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友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

私の願いが届きますように

2015年05月12日 18時33分25秒 | Weblog

 午後5時、雨は降っているけれど風はない。雨の降り方も激しくはないが、午後3時くらいから止むことの降り方になってきた。台風が接近している。5月に本土までやってくる台風は珍しい。ルーフバルコニーのもので飛ばされそうなものは風の当たらない隅に移動しておいた。満開になってきたバラは置き場所を変えることも出来ず、「どうか被害が大きくありませんように」と祈るばかりだ。

 そう、人生はいつも祈るばかりだ。努力をした上で最後に祈るならば、神様もお考えになるだろうけれど、一方的に「お願いします」と祈られても助けようがないだろう。それでも勝手なもので、「どうか願いが叶いますように」と祈ってしまう。願いの内容は全く身勝手な「欲」に過ぎない。「明日は天気になりますように」。天気がよいと都合のよいことがあるのだろうが、こんなことなら神様もお聞きになるかも知れない。

 「宝クジが当たりますように」とか、「素敵な出会いがありますように」などは、本人も高望みと分かっているから神様も気まぐれでかまわない。神様が困るのはきっと、本人も真剣でそれなりに努力もしているような、昇進とか、恋の成就とか、プレゼンの成功とか、相手があるものだろう。真剣も努力も基準があるわけではないし、自分の中のパーセンテージでしかないが、他人がどう評価するかは別のことだ。

 私は全くご都合主義で、「今あるのは神様のおかげ」と考えるようにしている。私が誰かに出会ったのも、誰かを好きになったのも、成功した時も失敗した時も、うまくいってもいかなくても、これはみんな神様が私のために決めたことと思っている。いかにも信心深いような振る舞いだが、考えてみれば誠に身勝手で罰当たりな祈りでしかない。まあ、そうやって生きてきたのだから今も、神様に私の願いが届きますようにと祈っている。

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