか、ゲームに没頭していた。

遊びには、そのときの流れ、勢いというのが
あるらしい。

「坊主めくり」をやることになる。
「姫だあ」
「わあ、坊主だ」と、
めくるときのスリルがおもしろい。
晴空は輪のなかにいるけど、ゲームに入りこんでいる。
興にのってきた。
「なにか、掛けようぜ」途中、雄一くんが言いだした。
「なにがいいだろう」と考えている間もなく、
「負けたら、何か買ってくる、これでいこう」と発案。
「ポテチ(ポテトチィップ)」と風友。
「じぶんで、行ってくるんだぜ」と念をおす、雄一くん。


雄一くん、札を結構高く積んでいた。
さあ、さいごの1枚。
雄一くんがめくった
坊主の札だった。
「わあー」
それぞれが、それぞれの反応をした。
つぎに、雄一くんはのぞいて、
それぞれ、大笑いした。
ひっくりかえるほどだった。

泣き笑いだったなあと・・