前から気になっていた高遠菜穂子さん講演会に行った。圧倒された。その凄惨な映像に、そして彼女の熱意と迫力に。
まず冒頭、「その節はご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした」と深深と彼女が頭をさげる。場が凍る。「謝る必要なんか無いです!謝るべきなのはあなたではない!」と叫びたい衝動にかられる。
「1分でも時間をいただければイラクのことを伝えたい」という熱意にあふれる彼女は、日本やアメリカで何度も講演をしているようで、プロのジャーナリストのように流暢にかつ熱意を持って、身振り手振りを交え、報道されないイラクの様子や悲惨な市民生活を紹介する。
まったく判別できないほど変形損傷した遺体や、蛆虫に食われる凄惨な死体など、目を背けたくなるような写真や映像と共に彼女の話しを聞いて、
「戦争は絶対やってはならない」「そのためには何か行動しないと」という衝動に突き上げられる。
悲惨な彼女の話とは裏腹に、あれほど人質事件時は騒いだ日本のメディアがまったく見向きもしない現在のイラク。戦争や空爆の体験と一緒で、時間がたてば忘れ去られてしまう。60年前の戦争を語り継ぐ人のように、彼女は世間が忘れ去ろうとしているのに危機感を強め、ご自身の経験を我々などに伝えることにより、少しづつでも「戦争反対」「日本も戦争に加担していてはいけない」「イラク市民援助」という動きを広げようとしている。私と同世代の彼女が・・・。
自分もできることをやり、人伝えないと!
まず冒頭、「その節はご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした」と深深と彼女が頭をさげる。場が凍る。「謝る必要なんか無いです!謝るべきなのはあなたではない!」と叫びたい衝動にかられる。
「1分でも時間をいただければイラクのことを伝えたい」という熱意にあふれる彼女は、日本やアメリカで何度も講演をしているようで、プロのジャーナリストのように流暢にかつ熱意を持って、身振り手振りを交え、報道されないイラクの様子や悲惨な市民生活を紹介する。
まったく判別できないほど変形損傷した遺体や、蛆虫に食われる凄惨な死体など、目を背けたくなるような写真や映像と共に彼女の話しを聞いて、
「戦争は絶対やってはならない」「そのためには何か行動しないと」という衝動に突き上げられる。
悲惨な彼女の話とは裏腹に、あれほど人質事件時は騒いだ日本のメディアがまったく見向きもしない現在のイラク。戦争や空爆の体験と一緒で、時間がたてば忘れ去られてしまう。60年前の戦争を語り継ぐ人のように、彼女は世間が忘れ去ろうとしているのに危機感を強め、ご自身の経験を我々などに伝えることにより、少しづつでも「戦争反対」「日本も戦争に加担していてはいけない」「イラク市民援助」という動きを広げようとしている。私と同世代の彼女が・・・。
自分もできることをやり、人伝えないと!
私が以前起きたイラクでの日本人人質事件で改めて恐い、と思ったのが、「日本人の集団意識の強さ」。いつの間にか、拉致された人々を救出する、という最重要課題から外れて、彼らへのバッシングにすり変わって、また、そうした報道にあおられて、どんどん大衆が「高遠さんイジメ」に走ったでしょう?
以前、日本でハンセン病患者たちを宿泊させることを拒否したホテルが問題になった時、いつの間にか被害者である患者たちが加害者のように扱われて、人々の心ない中傷やイジメの標的になったことに思いをだぶらせました。
本来被害者であるはずの彼らが、一部の心ない人々の中傷にさらされていつの間にかそれが集団意識となって大きな力を持ちはじめる。弱いものイジメにしか見えないこの構図。自分より不幸(この定義も適当ではないですが)、または力の弱い人々をよってたかって暴行するような、そんな人間の心の黒い渦を感じます。
話は逸れたけれど、私達は絶対に戦争を起こしてはならないし、その過去の経験を語り継ぎ、後生にも伝えていくのが私達の役割なんですよね。
戦後60年を迎えて、オンタイムでその経験をした人が周りで少なくなってきて、その足跡さえも薄れかかっていることに、あせりと不安を感じます。だけれど何をすればいいのか、まだ実行に移せずにいる自分がいます…。
高遠さんの話を聞きに行ったのですね。
ちょうど一年前に彼女の声を何の編集も加えずに聞く機会がありました。
>「謝る必要なんか無いです!謝るべきなのはあなたではない!」
私も叫びたいくらい同感です。
あのバッシングっていったいなんだったのでしょう?
いちばん理解できないのは、自己責任論を展開する報道に同調し、誹謗中傷を無責任に発しそして何もなかった様にそんな議論も忘れしまっている”論客”達。
あのときの政治家やマスコミや”論客”達はいまどんな事を言うのでしょうか?
どうしてあの時の総括を誰もしないのでしょう?
もし、政府が再び戦争へと暴走を始めたらこの国の人たちはそれを止める事はできるのでしょうか?
社会は一部の活動家や専門家が変わっても動かない、世界を動かすのは市井の民衆なんだと信じてる私にとっては暗澹たる思いを起こす事件です。
高遠さんの講演会、↓の無防備地域宣言を進める藤沢市の市民によるものでした。自治体が市民の総意のもと、無防備地域宣言に合意すれば、国がどういおうと、国際法上その自治体への交戦は違法となるそうです。
http://comcom.jca.apc.org/peacecity/muboubi/
でも実感したのは、道行く多くの人たちの、この国を覆っている『無関心さ』ですかねぇ。趣旨に賛成でなくても反対でもいいから、足をとめて話を聞いて欲しいのに、これがなかなか難しくて。
よその国で今何が起きているかとか、地上ではどんなふうになっているのかとか、人間は想像力をいろいろはたらかせることが大事です!
それでも新聞や報道を読んで、直接請求権の資格がまだない高校生が「今、何かしたい。」と手伝いに来てくれたりと、じ~んとした出来事もいろいろありました。
やっぱり平和をあきらめてはいけませんよね。現在も続々と、他の自治体でも活動の準備をしているそうです。より多くの地域でこの活動の輪が広がっていけばと願っています。(^.^)
実際に署名活動をしてみると、実感するのは、道行く人たちの、この国を覆っている『無関心さ』でした。この条例作りに賛成でなくても反対でもいいから、足をとめて話を聞いてもらいたいと思うのにも、なかなか難しく…。
それでも新聞や報道を読んで、直接請求権のまだない高校生が「今、自分も何か行動したい。」と手伝いにきてくれたりと、じ~んとする出来事もいろいろありました。今、よその国で何が起きているかとか、地上ではどんなことになってしまっているのかと、人間は常に想像力を働かせることが大切だと思います。
私も平和をあきらめてはいけないなと思うひとりです。現在も、他の自治体も続々活動の準備をしているそうです。より多くの地域でこの運動の和が広がっていくことを願っています。
確かに、人の「無関心さ」に対してはどうしようもない無力感を感じますね。
見知らぬ人だけでなく、周りの人だって、興味がないことは話しかけても「ふ~ん」で終わってしまうし。
平和への思いやNGOの活動など、まずは身の回りから始めよう、と言うのは痛いほど分かるけどなかなか難しい。。。諦めないけどね。分かってくれる人は必ずいるので。