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まるで深い海のよう!ディープな青のワイン「Gik」の海外販売が開始される

2016年07月13日 | 世界びっくりニュース
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 これまでも青いワインは存在していた。日本には勝沼ブルーワインなるものがあり、シャンパンだが、シャルドネにブルーベリーのエキスで色づけしたブラン・ド・ブルーなんかも有名だ。

 だが今回新登場したスペイン発の「Gik」という名のワイン、青の深さが段違いなのだ。完成には2年の月日が費やされたという。

 青といっても様々だが、このワインの青はインディゴブルーに近い濃いめのブルーだ。海や夜空を連想させるロマンティックな色味である。

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image credit:gik
 
 スペインのクリエイター6人が、バスク大学や食品メーカーの開発機関の協力を経て、2年の歳月をかけて作り上げたという。

 青の色素はブドウの皮に含まれるアントシアニンや、傷薬や青色染料の原料として知られている植物、ホソバタイセイから抽出された植物由来のもので、ベースとなるワインはスペイン産の白ワインと赤ワインが使用されている。

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image credit:gik
 
 アルコール度数は11.5度、お味の方はというとノンカロリー甘味料をくわえ、甘みのある白ワインに近い味だという。冷やして飲むとおいしいそうだ。

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image credit:gik
 
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image credit:gik
 
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image credit:gik
 
 既にスペイン国内ではネット通販されているが、大好評を受け来月より、フランス、オランダ、英国、ドイツに向けて販売が開始されたそうだ。もうちょっと待てば日本にも流れてくることだろう。赤、白、ロゼと続いて青。ワイン業界も色の戦略に突入したようだ。

Gik Blue Wine
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☆酒をやめて10年以上になるが、久々に飲みたくなったわい!

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今年で32周年。開発から密輸を経てライセンス争奪戦へ。任天堂も絡んでいるテトリスに関するおもしろ雑学

2016年07月11日 | 世界びっくりニュース
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 これを読み終わるころ、あなたは誰よりもテトリスに詳しくなっているだろう。その起源から世界的に人気が高まるまでの歴史、ライセンス争奪戦からテトリスの名が付いた病気、科学研究にいたるまで、テトリスのすべてが網羅されている。

 激レア扱いとなったメガドライブ版、テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂など、テトリスに関する雑学が盛りだくさんだ。

 テトリスの起源
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 1984年、ソビエト連邦(現ロシア)の首都モスクワで、29歳のコンピューター技師アレクセイ・パジトノフはロシア科学アカデミーの建物の奥深くに座っていた。彼は目の前にある馬鹿でかい「エレクトロニカ60」に自身の最新のプログラムを入力しているところだった。あなたが彼の上司であったなら、パジトノフはデバッグの最中だと告げたことだろう。だが、実のところ、彼は取り憑かれていた。

 パジトノフの肩越しに何を作業しているものか覗いてみたとしても、まったく見当もつかなかったことだろう。ただ画面を震えながら落ちる文字が見えるばかりである。エレクトロニカは相当に原始的なコンピューターで、文字しか表示することができなかった。だが、これこそが後に『テトリス』と呼ばれることになるプログラムの初期プロトタイプであった。

 このテトロミノ(正方形を辺でつなげた多角形の一種)とテニスを組み合わせた名称を持つゲームは、やがて世界を席巻することになる。シンプルだが、中毒性の高さゆえだ。

 「プログラムは複雑ではありませんでした」とパジトノフは2009年にガーディアン紙のインタビューで答えている。「スコアもレベルもありませんでしたが、プレイしたら止められなくなりました。そういうわけです」と。

 それから数年で、テトリスの魅力はテレビゲーム業界でも有数の奇妙な成り行きをたどることになる。そこに登場するのは、ロバート・マクスウェル、ミハイル・ゴルバチョフ、アンドルー・ロイド・ウェバーら、80年代、90年代の錚々たる顔ぶれである。


テトリスは密輸から広まった
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 社会主義のソ連において私的なビジネスが違法であったことから、パジトノフはテトリスを売り出そうとしたことで上司が何をしてくるのか気が気ではなかった。それでも同僚ドミトリー・パブロフスキーと若干16歳のプログラマー、ヴァディム・ゲラシモフの助けを借りながら、テトリスの開発は続けられた。

 ゲラシモフは完成版にも見られるアイデアやルールの一部を考案し、さらに重要なことにテトリスをかさばるエレクトロニカ60から一般的なPCへと移植した人物だ。PC版は色付きのグラフィックに対応している。パズルゲームのテトリスに対するその恩恵は明らかだ。1985年になると、パジトノフとゲラシモフは友達たちにPC版のテトリスを配り始める。こうしてテトリスは世に出回り始めた。

 やがてソ連からハンガリーに密輸され、ここからヨーロッパ全土へと拡散する。まるでウイルスのようにコンピューターからコンピューターへと中毒者を増やしていった。


英ミラーソフト社の関与により人気が加速
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 ミラーソフト社は、コンピューターブームに沸く1980年代のイギリスで設立された多くのソフトウェア会社の1つだ。創業者はジム・マコノキーとロバート・マクスウェルである。特にマクスウェルはメディア業界に一時代を築いた非常に有名な人物である。テトリスをZXスペクトラム、アムストラッドCPC、コモドール64に移植し、1987年と88年に初の製品版をリリースしたのが、このミラーソフトだ。

 ミラーソフトによるテトリスでは、パッケージと背景グラフィックにロシアの雰囲気が与えられた(バージョンの1つは、その中毒性からUSSRで禁止されたと触れ込んですらいる)。だが、ミラーソフトがテトリスを発売する権利があったものか控えめに言っても疑わしい。同社はテトリスの版権をまた別の英国企業アンドロメダ社から取得しているのだが、アンドロメダはパジトノフ本人とも、ソ連政府ともきちんとした形の契約を交わしていないのだ。

 にもかかわらず、テトリスは即座にヒットし、熱狂的なレビューが寄せられた。評判はさらに広まり、そのネームバリューが高まると、テトリスの権利を巡って激しい闘争に発展することとなった。


西側諸国でライセンス獲得の争奪戦
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 テトリスにハマった人の中でもキーパーソンの1人だったのがヘンク・ロジャースだ。オランダのテレビゲーム製作者であり、パブリッシャーでもあった人物である。

 彼が初めてテトリスを目にしたのは、1988年1月に開かれたラスベガスのコンピューター・エレクトロニクス・ショーであった。その潜在能力にすぐに気がついた。だが、それはアメリカ、ヨーロッパ、日本、ソ連の業界人も同様であった。

 鉄のカーテンの裏では、国有企業Elektronorgtechnica社(ELORG社)がテトリスの海外における販売権を獲得する。パジトノフらがテトリスを開発したのはロシア科学アカデミーの勤務中のことであり、そのためにテトリスの権利は国家にあった。ELORGが版権を得たのはこうした経緯による。
 
 テトリスに関する権利関係で大いに揉めたのはイギリスだ。ELORGの取締役だったアレクサンドル・アレキシンコがアンドロメダが版権をもたないまま販売していることに気がついたことから、同社はELORGと正式なライセンス契約を交わさざるをえなくなる。

 この間、スペクトラム・ホロバイト社が版権をヘンク・ロジャースのバレットプルーフ・ソフトウェア社にサブライセンスしており、さらにブレットプルーフ・ソフトウェアは日本への販売を目論んでいた。だが、ミラーソフトもまたアメリカと日本での販売を狙うアタリ社とサブライセンス契約を交わしていた。


ここで任天堂が参戦
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 よく分からなくても心配はいらない。その通りだからだ。そして、この混乱をさらに搔き回すかのように、ヘンク・ロジャースはゲームボーイ用テトリスの開発を計画する任天堂と取引を行っていた。だが、その前にロジャースはELORGから携帯機用のテトリスの版権を入手する必要があった。
 
 そして次の出来後によって、まるでゲーム業界発の三文ドラマのような様相を呈するようになる。ロジャースはモスクワに向かい、当局から許可を得ないままELORGとの直接交渉に乗り出した。が、このとき、アンドロメダのロバート・シュタインとミラーソフトのケヴィン・マクスウェル(ロバートの息子)までがモスクワを訪れていたことなど彼に知る由もなかった。

 ロジャースはKGB、弁護士、関係者の面々とテトリスの著作権に関して2時間の会合を持った。そして結果的には、ロバート・マクスウェルが当時のソ連書記長ミハイル・ゴルバチョフに直訴したにもかかわらず、持ち前の魅力を発揮したロジャースがテトリスのコンソール版の版権を勝ち取った。だが、この権利を巡る狂乱はその後数年間も続くことになる(メディア王マクスウェルの死から数年後、FBIは彼がロシアのスパイであった可能性を指摘しているが、それはまた別の話だ)。
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レアなアタリのNES版テトリス……
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 版権の獲得競争に参加していたビッグネームにアタリがある。アタリは1988年にアーケード版テトリスを制作しており、翌年5月に子会社テンゲンを通してニンテンドーエンターテインメントシステム(NES。海外向けのファミコン)版をリリースした。

 しかし、アタリは問題に直面する。ヘンク・ロジャースがELORGと独占契約を結んだおかげで、任天堂は裁判でライバルがNESでテトリスを発売する権利を否定する判決を勝ち取ったのだ。アタリにとっては屈辱的な敗北であり、売れ残ったNES版の販売から撤退せざるをえなくなった。NES版テトリスはおそよ10万本が出回ったと考えられている。任天堂が作ったバージョンよりも出来がいいとの評判で、現在ではコレクターズアイテム扱いだ。
 

激レアなのがメガドライブ版
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 セガは80年代後半にテトリスのアーケード版を作成し、その16ビットコンソール機への移植版も準備した。しかし、テトリスにまつわる狂乱のおかげで、セガはゲームを廃棄するように急かされてしまう。それでも、ごくわずかなメガドライブ版は現存する。2011年、パジトノフのサイン入りメガドライブ版テトリスがeBayに出品され、おそろしいことに1億円相当の値をつけた。


テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂
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 テトリス争奪戦の真の勝者は任天堂だ。バレットプルーフと共同開発したゲームボーイ版テトリスは、携帯用ゲーム機のまさにキラーアプリであった。テトリスがなくてもゲームボーイはそれなりに成功を収めたかもしれないが、モノクロ画面のこの機体にこれ以上ぴったりなゲームを思い浮かべることは難しいだろう。

 ゲームボーイと短い時間で手軽に没頭できるテトリスとの相性は抜群であった。1989年に同梱販売されると、テトリスはあっというまに世界で最も広く遊ばれるベストセラーゲームとなった。携帯機はもはやテトリス抜きでは考えられない。


アンドルー・ロイド・ウェバーがヒットチャートに送り込んだテトリス
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 テトリスの音楽としては、田中宏和がアレンジしたロシア民謡のコロベイニキがあまりにも有名だ。80年代後半~90年代にかけて、ゲームボーイの小さなスピーカーから流れたこの曲は、大勢の人が耳にしたことがあるだろう。ゲーム音楽ではスーパーマリオブラザーズのテーマと並ぶ、誰もが知る曲である。

 なんとテトリスのコロベイニキは、90年代初頭のヒットチャートにも登場したことがある。『キャッツ』や『オペラ座の怪人』の作曲家として知られるアンドルー・ロイド・ウェバーとレコードプロデューサーのナイジェル・ライトが1992年にダンスリミックス『テトリス』をリリースしたのだ。これはイギリスのチャートで2位を獲得している。

 が、一方のパジトノフはテトリスにロシア民謡が使われたことをあまりよく思っていないようだ。ガーディアン紙のインタビューで、「かなり恥ずかしいです。子供がこれを耳にすると、『テトリス!』って叫び始めるんですよ。ロシア文化には悪影響ですね……」と発言している。


テトリスにちなんだ症状名
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 テトリスを長期間プレイすることで、「テトリス効果」や「テトリス症候群」という症状が発症することがある。身の回りのものがテトリスに見えてきて、どうすれば組み合わさるか勝手に考え始めてしまうのだ。また、寝ているときにテトリスのカラーブロックが落ちてくる夢を見ることもある。

 これはそれほど深刻な症状ではない。それどころか、専門家の中にはテトリスをプレイするといいことがあると主張する者もいる。

 PTSDの患者の治療から喫煙者の禁煙支援まで、大脳皮質を強化するテトリスからは様々な恩恵が得られるというのだ。また空間認知能力も向上するようだ。つまり、80年代、90年代にテトリスで育った世代は、バックでの駐車が大の得意だということだ……多分きっとそう。

テトリスの論文を書いた数学者
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 完成した行を消すこのゲームに熟達すれば、理論的には永遠にプレイし続けることが可能であるとお考えかもしれない。だが、数学者ジョン・ブルズストウスキーによれば、長時間プレイすればかならず敗北で終わるのだそうだ。

 これは1992年に発表した彼の修士論文で、彼の言う”歪型”テトリミノ(S型とZ型のテトリミノ)が大量に出ると、隙間が不可避となり、最終的にはゲームオーバーになるという論旨だ。だが最近のバージョンでは、テトリミノの出現はランダムになるよう調整されており、永遠にプレイすることが可能になっている。


テトリスの中毒性の秘密はツァイガルニク効果
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 パジトノフがテトリスを生み出してから30年、このゲームは今もなお世界で広くプレイされ続けている。最新のゲーム機からスマートフォンまで、様々な機器に移植され、少なくとも10億人はプレイヤーがいると推定される。

 それほどまで人々を熱中させる秘訣は何なのだろうか? 心理学者トム・スタッフォードによれば、それはツァイガルニク効果であるという。これはロシアの心理学者ブルーマ・ツァイガルニクが、大量の注文を記憶するカフェのウェイトレスは注文が完了するとすぐに忘れてしまうことから、脳は未完了の事柄に対しては容量を用意するが、必要がなくなればすぐに廃棄してしまうと提唱した理論だ。

 「テトリスは未完了のタスクを継続的に作り出し、プレイヤーの注意を維持する」とスタッフォードは2012年の論文で論じている。「ゲーム内の各アクションによって、行が埋まり、パズルは部分的に解かれる。しかし、新しい未完の作業も残る。こうした部分的な解決と新しい未完作業の連鎖は数時間におよぶが、それは行が削られるたびに同じような満足が得られる瞬間で満ちている」

 ほとんど偶然であろうが、アレクセイ・パジトノフが作り出したゲームは脳の問題解決領域を刺激するものだったのだ。これが中毒性の源泉である。このために私たちは誕生から30年経った今もテトリスをプレイしている。そして、今後数十年は変わらないであろう。

via:The Incredibly Weird Story Behind Tetris

 実は私もテトリスにはまってしまった人類の1人である。シンプルながらあの中毒性は凄いと思う。様々なパズル系ゲームをプレイしているが、ちょっとしたバグを含めてテトリスの完成度の高さって相当なものだと思う。

☆まだあったんか!

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自身最大の発明を悔やんだ6人の科学者

2016年07月08日 | 世界びっくりニュース
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 科学者たちの発明が文明の発展や技術革新に寄与した例は枚挙にいとまがない。だが時に、自らの作り出したものが戦争に使われてしまい、発明したことを悔やんでいる科学者もいる。

 ここではそんな6人の科学者についてのストーリーを見ていくことにしよう。

アルフレッド・ノーベル
発明品:ダイナマイト
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 スウェーデンの化学者、発明家であるアルフレッド・ノーベルはわずか17歳にして5ヶ国語を操ったという人物だ。ノーベル賞の創始者として有名であるが、これはその財産を「前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」とした彼の遺言が元となっている。

 だがこうした科学で最も栄誉ある賞の源泉となったのは、ノーベルの最も有名な発明、ダイナマイトによってもたらされたものだ。これは彼の弟の命を奪ったニトログリセリンをより安全でより安定したものに改良した建設用爆薬で、1867年に特許出願された。ノーベルが望んだのはニトログリセリンを安定させることで、戦争を終わらせる発明をすることだった。決して戦争を作り出そうと思ったわけではない。

 「おそらく私の工場は議会よりも早く戦争に終止符を打つだろう。その日、両軍の部隊は一瞬でお互いを殲滅させる力を手にいれる。あらゆる国民国家が恐れおののき、軍隊を解体するにちがいない」

 悲しいかな、彼の想像したことは実現しなかった。軍隊はすぐにダイナマイトの兵器としての可能性に気がつく。これによって無数の命が奪われた。あるフランスの新聞がノーベルの死の誤報を掲載したとき、その見出しは「死の商人、死す」であった。

 「それまでにない速やかさで人々の命を奪う方法を見つけ出し、そのために大富豪となったアルフレッド・ノーベル博士が昨日死亡した」と続いたその記事は、まるで祝うような論調であった。これに当惑したノーベルは、死後に自分がどのように記憶されるか意識するようになった。これがノーベル賞設立につながることになる。


アーサー・ガルストン
発明品:枯葉剤(オレンジ剤)

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 アーサー・ガルストンはアメリカの植物学者として植物の成長を助ける方法の研究に身を捧げた人物だ。トリヨード安息香酸(TIBA)という大豆の開花を早めるホルモンの合成に着手するが、これは濃度を高めると落葉を促すものだった。

 そして彼が予想もしなかったことに、細菌兵器を研究する科学者がTIBAに目をつけ、ここから化学兵器を作り出す。オレンジ剤と呼ばれたそれは、ベトナム戦争で枯葉剤として使用された。だがそれだけではなかった。その影響で無数の奇形の子供たちや成人の健康被害までも生み出してしまったのだ。

 これを悔やんだガルストンは、1965年から1971年の禁止にいたるまでオレンジ剤使用に反対するロビー活動を続けることになる。彼は生涯にわたって自らの研究が戦争に利用されたことを悔やんだという。ニューヨークタイムズ紙にこのように語っている。「科学でなされることが必ずしも人類のためになるとは限りませんから。あらゆる発見は善でも悪でもなく、建設的な結果にも、破壊的な結果にもなりうるものだと思います。でも、それは科学のせいではありません」


ミハイル・カラシニコフ
発明品:AK-47

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 ミハイル・カラシニコフが望んだのは祖国を守ること。それ以上でも以下でもない。そのために彼は当時採用されていたライフルの非効率性や危険性について仲間から話を聞き、一つ一つ確認すると、それを克服したライフルを設計する。その成果が制式名称「7.62mm アブトマット・カラシニコバ」、通称AK-47である。これについてワシンントンポスト紙は次のように要約している。

 「世界で最も普及し、かつ効果的な戦闘兵器。安くかつシンプルであり、各国は鶏1羽よりも安く購入できた」

 低コスト、軽量、過酷な気候条件でも運用可能な銃を開発したことで、カラシニコフはロシアの英雄となり、彼自身長い間それを誇りにしていた。が、不運なことに、テロリストなどの過激派グループが密造するようになると、心境に変化が訪れる。彼はガーディアン紙にこう語っている。

 「自分の発明については誇りに思っています。ですが、テロリストに使われるのは悲しいことです……普通の人々が使えるような、農家の人なんかが作業で使えるような……そう、芝刈り機なんかを作ればよかった」

 2009年の時点で1億丁が生産されたAK-47だが、その半数は密造品である。カラシニコフはこれがもたらした流血に心を痛め、ロシア正教の司祭宛に次のような懺悔の手紙を書いた。
 
 「私の心痛は耐え難いほどです。胸の痛みもそうです。答えを出すことのできない疑問が頭から離れません。私のライフルが人々の命を奪っているのならば、93歳になる農家の息子、正教の忠実なる信徒である私ミハイル・カラシニコフは、人々の死に責任を負っているだろうか、と。たとえそれが敵であったとしても」

 教会は彼を赦し、その献身に礼を述べた。それから6ヶ月後、カラシニコフは息を引き取った。

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カムラン・ロフマン
発明品:兵器レベルの唐辛子スプレー

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 唐辛子スプレーはもともと高潔な目的のために作られた。最初に開発されたのは1960年のこと。アメリカの郵便配達員を犬の襲撃から守るためだった。これが効果的であることが判明すると、80年代にFBIが兵器レベルの威力を持つ唐辛子スプレーの開発に着手。こうしてカムラン・ロフマンが発明したオレオジン・カプシクムは、唐辛子によるヒリヒリ感を起こすものと同じ化合物から抽出された非殺傷性の薬剤であった。

 スコヴィル値530万。自然界に存在する最も辛い唐辛子の5倍である。ロフマンは警察がオレオジン・カプシクムを使用すれば、暴漢を傷つけることなく無力化できると考えていた。失明、呼吸困難、咳といったその効果はいずれも有効でありなら、一時的なものでしかなかったからだ。その安全な使用を主張して、採用された国中の警察区のために使用のガイドラインを記し、それに沿った訓練を施した。ロフマンの告白によれば、20年間で大勢の命を救ってきたという。

 しかし2011年、平和的な抗議集会に対してオレオジン・カプシクムが使用された場面を見て、ロフマンは衝撃を受ける。そして、ウォール街を占拠せよ運動に触れてこう語った。

 「最初に私の頭に浮かんだのは警察でも学生でもありません。自分の子供たちでした。自分の意見を持って座り込み、そして化学薬品で退散させられるのです。こんな使い方は常軌を逸しており、私の知るいかなる訓練や警察のやり方とも違います。80年代初頭から90年代にかけて4,000人の警察官を指導してきましたが、こんなことは初めてです……唐辛子スプレーの開発目的はこのようなものでないと世の中に説明すべき市民としての義務を感じています」

 ロフマンは現在その発明品の適切な使用を促すために多大な時間を費やしている。インタビューはこう続く。

 「今ではますます持て囃されるようになっています……化学薬品を意見を持つ人に使用するのは……本来の使い方でありません。これはどんな問題でも解決してくれるものではありませんし、人々黙らせるためのものでもありません。ただのその場しのぎの道具なんです」


オーヴィル・ライト
発明品:飛行機

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 ライト兄弟の人類初の有人飛行については誰もが知っているだろう。だが、その後彼らが生涯をかけて、飛行機の平和的な利用を呼びかけていたことをご存知だろうか。2人とも自分の発明品がまさか戦争に使われるとは思ってもいなかったのだ。1909年に飛行機をアメリカ軍に売却したとき、彼らが予測していた使用法は観測であった。しかし、第一次世界大戦を生き延びたオーヴィルは、飛行機がもたらした破壊を目の当たりにする。

 「飛行機が戦争を恐ろしいものにしました。再び戦争をしたいと思う国が存在するとは思えないほどに」

 5年後、あるラジオ放送で彼はこう発言している。

 「飛行機は政府にそれが持つ破壊の力を知らしめ、結局ところ平和を維持する強力な道具となりました」

 だが、第二次世界大戦で爆撃機による荒廃を再び目にすると、自分の発明品がこのように使われることが避けれないと知り愕然とした。死の直前、ある新聞にこう語っている。

 「私たち(彼とウィルバー)は浅はかにもこの世に長い平和をもたらしてくれるような発明をと願っていました。ですが、私たちは間違っていたのです」


ジュリアス・ロバート・オッペンハイマー
発明品:原子爆弾

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 アインシュタインが原爆を開発したことを後悔していた事実は有名だ。だが、原爆の開発に携わったのは彼1人ではない。「原爆の父」として知られるロバート・オッペンハイマーもまたそこにいた。

 才能豊かな物理学者として核の動きを研究し、同時にヒンドゥー教の精神にも惹かれていた彼は、天体物理学、核物理学、量子力学などの理論物理学を推し進めようとするアメリカに大きな貢献を果たしている。彼の研究は、今日ブラックホールと呼ばれる現象の下地を作ったが、第二次世界大戦が勃発すると、これに終止符を打つ手段として精力的に原爆の開発を行うようになる。

 ロスアラモス国立研究所の初代所長としてマンハッタン計画に参加する一流の物理学者をスカウトし、同時に自らは原爆を刺戟する中性子連鎖反応を研究した。その成果が人類最初の核実験「トリニティ実験」だ。その爆発はTNT爆薬18,000トン相当したという。

 オッペンハイマーはこの実験を忘れることができず、あるテレビ番組でこのように話している。

 世界が変わってしまうことに気がついていました。何人かが笑い、何人かは泣いた。が、ほとんどは黙ったままでした。ヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギーター』の一節にこうあります。『ヴィシュヌは王子に義務を果たすよう説得するため恐ろしい姿に変身し、『我は死神なり、世界の破壊者なり』と語った』と。

 私たち全員がそれぞれにそんなことを考えたのではないでしょうか……俗っぽさも、ユーモアも、誇張でも消すことができない身も蓋もない意味で、物理学者は罪を知りました。これを拭い去ることはできません。

 その威力を目の当たりにしたオッペンハイマーは原爆の国際的な管理を訴えるようになり、やがて原子力委員会のアドバイザーに就任する。原爆開発に強く反対した彼であったが、共産党とのつながりから、政府は機密の流出を懸念。結局彼の主張は潰され、公職から追放される。その後、自らの招いた結果を忘れず、一生に渡って悔やむことになる。

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 ここで紹介したいずれの科学者や発明家もその発明品がもたらした結果について責任を負わない。だが、私たちはこうした科学技術が道を踏み外すことを防ぐことはできるのだろうか? 元ネイビーシールズのクリス・ファッセル氏が、ネットワークの時代において科学技術の進歩は我々が制御できる速度を超えていると主張している。

☆全部、知っとった!

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アメリカンデンジャラス。一般人が危険に遭遇しやすい危険な都市ランキングベスト10

2016年07月06日 | 世界びっくりニュース
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 アメリカでは郊外にあるのどかなホールフーズ(オーガニックフーズの小売)のような界隈にも、リアルに危険が存在している。そうしたエリアでは犯罪の犠牲者になってしまう確率はとても高く、多くの近隣住民にとって高速道路の車の流れに突っ込むほうが生存率が高いくらいだ。

 こうした界隈では住居侵入、放火、暴行、強盗、誘拐が頻繁に起き、警察も町のお偉方も住民も、犯罪に歯止めをかけるのに苦慮している。

 危険の脅威にさらされているこうした多くの場所がもっとも悲惨なのは、オイルや砂糖、木材のような必需品と同じように、犯罪が当たり前のようになってしまっていることだ。麻薬ディーラーやギャングは、こうした脅威を利用してやりたい放題し、新たな脅威が限りなく繰り返されることなどすっかり忘れてしまっている。

 アメリカのサイトでまとめられていたこれらの地域の脅威は、世界を震撼させるような乱射事件ではない。むしろ、長く忘れ去られている、そこに住む住人や隣り合わせの危険についてのリストでもあるのだ。

10. ミシガン州サギノー 12人にひとりが犯罪犠牲者

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 ジェネシーとホランドアベニュー界隈は、ほとんどなんの進歩もないように見える。いちおう、コンビニやテイクアウトのレストラン、カーサービス、タイヤやカー用品の店などが並ぶ光景はごく普通だが、ほとんどが典型的な労働者階級の店だ。

 例にもれず、こういうエリアは犯罪率も高く、市のお偉方は犯罪を撲滅しようとあらゆる手段を尽くしているが、FBIはサギノーは痛い目にあいたい人が集まる町だとみなしている。


9. ジョージア州アトランタ 12人にひとりが犯罪犠牲者

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 150年前、南北戦争で南部連合の砦だったアトランタの市民が、今日でもアトランタが主役だとは決して思わなかっただろう。しかし、おそらくマイアミは別として、アトランタはほかの南部の都市の中で唯一、オリンピックを開催できる潜在力があった。UPS、CNN、コカコーラなど、ビジネスの中心地でもある。アトランタはアメリカ国民全体のプライドの源なのだ。

 しかし、そんなアトランタにも、できれば隠しておきたい界隈がある。連邦刑務所の外、アデアとホプキンス通りのあたりは、全米でもっとも危険な区域とされていて、12人にひとりが犯罪の犠牲者になる確率だ。


8. カリフォルニア州オークランド 住民1000人に対して77件の犯罪

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 サンフランシスコ湾の脇には、もちろんサンフランシスコがある。町の角々にベーグルショップがあり、住民はきちんと責任をもって飼育された家畜の肉を食べることを好む。この50年、多くの先進的な活動の中心地のひとつでもあり、湾の南にはシリコンバレーがあり、テクノロジーおたくの大金持ちは、サンノゼやマウンテンビュー出身者が多い。

 イーストベイ地域は、ずいぶん前にスペース1の『イーストベイ・ギャングスター』という曲で有名になった。ここは、NFLのサンフランシスコ・フォーティナイナーズのファンは決して足を踏み入れない地域であり、コカインの女王、グリセルダ・ブランコの若い恋人が住んでいた場所。ここの住民は犯罪の犠牲者になる確率が高い。


7. オハイオ州クリーヴランド 住民1000人に対して165件の犯罪

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 NBA選手のレブロン・ジェームズは、オハイオ州の人たちにとって英雄だ。特にクリーヴランドの住人は、彼がクリーヴランド・キャヴァリアーズを少なくとも3度NBAのファイナルへ導いたことに狂喜乱舞しているだろう。たとえ、彼がチャンピオンズリングを獲得できなくても、クリーヴランドはとても誇りに思っているに違いない。

 レブロンとが光だとすると、彼のホームタウンであるこの町の一部は闇だ。特にのスコヴィルは、6人にひとりの割合で犯罪の犠牲者が出る地域。左右を見回している奴がいたら、そいつは両隣りの人のサイフをくすねていると思っていい。


6. ミシガン州フリント 住民10万人に対して580件の犯罪

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 フリント住民にとって、犯罪率よりも恐ろしいものがある。飲み水が汚染されていることだ。お役人たちが安全できれいな飲み水の供給を怠っていたことが、つい最近になって明らかになったのだ。

 鉛の含有率の高い水の問題は、子どもを含む住民の多くが年をとるまで、このままずっと隠蔽されていた可能性がある。お上は慌てて問題解決にとりかかるだろうが時すでに遅しだ。ちなみにここはマイケル・ムーアの生まれ故郷である。

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5. ウィスコンシン州ミルウォーキー 1295件/10万人の犯罪

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 ハーレー・ダビットソンの聖地、ミルウォーキー市民には、ビールを飲むこと、雪かきすること以上の心配事があるようだ。10万人の住民に対して1300件近い犯罪率は、この町の守護神聖ブレット・ファーブルでさえ、とても救うことはできないレベルだ。

 ミルウォーキーの人口は約150万人、つまり市民は毎年2万件前後の犯罪にさらされているというから、その犯罪件数の高さがわかるだろう。シカゴの総合センターの座席がすべて埋まるとその数は20500人になる。つまり、シカゴブルズがホームでプレイオフのゲームをしている間に、アリーナにいる観客全員が死ぬことになる。


4. テネシー州メンフィス 常にFBIの報告書に名前があがる町

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 統一犯罪白書は、FBIが方針を下すときに利用する犯罪データ集だ。データはたいていふたつのおもなカテゴリーに分けられる。まずパート1犯罪。これはおもに殺人、誘拐、強盗といった凶悪犯罪。それからパート2犯罪は、そこらへんにたむろしたり売春など、それほど深刻でない犯罪。この5年間で、メンフィスはこのふたつのカテゴリー両方で犯罪件数をリードしていて、大小あらゆる犯罪が町にはびこっている状態だ。FBIからアメリカでもっとも住みにくい町という称号を与えられそうな勢いだ。


3. イリノイ州イーストセントルイス 10万人中90件の殺人

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 暗黒時代のときのように、こんなにひどい環境からでも美しいものが生まれたりすることがたまにある。暗黒時代の後のルネッサンスは、コンクリートから咲いた花のように、長年ヨーロッパの魂に彩りを注いだ。それと同じように、イーストセントルイスもまた、犯罪地獄の深みから魔法を編み出した。この町は、プロバスケのダリアス・マイルズ、プロフットボーラーのブライアン・コックス、オリンピックメダリストのジャッキー・ジョイナー・カーシー、テニス界のレジェンドのジミー・コナーズといった著名人たちの出身地なのだ。

 だが、ここはほかの都市のように危険な町ではないのに、最近の殺人率は、暴力で有名なホンジュラスよりも高くなっている。前述の有名人たちの家が、今はこの町にはないことがやはりミソなのかもしれない。


2. ニュージャージー州カムデン 住民10万人に対して2015件の犯罪

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 かつて栄えていた町が落ちぶれる、その典型的なプロセスをたどった町だ。まず、20世紀始めに大きな好景気にみまわれた。そのせいで、ニューヨークのような大都市に住みたがらない人たちが、シンプルな生活を求めてこの小さな町に移り住み、大金も流れ込んだ。ところが、20世紀後半には経済が低迷し、これまで繁栄していたこの町は落ちぶれてしまう。

 多少の人種的な反感があったことも忘れてはならない。公民権運動の時代、この労働者階級の町は経済の急降下を体験した。町の緊張が高まり、人種を問わず、可能な人たちは町を去って二度と戻ってこなかった。決定的な要因は、政治の腐敗だ。映画『アメリカン・ハッスル』は、ギャングから賄賂を受け取る地元の政治家の話をベースにしている。やはり危険な町なのだ。


1. ミシガン州デトロイト アメリカでもっとも危険な町

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 過激なラッパーが自分の出身地を歌で表現するときはたいてい、その町は最悪だと歌う。さらに、この強烈な町にはスポーツチームがあって、犯罪率が高いと歌う。これが定石だ。デトロイトはこうした内容にぴったりの町だ。

 エミネムやキッドロックはこの町を代表する有名人だ。もちろんこのモータウン出身のミュージシャンは数えきれないくらいいるが、皆が腕に地元のスポーツチームロゴのタトゥーを入れているわけではない。スポーツチームのことになると、どれほどライオンズ(NFL)の成績が悪くても、ファンはタイガース(MLB)の盛り上がりに味方する。レッドウィングスはNHLの要だし、ピストンズはNBAの優勝からそれほど遠くないところにいる。

 これらスポーツの盛り上がりは、デトロイトの問題の副産物だ。腐敗、経済、社会の変化についていけないことが、デトロイトを取り残し、折り紙つきの危険な都市にしてしまった。ケリーやモラング界隈は、リカーショップが並ぶことで知られているが、殺人の犠牲者が出るのは日常茶飯事だ。この調子では、いつまでたってもデトロイトは前途多難なままだろう。

via:The 10 Most Dangerous Neighborhoods In the United States

☆俺らの若い時は、ニューヨークが一番危険だったのに・・・!

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海の底に潜む10の魅惑的なミステリー

2016年07月04日 | 世界びっくりニュース
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 頭上に広がる宇宙を見上げては畏敬の念を抱く人は多いが、それと同じくらい謎に満ちた領域はずっと近くにもある。海底には我々がまだ知らない光景が広がっているのだ。科学技術の発展とともに人類の探求の手も少しずつ伸びてきているが、それでも無数の謎が隠されている。

10. オイルリグの側でカメラが捉えた形のさだまらない巨大生物

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つい最近海底のオイルリグの付近を浮遊する巨大な不定形の生物をカメラが捉えた。常に形を変え続けるそれはまるで内側から光を発しているかのようで、しかもかなりの大きさだった。インターネットでは海底に生息する新種の生物という説の一方で、宇宙人の証明であるとする噂まで流れている。

 だが、専門家の見解は超巨大なクラゲというものだ。鼓動する生物からは生殖器官まで確認でき、おそらくは既知の種と特定できるとまで指摘されている。

 だからといって、すべてが解決されるわけではない。この付近に他にクラゲが見当たらなかったにもかからわず、生殖腺を見せながらしばらく留まっていたからだ。可能性としては、海底の掘削が周囲の生態系を乱していたことが考えられる。オイルリグを見て危険を感じたクラゲが威嚇行動を取っていた可能性もある。


9. 海底深くに眠る水晶のピラミッド

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 バミューダトライアングルの付近の深海底には奇妙な水晶のピラミッドがあるという。それを知るはずの科学者が調査を進めないのは、陰謀が隠されているからだとされることもある。が、真の謎はまったくのデタラメなのになぜこんな噂が流れたのかということだ。

 これは数十年前から存在する作り話だ。それによれば魔法の力を備えた水晶の玉がピラミッドの頂上に現れるという。中にはだまされた人もいたが、もちろんすべて嘘っぱちだ。

 まともな科学者はそこにピラミッドなどないことを知っている。だが、一度信じ込んだ者の目を覚まさせることは難しい。そして水晶のピラミッドは宇宙人と結びついて実しやかに囁かれ続ける。


8. 不死のクラゲの秘密とは?

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 “ベンジャミン・バトン”クラゲには実にユニークな力がある。通常の生物と同じく生まれ、死にゆく一方で、危険な傷を受けると加齢のプロセスを逆転させ若返るのだ。こうして傷を修復し、ストレス条件下を生き延びる。が、この能力ゆえに世界中の海に広まり、バランスを崩すことにもなっている。

 クラゲが本当に不死であるのか疑う声もあるが、この素晴らしい能力から学ぶことはあるはずだ。このクラゲはDNAに刻まれた初期プログラムを再起動させて、かつ細胞を必要なものに変化させる。そのメカニズムを理解できれば、ガンなどの治療に応用できる可能性が大いにある。が、惜しむらくはこのクラゲの研究はあまり行われておらず、ガンの新兵器開発には相当時間がかかりそうなことであろう。


7. アトランティスは実在したのか?

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 失われたアトランティスについては、ちょっと信じがたい突飛な説が数多くある。曰く、そうした言い伝えがまったくないバミューダトライアングルにあった、曰く、都市をドームで包み海底で今も生き延びている……。あるいは多少はまともな説として、実在の遺跡に着目するものもある。

 ご存知かもしれないが、実はアトランティスはプラトンが一から作り上げた寓話である可能性が濃厚だ。アトランティスの伝説がただの作り話であると知ってがっかりする人は大勢いるだろう。

 それとも、本当にあったのか? 歴史家のベタニー・ヒューズはアトランティス伝説を綿密に調査した結果、プラトンのアイデアには元があることに気がついた。

 現在のサントリーニ島は古代ギリシャではテーラの島と呼ばれていた。ここの住民は商売上手で、3つの大陸の近くにあるという地理的条件を巧みに利用していた。これが巨万の富をもたらした。だが、テーラの人々は自分たちがまさか火山の真上で暮らしているとは夢にも思わなかった。紀元前1620年に世界中に影響与えるような大噴火を起こす。プラトンはどこかでこの話を耳に挟んだに違いない。

 ポンペイと同じく、アトランティスのモデルかもしれないこの街は現在よく保存され、過去数十年で歴史家たちに数々の情報をもたらしてきた。


6. 知的生命が意外にも身近にいた?

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 人魚伝説の科学的な説明はこうだ。船乗りは長い間航海を続け、孤独で、しばしば酔っ払っていた。悪いことに、海は幻覚を見やすい条件が整っている。そのためマナティを見た船乗りが人魚と見間違えた……。

 しかし広大な海洋にはまだ未知の領域が存在する。もし本当に存在するのであれば、海底で暮らす知的生命の姿について想像することはできる。おそらくは水圧のせいで道具の使用が困難であるため、人類と同じレベルまで進化してはいないだろう。他方、彼らの姿をきちんと知ることはできない。我々は人間と同じような姿を持つ知的生命を探し求めてきたが、その姿や生態はまるで異なるはずだからだ。


5. 深海の水圧に耐える方法

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 大勢の人は宇宙の探索には莫大な金がかかるが、海ならたやすく潜り込むことが可能で、そのほとんどが知り尽くされていると思いがちだ。しかし、それは必ずしも真実ではない。近年海洋探査の難易度はますます上がってきている。深度数kmにもなれば水圧は狂気の沙汰であり、ごく狭い範囲をわずかな時間捜索するだけでも極めて大掛かりな準備が必要となる。

 『ターミネーター』や『アバター』で知られるジェームズ・キャメロンは熱心な海洋冒険家であり、マリアナ海溝の最深部チャレンジャー海淵に潜った数少ない1人だ。数多くの標本を採取し、また素晴らしい映像もカメラに収めることに成功しているが、ごく短時間の潜水であってもリスクは非常に高く、専門家の支援が必要となるために多額の資金を投入してもいる。しかもこれは海底のごく一部でしかなく、地球の海には人間に姿をさらしていない場所が数多く残されているのだ。


4. 深海最大の生物は?

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 海底に潜むモンスターを想像したことのある人もいるだろう。かつて伝説だと考えらえていたダイオウイカの実在は今では周知の通りである。その大きさには度肝を抜かれるばかりだが、海洋では多くの通常の魚が、適切な環境に置かれれば圧倒的な巨体を有するようになる。ゆえに未だ我々の知らぬ巨大生物が潜んでいてもおかしくはない。

 地上においては、恐竜の時代でさえ、シロナガスクジラ以上の生物は存在しなかった。しかし、ほとんどが未知の海、特に深海においてはそれと同等あるいは上回る生物がひしめいている可能性は否定できないのだ。


3. 海洋とそこに生息する生物の大部分は未知のまま

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 海洋の95%が未知のままであるという話を聞いたことがあるだろうか。だが、海洋生物学者に言わせれば、これは単純すぎる。現在専門家は人工衛星やレーダー、さらには数学的モデルを利用して、海底の地形を5kmの解像度で地図化することに成功している。これによって海底に存在する海溝や山脈といった起伏についてはかなり把握されており、技術が進歩するにつれその精度はますます高まっている。

 だが、海洋生物学者ジョン・コプレーは、一般的な見方の嘘を指摘しつつも、実際に探索されたのは5%未満であることを認めている。墜落したマレーシア航空機の残骸を探すために使用されたようなソナーでも確認できる範囲は、海洋の1%以下でしかないのだという。

 しかも生態系の仕組みやそこに生息する種といった海洋で実際に起きている物理現象については、それ以下のことしか把握されていない。つまり、海洋学者の関心が続く限り、海洋にはほぼ無限の未知の領域が広がっているということだ。それがすべて解明されるのは、数千年の月日と巨額の費用を費やす必要がある。


2. “ブループ”という謎の音の正体

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 1997年、南アメリカ沖の海中で奇妙な音が検出された。数km離れた2つの観測所で検出されるほど大きな音で、人々に何か深海に潜む生物を想起させた。想像力豊かな者は、海底都市に封印された架空の怪物クトゥルフのような生き物を思い描いたかもしれない。

 が、NOAA(アメリカ海洋大気庁)はそのような人々のファンタジーなど木っ端微塵に打ち砕いてしまった。その正体は氷棚が崩れたときのもので、これを氷震というそうだ。どこか動物の叫び声にも聞こえるが、通常速度では雷や地震の音に似ている。

The Bloop: A Mysterious Sound from the Deep Ocean | NOAA SOSUS


 なお、陰謀論の支持者はやはり未解明ということにしたようだ。


1. メタンハイドレートは長期的なエネルギー源となりうるか?

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 メタンハイドレートは水とメタンが凍った奇妙な結晶構造である。数十年前に発見されて以来、代替エネルギーにするというアイデアが真剣に検討されてきた。

 それ自体は天然ガスが不足したときの代替エネルギーとなりうる。しかし、固有の問題もある。そのほとんどは海底から採掘する必要があるため、大きな規模で展開するには非常にコストがかかるのだ。また海底の掘削による海洋環境の汚染も懸念される。

 現時点では、それほど高価ではない天然ガスの採掘方法がいくつも存在する。しかし、将来的にそうした利用ができなくなったとき、石油関連企業や政府がメタンハイドレートに希望を託すべく動きだすと考える専門家は大勢いる。

via:10 Intriguing Mysteries Lurking Beneath The Ocean

☆アトランティスは作り話かぁ~、ショックじゃ!

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