連休最後の今日、念願だった家族がやってきた。10年前、日本の女性と結婚したトルコの青年の父親代わりを務め、ふたりの結婚披露パーティを開いた。私が日本に来ている外国人に日本語を教えていた時、何人かのトルコの青年が教室に来ていた。仕事が終ってから通って来るのだから、学ぶ気持ちがなければ続かない。私たちも役に立ちたいというだけでやっていたから無報酬だった。
そんな中で、熱心に勉強していた青年の一人が「今度、結婚します」と言う。トルコから両親を呼ぶにはお金がかかる。かといって、女性の両親は娘の結婚を祝いたいだろう。それならこちらで結婚披露宴をやろう、花嫁の両親や友だちも呼んで盛大なパーティを開こう、そんな計画が出来上がった。花嫁の両親がみえるのに花婿の親がいないのではバランスが悪い。それなら私が花婿の日本の父になろうということになった。
パーティがどんな風に行なわれたのか覚えていないが、羊の肉を焼くケバブがあるかと思えば散らし寿司があり、トルコ楽器で歌ったり踊ったり、日本人グループも合唱したり、国際色豊かな印象は残っている。花婿の友だちがトルコの伝統的な踊りを披露してくれたけれど、それはコザックの踊りに似た力強さがあった。トルコの青年たちはみんな陽気で踊りも上手だった。
それ以後も、私たちのグループは外国人に日本語を教えてきたが、トルコ人はいなくなりベトナムやインドネシアから働きに来ている人に変わっていった。年賀状のやり取りは続いていたから、長女が生まれ、次女が生まれ、長男が生まれたことは分かっていたけれど、どんな風に暮らしているのかと思っていた。今年の1月、彼のカミさんから手紙が届いた。「年賀状には描ききれない思いをお伝えしたくて、ペンをとりました」とあり、言葉や風習の違いに悩んでいる様子も垣間見える。
そして、「追伸 今年は家族そろって皆さんとお会いできたらいいなと思います」とある。手紙にメールアドレスが添えられていたので、メールしてみた。春休みに遊びに来るかと期待していたけれど、途切れてしまっていた。先日、メールが来て「ご無沙汰をお許しください」とあり、彼と一緒に働いていた弟が心不全のため亡くなったこと、そのショックで連絡が遅れたとあった。「連休中はいつでもいいよ」と返信し、今日の再会となった。
年賀状で見ているので、子どもたちは孫のようだ。そう、ここはパパの日本のババ(父親)の家、いつでも遊びに来ていい。たった2時間ほどの滞在だったけれど、私は新しい孫ができたような気持ちだった。