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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

交通事故

2015年05月17日 21時09分55秒 | Weblog

 ああ、やっちゃった!今日は朝から、何となく気乗りがしないというか、晴れやかな気分ではなかった。バラを育てている家がオープンガーデンを行なうという記事を見て出かけたが、出かける時からウキウキした気持ちもなく、遅くなったから止めようかとさえ思っていた。でもせっかくだからと出かけたが、思った通り、新興住宅街の中にある普通の家だった。家の前には駐車はできない。困ったなと思っていると、ご主人が出てみえて、「近くの道路の広い所に止めて来て」と言われる。

 カミさんを残して、孫ふたりを乗せたまま広い場所を探した。カミさんと一緒に孫ふたりも降ろせばよかったのに、もうこの時点で的確な判断を欠いていた。7月で6歳になる孫娘はやんちゃで、「走ってはダメ」と注意しても言うことを聞かない。ガーデンに入っても、「花を触ってはダメ」と言っても聞き入れない。20歳の孫娘がコントロールしてくれなければ、ジジババはお手上げだ。そんなこんなしながらもバラを見て、帰路に着いた。往きは探しながらだったから大変だったけれど、帰りは何度も走ったことのある道だったのでスムーズに走れた。

 直線の道路で車はゆっくりだが走っていた。そうか、ここの喫茶店はまだやっているのか、そう思った瞬間、前の車が大きく迫った。「危ない!」と言うカミさんの声、咄嗟にブレーキを踏んだけれど、車は前のワンボックスにぶつかった。しかも、ワンボックスの前にはもう1台軽乗用車がいた。2台の玉突き事故をやってしまったのだ。私の前方不注意である。50年以上車を運転していて始めての交通事故だ。駐車違反やシートベルト違反はあったけれど、ぶつけてしまうことはなかったのに、追突事故を起こして初めて恐さを知った。

 交通事故調査の警察官はテキパキと調査をしていく。それでも終るまでに2時間近くかかった。「お待たせしました」と警察官に言われて、事故を起こした私の方が恐縮した。事故車を置かしてもらったレストランと花屋の店長に挨拶し、その足で車を買った店に行き、事故を報告して保険の手続きをしてもらう。ああ、疲れた。もう、運転は無理なのかなあー。

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男の子の遊び

2015年05月16日 17時19分05秒 | Weblog

 公園で小学6年生くらいの男の子が数人で遊んでいる。空に向かって顔を突き出し、その開いた口に炭酸水を一気に流し込み、どれだけ飲めるかを競い合っていたが、遊びなのかいじめなのか傍で見ている側には分からない。周りの子が「男を見せろ」と囃し立てている。子どもの頃、橋の上から川に飛び込む時も、誰かが「男の根性を見せろ」とか言って、恐がっている子に無理やりやらせていたが、男は昔から変わらない。

 馬鹿げたことをやり遂げることが、一人前の男の紋章なのか。安倍首相はいつも「丁寧に、分かりやすく説明していく」と言い、同盟国の軍事支援を約束する安保法案が成立しても「戦争に巻き込まれることは絶対にない」と言い切るが、なぜかは明らかにしていない。「決して再び戦争はしない」のに、どうして軍備の増強が必要なのか、そうした疑問に対しては「わが国の平和と安全を確保するため」と開き直る。「強い男」を演じる安倍首相は「男を見せろ」に応えているのかも知れない。

 高い樹に登ったり、小便の飛ばしっこをしたり、そんな子どもじみた遊びのうちは可愛いけれど、戦争はひとりでは出来ないから大勢の人々を巻き込むことになる。子どもたちの「男を見せろ」遊びだって、本当はやりたくない子だっている。けれども「イッキ、イッキ」と囃し立てられるとやらない男は弱虫扱いにされる。場合によっては卑怯者呼ばわりされ、仲間はずれされるかも知れない。ひとりでいいと思える子は少数で、多くの子は仲間はずれになることを恐れる。

 先日、遊びに来てくれたトルコ人家族から封書が届いた。お母さんからの礼状と一緒に長女と次女の共同作品が入っていた。長女が額を作り、次女が絵を描いてくれたものだ。3歳の長男は我が家が気に入ったようで、「こんどはいつ行くの?」と言っていると書かれてあった。女の子は優しいし、誰とも仲良くなれる。男の子も人と仲良くすることが、「男を見せろ」の最高の勲章と教える必要がある。仲良くすることが人間の最高の規範と、大人は子どもに見せなくてはならない。

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何かが足りない

2015年05月15日 18時21分51秒 | Weblog

 昨日は名演の5月例会、劇団俳優座による『春、忍び難きを』だった。いつもはお昼に観るのに、昨日は夜の部で観た。安倍首相の閣議後の記者会見を聞いて、演劇の感想とからめてブログを書くつもりでいた。演劇は上演時間が3時間と長く、帰宅してから立ち上げる予定だったのにできなかった。今国会に提出される安全保障関連法案が成立すれば、国のあり方は大きく変わる大問題だが、安倍首相は「積極的平和主義の旗を高く掲げ、世界の平和と安定にこれまで以上に貢献していく」と決意を語った。

 演劇の舞台は70年前の長野県松本市近郊の農村。村長はこの地の大地主で在郷軍人会長、大政翼賛会長などを務め、政府と軍部の方針に従い、中国人捕虜や朝鮮人を使った地下工場の建設にも携わっていた。村長の長男は朝鮮での林業で大儲けしたが、敗戦のために財産を失い、家族で村長の家に戻ってきた。長女の婿は大学教授だが、戦争を煽ったというので教職を追放され、村長の家で居候している。次男は結婚して5日目に出陣したまま戻らない。三男は大学に進んだが左翼思想に染まり、満州の戦場へ送られ、無事に戻ってきた。

 そんな村長の家の3人の女性が主人公と、舞台が終る頃になって分かった。村長の出戻りの姉は下女のように下働きに務めている。村長の妻は村一番の美人だったので村長が無理やり嫁にしたが、小作人の娘で字が書けない。村長に妾がいても気にしないし、世話好きで困っている者を放っておけない。次男の嫁はそんな母と一緒に、働き手の男がいない家で朝早くから夜遅くまで働き続けている。次男の葬儀の日、三男は次男の嫁と駆け落ちして東京へ向かうつもりでいたが、彼女は家を出なかった。

 地下工場建設のために連れてこられた朝鮮人にはわずかだが給与は払われたこと、建設会社から支払われた食料費などを村長らがネコババしていたこと、満州から引き上げてきた開拓団にあてがわれた土地は標高の高い美ヶ原で、開拓には向かなかったこと、いろんな事情と矛盾が出てくる。ええ、それで何が言いたいのか、何を伝えたいのか、私はイライラしながら舞台を眺めていたが、「今日、相生山を1万5千歩、歩いて来た」と話していた私の隣の女性は初めから終りまでずぅーと眠っていた。

 戦後70年の今年、名演で上演するものは戦争時代が多い。戦争が悲惨なこと、戦争はダメとは誰も分かっている。けれども、「自分の国は自分で守ろう」と言われると黙ってしまう。「強い国になれば、戦争の抑止になる」と言われると、70年前のことはもう遠い昔のことになってしまう。何かが足りない、何かが。

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祈れば通じる

2015年05月13日 19時01分42秒 | Weblog

 そら!祈れば通じる!願えば叶う。猛烈な台風と言われていたが、雨は降り続いたのに風はなかった。我が家のバラは被害も少なかった。今日は朝から、チューリップの終わった鉢をひっくり返し残っている根を取り除き、サルビアを植えるための作業を続けた。同じ姿勢を続けていると腰が痛い。起き上がろうとすると腰が痛いのでヘンな格好になる。年寄りがガニマタで歩く時と全く同じだ。自分も年寄りなのに、「ああーいやだ」と思ってしまう。

 ネパールで再び地震が起きと思ったら、今朝は東北でまた地震だ。地球がどんな風にして生まれたのか分からないが、定説では宇宙のチリがぶつかって球になったと言われていて、誕生して静止したわけではなく、活動し続けているという。ただ、それは時間では計り知れないくらい長いものらしい。小学校の頃、学習事典に大陸移動説なるものが載っていた。アメリカ大陸はアフリカ大陸から分かれて移動した、それは二つの大陸をくっつけてみれば分かると図が載っていた。

 インド半島がアジア大陸にぶつかり、その隆起でエベレスト山脈が生まれたともいう。伊豆半島が日本列島にぶつかった時に箱根ができたとも。地球を覆ういくつかのプレートは今も動いていて、そのぶつかり合うところで地震が発生する。私が生きている間に大規模な地殻変動が生まれるとは考えられないが、しかし、いつかそういう時が来るのだろう。地球に水が生まれ、そのおかげで生命体が誕生し、そこから長い時間をかけて人間が生まれた。1つの生命体からいくつもの植物や動物が生まれていったわけだが、進化は確かにそうだったのだろうと思いながら、本当にそうなのかとも思う。

 生き物が進化してきたなら、なぜ進化しない生き物ができてしまうのか。今なお、進化しているのか、それともこれで完成なのか、どうもよく分からない。最先端の科学者なのにキリスト教を信じる人がいるというのもうなずける。その人は、神様が決めたことを解読するのが科学の役割と考えているのだろう。そうなると、どこまでいっても未知の世界がさらに広がっていくことになるのだろう。

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私の願いが届きますように

2015年05月12日 18時33分25秒 | Weblog

 午後5時、雨は降っているけれど風はない。雨の降り方も激しくはないが、午後3時くらいから止むことの降り方になってきた。台風が接近している。5月に本土までやってくる台風は珍しい。ルーフバルコニーのもので飛ばされそうなものは風の当たらない隅に移動しておいた。満開になってきたバラは置き場所を変えることも出来ず、「どうか被害が大きくありませんように」と祈るばかりだ。

 そう、人生はいつも祈るばかりだ。努力をした上で最後に祈るならば、神様もお考えになるだろうけれど、一方的に「お願いします」と祈られても助けようがないだろう。それでも勝手なもので、「どうか願いが叶いますように」と祈ってしまう。願いの内容は全く身勝手な「欲」に過ぎない。「明日は天気になりますように」。天気がよいと都合のよいことがあるのだろうが、こんなことなら神様もお聞きになるかも知れない。

 「宝クジが当たりますように」とか、「素敵な出会いがありますように」などは、本人も高望みと分かっているから神様も気まぐれでかまわない。神様が困るのはきっと、本人も真剣でそれなりに努力もしているような、昇進とか、恋の成就とか、プレゼンの成功とか、相手があるものだろう。真剣も努力も基準があるわけではないし、自分の中のパーセンテージでしかないが、他人がどう評価するかは別のことだ。

 私は全くご都合主義で、「今あるのは神様のおかげ」と考えるようにしている。私が誰かに出会ったのも、誰かを好きになったのも、成功した時も失敗した時も、うまくいってもいかなくても、これはみんな神様が私のために決めたことと思っている。いかにも信心深いような振る舞いだが、考えてみれば誠に身勝手で罰当たりな祈りでしかない。まあ、そうやって生きてきたのだから今も、神様に私の願いが届きますようにと祈っている。

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私が一番年上だった

2015年05月11日 18時23分16秒 | Weblog

 昨日も今日も、まるで台風の時のような強い風が吹いている。せっかく咲いたバラが可哀相に枝ごと折られてしまった。若葉はもちろん咲いた花も風に痛めつけられて無残な姿になっている。鉢を大きめな物に換えたので、倒れるものはなかったけれど、見ていると根ごと風に持っていかれそうだ。お願いだ。風よ、止んでくれ。なぜ、そんなに痛めつける。バラはただ咲いているだけなのに、罰を受けなければならないのか。

 友だちの娘さんが退院してきた。腸閉塞で入院していたが、開腹手術はしなくてもよかった。2年前、急激な貧血に襲われ、子宮筋腫の摘出手術を受けたが、そのための後遺症らしい。そんなことってあるのだろうか?いずれにしても元気になってくれてよかった。彼女は私たちジジババには女神のような存在で、何かと頼りにしてしまう。子どもの頃から大人たちの宴席に付き合っていたこともあり、彼女もジジババを避けずにいてくれる。

 まだ、離乳食のような食事で、お酒は飲めないしコーヒーもダメらしい。「早く、皆さんとお酒が飲めるようになりたい」と彼女も言うけれど、今は無理しない方がいい。ジジババの歳まで生きてもまだこれまでの倍はある。人生ゆっくりのんびり楽しい方がいい。昨日の姪っ子の結婚式で、司会役の女性がふたりにこれからの希望を尋ねると、「いつも笑顔でいて欲しい」「いつまでも楽しく仲良くやっていきたい」と答えていた。結婚するまでは気にならないことが、生活を共にすると目についてくる。けれど、「我慢だよ」とは誰も言わなかった。

 友だちが一杯参加してくれた「人前結婚式」で、披露宴もふたりがいろいろ考えた「今風」で行なわれた。おそらく結婚のふたりが一番喜んでいたのではないだろうか。義弟はビールを持って会場内をくまなく回っていた。どこまでもサービス精神の旺盛というか、父親譲りの気配りの人だ。新婦は妹とふたり姉妹、新郎は姉と双子の兄と年子3人、姉妹が固い絆で結ばれていたことを知り、3人年子が恥らいながらも互いにカバーしている姿を見た。

 笑いながら泣き、泣きながら笑った。そして、会場の中で私が一番年上だと気付いた。

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いくつになっても

2015年05月09日 17時54分51秒 | Weblog

 小学校の運動場でグランドゴルフの大会が行なわれていた。時々、「キャァー、キャァー」という奇声が聞こえてくる。ミスをしたのか、それとも上出来だったのか、分からないが甘えたような声だ。いくつになっても可愛い女性はいるものだ。「なによ、男に媚売って!」とやっかむ女性たちも大勢いるだろう。男たちはといえば、「オーバーなジェスチャーだな」と思いつつも優しく見つめている。

 どんなに年齢を重ねても、女の可愛い仕草を男たちは嫌だとは思わない。女は男に、男は女に、観てもらおうとするのは自然のことだろう。男は女の顔を見る、身体を見る。そして仕草や行ないを見る。話し方や声に聞き入る。何を話題にするのか、どんな性格なのかと気に掛ける。女だって同じだろう。男が自分を気に入っているかと気にする。さらに女は男の生活力も計ろうとする。そうして男と女は付き合っていく。

 異性に気に入られたいということに年齢は関係ない。「いい歳をして」と言うのは嫉妬である。いくつになっても可愛い方がもてるし、いくつになっても頼もしい方がもてる。「いい歳だから、もうそんなのは関係ない」などと軽々しく言うものではない。人は死ぬまで、男は男であり、女は女なのだから、素直に人を惹きつける方がいい。運動場で奇声を上げていた女性はきっと無意識に叫んでしまったのだろう。

 先日、銀行の前で帰宅する女子大生にチラシを渡している女性に出会った。名古屋を中心にコンパニオンの派遣を行なっている人で、古くからの知人である。「どうしたの?」と聞くと、「学生が集まらないから困ってるのよ」と言う。需要はいっぱいあるのに女の子がいないので、帰宅する女子大生を待っていると話す。確か私と同じ歳だったと思うが、そういう世界で働いてきただけに色白でシワもないが、おばあさんであることは女子大生でも分かるだろう。

 見ていると、チラシを見て興味を持ったなと思うと、すぐ声をかける。あるいはスラリとして人目を惹くような女子大生が来ると、彼女の方から寄って行く。「仕事は2時間だけ。とっても割りのいい仕事よ」と言いながら、コンパニオンの写真を見せる。女子大生のコンパニオンは中国だけでなく、日本でもそんなに需要があるのか。男たちは美しい女性にどうしても惹かれてしまう。男のコンパニオンってあるのかな?

 明日は姪っ子の結婚式のためブログは休みます。

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大人になると仲良くなれないのはなぜ?

2015年05月08日 17時42分46秒 | Weblog

 バラがたくさん咲いてきた。昨年、鉢の土を入れ替えた時に肥料をたっぷり入れたので、今年のバラは花が大きい。満開は来週だろうか。甘い匂いのものもあり、午前中は風がなければうっとりと花を眺めて優しい気持ちになれる。先日、遊びに来てくれたトルコ人の家族も咲き始めたバラに堪能してくれた。8歳の長女と5歳の次女は、バラの花に顔を近づけて「ハンドクリームの匂いがする」とはしゃいでいた。3歳の長男は抜かれてしまったチューリップの鉢に残っていた小さな球根を見つけ、他の鉢にもないかと土を掘り返していた。

 子どもは探究心が旺盛だ。長女は「魚が好き」と言う。家で「ザリガニ、金魚、メダカを飼っている」と話す。「ザリガニは2回も脱皮したよ」とちょっと得意そうだ。「脱皮したところを見たの?」と聞くと、「見たことはないけど、殻が落ちてた」と言う。さらに「金魚は水面のところで口をプクプクやるけど、メダカはしないよ」とも言う。魚の動きをよく観察している。居間で話していた時、下を向いてクレヨンを動かしているので、「なぁーに?」と聞くと隠してしまったが、完成したものは見せてくれたが、観察する目は本物だなと思った。それは私たち夫婦の肖像画で、なかなかよく描けている。額に入れて記念にしておこう。

 孫を見ていても、どの子も天才のように思う。カミさんの父親が孫を見て、「この子は天才だな」と言っていた気持ちがよくわかる。自分の子どもを育てている時はそういう余裕がなかったけれど、今はどの子を見ても天才だと思う。私の妹の娘の子も古代生物の名前を全て覚えていた。学校では問題児のようだけれど、自分から進んで学習塾に通うようになったという。日本ではまだ学歴が優先されるのだろうか。成績は単なるひとつの場面の優劣に過ぎない。大学の入試も学力試験だけでなく、隠されたものを見ようとするようになった。

 イギリスの総選挙でキャメロン党首率いる保守党が勝利したようだ。保守党が大敗し、2大政党政治が大きく変わると言われていたけれど、結果的には現状維持になりそうだ。いや、EUに留まるか否かの国民投票が行なわれ、EU離脱となれば諸国からの移民が排斥され、国と国との対立が深まるだろう。ヨーロッパは多様な民族が同居しているが、同じ白人なのにどうして仲良くできないのか。アジアも同じ黄色人なのに仲良くできない。子どもたちは直ぐに仲良しになれるのに、大人になるとなぜ仲良しになれないのだろう。

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自分が変わっていく

2015年05月07日 18時41分59秒 | Weblog

 「連休が終りましたね」と話しかけられた。毎日が連休の私にはその実感がない。時々、曜日さえも忘れている。朝、ルーフバルコニーで水遣りをしていると、昨日までは少年野球やサッカーのチームが練習をしていた小学校のグランドから、元気な子どもたちの声が聞こえてくる。今日から学校が始まった。校庭の一角に座り込み、先生の話を聞いている子どもたちは黄色い帽子を被っている。「地域を知る」授業に出かけるための注意を聞いているのだろう。

 小学校5年になるまでの私は学校が好きではなかった。2年生になる時に、住まいが祖父母のいる材木屋に移った。父は学校が変わるのを気の毒に思ったのか、そのまま学区外から通うようにした。学区が違うから同じ学校の子どもと遊ぶことはなかった。下校は今のように集団ではなかったから、ひとり気ままにあちらこちらと見て回って帰った。それが一番の楽しみで、本屋さんをはしごしたり、うどんを作る店を見ていたり、酒造会社や鍛冶屋、医者の家のバラ園、何か面白いものはないかと探して回った。

 「おとなしい。積極性が欲しい」と通知表に書かれていたし、3・4年の時に腕白坊主に使われていたことがとても悔しかった。自分を変えたいと思うようになり、積極性がないのは自信がないためと気付き、予習もするようになった。5年の時、多分5月頃だろう。男子が集まって、みんなで学校をサボった。この事件が私を大人にしてくれた。私は何となくみんなと一緒に行動していたけれど、次第に何人かが抜けていった。みんなでストライキと気勢をあげて学校を出たのに、裏切る者がいることを知った。

 6年の時は児童会長に立候補した。電気機関車の運転席に乗ったことがあった。それを児童集会で報告したが、「自分の目で見たこと、自分の耳で聞いたことをお話します」と言ったら、児童会の担当の先生に褒められた。祖母の葬儀も私が大人になる契機だった。葬儀は隣近所の人たちが家に来て手伝ってくれるのだが、おばさんたちは何か楽しそうだった。祖母が死んでもこの人たちは悲しくはないのだ。葬儀は儀式、仏教は何なのかと思った。そんな時、図書室で『アンクル・トムの小屋』を見つけて読んだ。どんどん自分が変わっていった。

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新しい孫ができた

2015年05月06日 18時00分12秒 | Weblog

 連休最後の今日、念願だった家族がやってきた。10年前、日本の女性と結婚したトルコの青年の父親代わりを務め、ふたりの結婚披露パーティを開いた。私が日本に来ている外国人に日本語を教えていた時、何人かのトルコの青年が教室に来ていた。仕事が終ってから通って来るのだから、学ぶ気持ちがなければ続かない。私たちも役に立ちたいというだけでやっていたから無報酬だった。

 そんな中で、熱心に勉強していた青年の一人が「今度、結婚します」と言う。トルコから両親を呼ぶにはお金がかかる。かといって、女性の両親は娘の結婚を祝いたいだろう。それならこちらで結婚披露宴をやろう、花嫁の両親や友だちも呼んで盛大なパーティを開こう、そんな計画が出来上がった。花嫁の両親がみえるのに花婿の親がいないのではバランスが悪い。それなら私が花婿の日本の父になろうということになった。

 パーティがどんな風に行なわれたのか覚えていないが、羊の肉を焼くケバブがあるかと思えば散らし寿司があり、トルコ楽器で歌ったり踊ったり、日本人グループも合唱したり、国際色豊かな印象は残っている。花婿の友だちがトルコの伝統的な踊りを披露してくれたけれど、それはコザックの踊りに似た力強さがあった。トルコの青年たちはみんな陽気で踊りも上手だった。

 それ以後も、私たちのグループは外国人に日本語を教えてきたが、トルコ人はいなくなりベトナムやインドネシアから働きに来ている人に変わっていった。年賀状のやり取りは続いていたから、長女が生まれ、次女が生まれ、長男が生まれたことは分かっていたけれど、どんな風に暮らしているのかと思っていた。今年の1月、彼のカミさんから手紙が届いた。「年賀状には描ききれない思いをお伝えしたくて、ペンをとりました」とあり、言葉や風習の違いに悩んでいる様子も垣間見える。

 そして、「追伸 今年は家族そろって皆さんとお会いできたらいいなと思います」とある。手紙にメールアドレスが添えられていたので、メールしてみた。春休みに遊びに来るかと期待していたけれど、途切れてしまっていた。先日、メールが来て「ご無沙汰をお許しください」とあり、彼と一緒に働いていた弟が心不全のため亡くなったこと、そのショックで連絡が遅れたとあった。「連休中はいつでもいいよ」と返信し、今日の再会となった。

 年賀状で見ているので、子どもたちは孫のようだ。そう、ここはパパの日本のババ(父親)の家、いつでも遊びに来ていい。たった2時間ほどの滞在だったけれど、私は新しい孫ができたような気持ちだった。

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