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かたつむり・つれづれ

アズワンコミュニテイ暮らし みやちまさゆき

Jアラート

2017-09-17 19:43:24 | わがうちなるつれづれの記

娘がわが家で夕食の準備をしていた。

今晩は孫たちとご飯食べる日。

今晩は”なすのギョーザ”ということ。

その傍でボーッとしていたら、娘が「今日ね、朝テレビを見ていたら、

突然画面が一変して、北朝鮮がミサイル発射したというのよね。どこの

県が危ないか、繰り返し放送していた」

「ほう、そう」(これはダジャレ)

娘がそんな話題を取り上げるとは。

そのころ、ぼくは、夜明け前の一眠り中。そんなアラートって、知らなんだ。

 

そんなアラートで警告してくれても、落ちたらそれまでじゃやないのかなあ。

地べたに伏せて、頭を抱えて、何になるのだろう?


小学校の先生のブログに、朝、ミサイルが落ちるかどうか、子どもたちが

ケンケンガクガク、おしゃべりして、なかなか算数の勉強に入れなかったと、

書いてあった。

先生は「絶対に落ちない」と決然と宣言して、やっとおさまったという。

その後聞いてみて、びっくりしたのが、ほとんどの子が「落ちるはずない」と

言っていたという。先生は、「子どもたちがよくよく考えての結論

じゃないか」と感想を言っていた。

いまの日本の大人たちと、見えている世界が違うかもしれない。

 

アメリカは、北朝鮮に「核の放棄」を迫っている。

ずっと、訳分からんと思ってきた。

アメリカは核兵器を何千発も持っていて、他国にもってはならないと

どうして言えるのだろうか?

何も北朝鮮が核兵器をもつこと、勧めてるわけではないけど。

「ぼくの方も、核兵器はなくしていくので、あなたも核兵器の開発を

待ってもらえないかなあ」ぐらいなら、政治のことはよく分からないが

話し合いになっていくんじゃないかなあ。

 

国連の大多数の国が賛成した”核兵器禁止条約”に核兵器保有国と日本が

決議に加わらなかった。

難しい理屈はわからないが、「核抑止」という考え方で、この世界から

核兵器はなくならないとおもう。

北朝鮮が、その考え方からはじめた。止めようがないのでは。

いまは、韓国でも、日本でも、相手がそうなら、こっちだって、と

なりそう。

バカバカしいなあ。狂ってるなあ。

それほど、世界中をメチャメチャにしたいのだろうか?

誰も、そんなこと望んでいないよなあ。

 

今朝、テレビを見ていたら、法政大学の田中優子さんが、核兵器を

持って放さない国が、他国に「核兵器を放棄せよ」というのは理に

合わないと話していた。

目の前のことを見て、それが揺るがない現実と捉えたら、やられたら

やり返すというのが当たり前、「もし、相手から攻撃が来たら黙って

見ていられるか?」という考え方が大勢かな。

そんな考えに社会が染まって、一色なりそうな気配。

理に合うとか、合わないとかなんて、言ってられん。

そうだろうかなあ?

 

子どもは「落ちない」というとき、どんな世界を見ているだろう。

そこは、よく聞いてみないと分からないことだけど、したいこと、

して欲しくないことは、はっきりしていると思う。

「相手が攻めてくるから、こっちも戦う」

ほんとうの、ほんとうは何をしたいんだろう?

自分の中を見ていったら、簡単だと思うんだけど。


人間としての知性は、それを邪魔するものさえなっかったら、

誰もが安心して豊かに暮らせる社会を望んでいて、そんな社会が

実際にあったらいいなあと願っているのでは。

そのためには、目の前で起きていること、それを自分がどう捉えて

いるか、自省するところからはじまるのかなあと思う。

 

Jアラートで頭を抱えるのはそれぞれの生き方だと思うけど、自分の

捉えているこどが、実際どうなのか、よーくみてみたいなあ。

敵をこしらえて、「国を守る」ってなことって、戦争になるのを

待ってるみたい。

戦争や争いや対立は要らないなあ。


その晩、孫娘が意外と早く帰宅し、娘一家とぼくらは揃って

食事した。なすのギョーザとかぼちゃポタージュ。

食後、何かの弾みに姉が弟の膝を思い切り叩いて、そのまま

自分の荷物も持たず、娘の家に帰ってしまった。怒ったんだろう。

娘も「あれあれ」と帰って行った。

今日、孫娘と話していたら、「ママは今日歯が痛くて、昼ご飯

作れなかった。そうしたら、晴空(弟)が豚肉入りキムチチャーハン

作ってくれたのよ」

「そうかあ」

子どものケンカと大人のケンカ、どこが違うんだろう?


Jアラートのことから、台風18号の嵐のなか、いろいろ思いました。

 

 

 

 

 

 

 

 


秋のつれづれ

2017-09-15 10:43:19 | わがうちなるつれづれの記

わがマンション前で下水道工事をしている。

窓を閉めて、ゴーやカーテンを見ていたら、葉がわずかに

揺れていた。

ベットに横になって、扇風機の弱い風に当たっていた。

心地よい。こんな季節も長くはないだろうな。

今年、心室の頻脈で2回入院して、5回、アブレーション手術をした。

頻脈が止まったときの、穏やかさ。

これなら、安心して生きていける。生きていることの喜び。

2回目の退院後、頻脈は起きていない。

 

   葉が揺れて何事もなし秋涼し

 

 

猛暑のころは、ハンターやベルシテイーに行って、クーラーの

あるところで、歩いていた。

最近、妻と連れ立って、車で遠出して、散歩するようになった。

石水渓とか小岐須渓谷とか、田舎道とか。

息がきつくなったらやめるようにしている。

20分ぐらいは歩けるようになった。

心臓への負担をかけすぎないよう、足の筋肉をつけていくリハビリ

なんですね。

 

人っ子一人いない田舎道。妻と二人が、あてどなく歩いている。

土手から聞こえる蟋蟀の声。

 

    蟋蟀の鳴く音響もす太古から

 

その日、散歩のあと、亀山温泉に出かけた。

7月7日の入院以来、温泉は行っていなかった。

きのう、おとといと高崎夫妻と湯ノ山温泉一泊の旅を

した。

温泉のあと、身体が楽になった感じがした。

 

温泉から帰り、車のなかにて。

妻が、「ほら、見て!夕焼けが・・・」

バックミラーから見えるらしい。

「ああー」と後ろを振り返る。

夕焼けは、西の向こうの空を赤く染め、ドンドン奥へ引いていく

ように感じた。

 

   夕焼けの果ては何処か目を凝らす

 

夕間暮れ、わが家のマンション前で車を降りる。

立ちくらみが激しく、玄関まえの縁石に座って息を整える。

「晴空のおじいちゃん?」

もう暗くなったマンション前のぺテル福音教会の駐車場広場

から声がした。

ぼくが分かったらしい。

「そうだよ、晴空いるのかい?」

「いるよ!」

子どもらこの界隈の小学生で女の子が多い。

暗くてよく見えないが、5,6人が、馬になった子の上に乗って、崩れたり

きゃきゃと声を上げている。

 

   ひとはしゃぎ心残りの秋の昏れ

 

さて、今晩の寝つきはどうかな?

 

   

 


対話と圧力

2017-09-04 09:50:06 | わがうちなるつれづれの記

対立や争い、喧嘩、紛争、戦争が起こる場合、相手が攻めてくるから、

仕方なく防備をし、守るために武器や兵器を強くしなければならない

と主張します。

「仕方なく」というなら、ホントは争いたくないというのがあるのでは

ないでしょうか?

戦争なら、人を殺したくないし、また殺されたくないのではないで

しょうか?

 

「仕方なく」とか、「どうしようもない」とかいうとき、その考えや

気持ちがどんなところから、出てきてくるのでしょうか?

いま、私たちが耳には、「対話とか圧力」という言葉が行き交い、

どうすれば、この攻め合いが収拾するか皆目見当がつかず、闇夜で

人類が手探りしている状態のように見えます。

ここで、立ち止まって、どう収拾するかの前に、収拾しようとしている

自分自身の心の内を観ることはどうでしょうか?

「何を、阿保なこと言って」と相手にされないかもしれませんが、ここは

人類の積年の宿題と向き合うときではないかと思っています。

 

意識している、していないに関わらず、「人間とは」「社会とは」について

自分として、見方や捉え方があり、そのことについては私自身もそこに

関心をもたずに、歳を重ねてきたという思いがあります。

 

 

「人間とは」というとき。

一つの意見。

「人間は歴史的に見ても、争い、闘争のなかで進んできた。人が人を支配

するにしても、支配に抵抗するにしても、つねに闘いがあった。人間は、

対立や争い、闘争は付いて回るし、かえって無くてはならないものだ。

敵が攻めてくることを傍観できない」

一つの意見。

「人間のもともとの姿には対立や闘争というようなものは無かったのでは

ないか。人間の赤ちゃんは、生まれてきたとき、人に疑いや警戒、対立感情を

もって生まれて来なかったのではないか。母やすべての環境をそのまま受け

取り、して欲しいことを要求して、それが満たされる姿があったのではないか」

 

自分自身の内面を観ていっても、どうしても後者であったに違いないと

思わざるを得ません。

アメリカで白人至上主義者と反対派の人たちの衝突について、オバマ元

大統領がツイッターで「他人を憎むように生まれついた人間などいない」

とマンデラ氏の言葉を引用しました。心に残る言葉でした。

 

他人を憎む、とか対立感情といったものは、成長する間に親や周囲で

関わる人や社会の環境、時代の空気など、そこに現れている考えや感情

ないでしょうか?

もともとの姿というものに関心が出てくると、まだ柔軟で何でも疑いもなく

受け入れられるときの社会か、どんな姿になるか考えざるをえないにでは

ないでしょうか?

 

敵が何時攻めてくるか分からないときに、そんな呑気なこと、してられるか、

と一蹴されるかもしれませんね。

 

人間は、敵が武力で脅しをかけて来たり、攻めて来たらやり返すのが当然

だろうという人間や社会のイメージをもとに考えたり、行動するときは、

これからずっとそういう社会から脱することが出来ないと思います。

国ということをどう捉えているか、見ているかについても、国という

ものが未来永劫続くとしたら、どうしても国と国の間の対立感情は

なくならないでしょう。

外交交渉が大事で、対話が不可欠とも言われますが、国といっても、

何を指しているいるのかに思い馳せるなら、つまるところ対立感情の

源泉になっているのではないでしょうか?

 

国といっても、それがどこにあるか、はっきり言える人は少ないでしょう。

国というのは、どうも頭の中あるもの、と思わざるを得ません。

自分が暮らしていて、確かだと見えるのは、人と人が日々いろいろな

かかわりをもちながら、何かを感じ、考えを相手に伝え、社会をつくって

いるということになるのではないでしょうか。

その人と人が、疑いや警戒、憎しみや対立感情が一切ないという状態が

イメージできたら、それはどんな社会となって現れてくるのでしょうか?


 

そんなことできるはずない、と言われそうです。

いまの世界の情勢に流されている限り、たしかに出来そうにないと

思います。

人間には、知性があります。

知性を正しく発揮するためには、心の状態があきらめや暗い気持ちに

染まっていないことが大きいと思います。

人類が科学技術にかけてきた進歩には目を見張るものがあります。

それ比して、いまだに人間から、争いや戦争がなくならないことは、

悲しむべきことです。

人間はそんな愚かな動物でしょうか?

人間の心の内から、憎しみや対立感情を一切なくし、社会も、もともとの

人間が人間らしく暮らせるように、それこそ、世界中の知恵を寄せ合って、

その実現にむけて研究、検討、実践、検証のときではないでしょうか。

闇夜の世界を昼の世界に変えるのです。


ジョン・レノンは、「イマジン」でこう歌っています。

  ーー人は僕のことを夢想家だというかもしれない

    でも僕は一人じゃない

    いつかあなたもみんな仲間になって

    そして世界はきっとひとつになるんだ

 

 

世界各地では、そのような観点から活動している人たちがたくさんいます。

すぐにそういう世界が実現しなくとも、そこに気づいた人たちと、やれる

ところから、実現について研究機会が望まれます。


アズワンネットワークの暮らし、活動がその一つだと思っています。

これから、どれだけ生きていられるか分かりませんし、やれることも

限られていますが、このような社会の実現を目指したいと思います。

入り口は、自分自身が自分が見たり、感じたり、考えて、反応して

いることが「思い込み」や「キメツケ」から発していることはないか、

内省するところから。

自分の考えに重きをおかないところから。

みんなと本当を探究できる人になろうというところから。

気がついたところから。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


カントリー

2017-08-27 18:30:58 | わがうちなるつれづれの記

思いがけず神戸の本多雅子さんからCDが届きました。

「お気にいるかどうか ブルーグラスCDプレゼントとありました。

裏を見たら、「COUNTRY SONGS    稲葉和裕 宮前ゆき」とあり

曲名が並んでいました。

さっそくパソコンで聞いてみました。

高音のヴァイオリンの独特の音律で、英語の歌詞で歌っていました。

はじめ戸惑いました。

しばらくして、どこかでそんな調子のメロデイーを聴いたことあるぞ、と

思いました。

曲名のところをみると、「Old Black Joe」「Tenessee Waltz」かいて

「My Kentacky Waltz」とか、書いてありました。

アメリカ民謡、フォースターの曲じゃないか。

小学生の音楽の授業で、あまりまじめでなかったけど、「峠のわが家」

「埴生の宿」「アニーローリ」「おおスザンナ」などのメロデイが

今でも口をついて出てきます。

情緒は演歌で染められているとは思ってきましたが、フォースターの

アメリカ民謡がずいぶん記憶の底に焼きついていると思いました。

 

20年前、詩人長田弘さんの「アメリカの心の歌」(岩波新書)を読んだ

ことがあります。

アメリカの歌手や地名や曲名がいっぱい書いてあるのがピンと来なくて

上っ面を飛ばし読みをしていました。

本棚から探して、再読してみました。長田弘さんが、何を伝えようとして

いたか、すこし感じられました。

 

ーーアメリカというのは、ただ大文字の国家の名とは違う。「私のアメリカ」

  「私の生き方」というときのアメリカは、小文字の国の名であり、

  「私のアメリカ」というのは、それぞれの「私の生き方」としての

   アメリカということだ。

 

かつて、学校とかでは、アメリカは合衆国だと習ってきました。

長田さんがアメリカで出会ったのは、一人ひとりの歌を通しての心の世界

だったようです。

1960年代から80年代のカントリソングから関連しあって、ジャズとか

ブルースとかブルーグラスなどかアパラチア山脈とミッシシッピー河の

間の地域で人びとの心を掴み、それがアメリカ中の人から人に歌い

継がれていったらしいです。

 

たくさんの歌手の人生が綴られていました。

俄かに読んで、ネットの動画でその人たちが歌う歌をを聴ききました。

英語だし、意味も分かりません。

この歳になって、それらに耳を傾けている自分は何がしたいのか、と

そんな自問もありました。

 

こんな一節に関心を持って、読み進めました。

ーーカントリー(coutry)というのは、懐の深い言葉だ。カントリーは

  土地であり、地方であり、地域であり、領土であり、国土であり、

  故国であり、その人びとをいう言葉である。

  そして、カントリーは田園であり、田舎であり、さらに家郷であり、

  在所であり、故郷だ。

 

ーーカントリーは、聴けばそれがカントリーとわかる。際立って特徴的な

  メロデイをもち、リズムをもち、うたい方も独特なら、奏法も独特だ。

  なくてはならないのは、ギター、それにしばしばフィドル(ヴァイオリン

  とはいわない)

  だが、何といっても肝心なのは、あくまでも一人一人の歌い手だ。

  歌い手自身の個性だ。声だ。

 

大学せいのころ、1968年ごろだったか、銀座の小さな映画館で

「俺たちに明日はない」と「イージーライダー」を見たことがあります。

ベトナム戦争で、アメリカは疲弊し。若者はその気持ちを表そうとして

いるようでした。

映画の舞台になった時代は違いますが、それぞれ最後シーンは射ち殺される

ところで終わります。

ショックでした。そのとき、アメリカのイメージが揺さぶられました。

アメリカというより、そこには人がいました。

 

北朝鮮とか中国とかアメリカというとき、何を指しているか、あらためて

考えてみたいです。

”分断の時代”とも言うみたいですが、果たして”分断”はどこにあるのかなあ。

 

神戸の本多雅子さんが、贈ってくれたCDから、いろいろ連想しました。

楽しませてもらいました。気に入りました。

雅子が贈ってくれた気持ちは、どこかで直接聴きたいです。

          *      *       *

 

最後、聴いていて、気に入った歌。

 

ピター・ラファージ    ネイテイヴ・アメリカンの混血

https://www.youtube.com/watch?v=CLLOf1KapQI

 

クリス・クリストファソン  歌のテーマは”自由”

https://www.youtube.com/watch?v=G-J7mLyD3yc

 

マール・ハガート  前科者が歌手に

https://www.youtube.com/watch?v=5PEwBdCeINg

 

シェル・シルヴァスタイン  フォーク・ソング歌手。

              絵本「大きな木」の作者としても有名

              絵本の動画、良かったので、添付。 

https://www.youtube.com/watch?v=f140kVJm_5w


ぼくのはたけ

2017-08-24 09:52:23 | わがうちなるつれづれの記

退院後、期限が迫った特定疾患(難病)の医療費受給のための申請に、

妻に運転してもらって、三重県保健センターに行ってきました。

毎年9月更新です。

熱暑で歩くのが息切れしてきつかったです。

この申請をしている人は三重県で2000人は居るそうです。

社会から手厚く援助してもらっているんです。

 

帰りに隣にある食品のスパーに寄りました。

涼しい所を歩いてみようと、店内に入りましたが、冷え切っていて、

いたたまれなくて、妻より先に車に帰ろうと歩いていると、葉生姜が

目にとまりました。今の時期の大好物です。

「食べたいなあ」と思いながら、妻のところに戻る気力がなく、車の

ところに行くと、なんとバッタリ40年来友人、佐々木佳子さんと出っく

わしました。

「もう歩いてもいいの」からはじまって、葉生姜のことを話したら、

「なーに、それならわたしの畑にあるわよ。あとで、届けてやる」という

ことでした。

その日の午後、葉生姜がわが家に届きました。

おまけにサツマイモまで。今の時期はこれから秋に向けて肥っていくのです

が、先人はまだ細いサツマイモを掘って、お盆のお供えにしていました。

葉生姜もサツマイモも、とびきり美味しかったです。有難いです。

 

実は、今年5月はじめスナップエンドウがいっぱい出来たといって、

前触れもなくもってきてくれたことがありました。

甘くて美味しかったです。

そのあと、絹さやも届きました。

6月はじめ、食事のお誘いを受けて、鈴鹿の国府町にある佐々木宅を

妻と一緒に訪ねました。

畑が1反弱あって、いろいろな野菜が育っていました。

佳子さんにその一つひとつを案内してもらいました。

そのとき、ふと「これはぼくの畑なんだ」と湧いてきました。

実際は佳子さんんがつくっているんだけど、それを「佳子さんの畑」と

分けてしまったら、佳子さんの喜びを受け取っていないような、何か

申し訳ないような気持ちがしてきたからでしょうか。

分かりません。それが、自然な感じだったかもしれません。

 

 

2回目の入院中もいろいろな人から、差し入れがありました。

妻はほぼ毎日、顔を見せに通ってくれました。

それができるのは、親しさでつながる仲間がいるんだなあ、と

思いました。

 

退院後、自宅で療養暮らしです。

妻も、ほとんどつっき切りで食事や家事をしてくれています。

食事は減塩食で、いろいろ工夫してくれてます。

収入は国保の年金と特定疾患の医療費助成だけです。

それにしては、毎日旬の野菜は届くし、暮らしの心配はないし、

人とのお付き合いも遠慮や気兼ねがありません。

訪ねてきた市川さんと話しているとき、このとき、ふと、「自分が

こんなに何の心配もなく暮せているのも、コミュニテイの人たちが

いるからだよね」口をついてでました。

見えないものが見えたという、新ためての感慨がありました。


そのあとで、「自分はそれに満足してるんかな」という自問が

起きました。

どうも、それはそれとしても、それだけじゃないものがあると

でてきました。

人がここにこうして居る、ぼくがここにこうして居る、という

のは、社会のさまざまな活動に寄って支えられ、植物や動物など

生きものによって、また太陽や空気、水の恵みで成り立って

いるんじゃないでしょうか?

人の成り立ちは、人がどう思うか思わないかにかかわり無く、

そういう関連のなかで、どこまでも「こうだ」といえない関連の

なかで、生かされているいるのじゃないでしょうか?

そんなこと、本を読んだり、ネットで調べたら当たり前のようだけど、

自分がこういうことでお世話になり、心をかけてもらって嬉しいという

気持ちが起きたとき、それで「よかった」で終わらせているんじゃ

ないかという問いがでてきました。


ふだん、「自分だけよければいい」というような考え方で暮して

いるとはおもっていませんでしたが、その拠って立つもとの

心の状態がそこに立っていたかどうかと自問すると、曖昧だなと

思いました。

台風が自分の地域は避けて通ると知ると、ほっとするような。

考えとしては「自分だけがよければいい」とは思っていなくとも、

ほっとするこころの状態には意識していなくとも、それとは違う

ところにいたんだなあと気がつかされました。

頭で分かっていたつもりでも、実際はどんな世界に自分が生きて

いたのか振り返っています。


自分の満足の基準をどこに置いているか問うてみたら、自分や

自分の周囲の人たちだけでなく、日本地域の人たちにも、世界

各地の人たちとともに、安心して満足に暮したい願いがあることに

気づきます。

いま、とってつけた願いというより、自分のみを願って暮した時期も

あったにしても、ほんとうの本当はみんなとともに、そいういう

暮らしがしたかったんじゃないかに、つきあたります。


「世界中のみんなで幸せになろう」


世界中のみんなが幸せになる世界から、現状をみていきたいと

思います。

自分や周囲のみの満足で「よかった」と完結させてしまっては、

知的にその世界を実現さすことがが遅れるのではないでしょうか。

いま、いちばんやりたいことかもしれません。


養生暮らしはしばらくか、あるいはずっとつづくかも。

それならそれで、その状態に適った暮らしを探っていく、話が

出来る人たちと見出しながらすすみたいです。