友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夢の中へ

2010年07月13日 21時19分02秒 | Weblog
 雨がよく降っている。おかげで、井戸掘りは出来ないし、鉢植えの木々や草花に水をやらなくてもいい。犬好きな人に聞いたら、こういう雨の日は犬も散歩に行くのを嫌がるようだ。雨音を聞きながら本を読んでいたら、いつの間にか眠ってしまった。夏目漱石なら、夢の話を10編も書けるのだろうけれど、私は夢を見てもすぐに忘れてしまう。最近は夢も見ないので、これは健康な証拠なのか、不幸なことなのかと考えてしまう。

 私が草花に水をやっていると、大きなヒヨドリがやってきて、ランタナの実を啄ばみ始めた。そのうちにパッと飛び立ち、青い空へと向かっていったが、その時に種が1粒落ちてきた。そこは丁度、これから植えつけようとしてきれいに整えた鉢の土の上だった。おや、その種は見る見るうちに苗木になり、そしてなぜか分からないけれど、クリーム色の花を咲かせるバラになった。そのバラの向こうに若い女性がいた。色白で細い目と細い首をしていた。小柄だがスタイルはよく、手足が細く長かった。

 「どうされましたか?」。私が声をかけると、その女性は相談に来たという。息子は大学を卒業して今は会社員だけれど、どうしても市会議員になりたいと言う、どうしたらよいでしょうというものだった。「どうするかは息子さんが決めるでしょう。会社を辞めて市会議員になったら困るのですか?当選できるか否か?それは本人次第ですよ」と答える。「どういう議員になりたいか、そのためにどういう選挙をするのか、息子さん自身が来られれば、私の知っていることは全てお話します」と話す。

 安心されたのか、少し柔和な顔になった。それがまた突然、厳しい顔つきになり、本当はダンナの暴力のため離婚したいのだと話し始めた。「そういう話なら、私よりも力になってくれる弁護士を紹介しましょう」と言うと、ぜひお願いしたいという。息子は政治家を目指し、お母さんは離婚か、これは大変だな。そう思っていると、またヒヨドリがやってきてピィーピィーと鳴いたので、窓の外を見た。すると目の前の若い女性はどこにもいない。そういえば、彼女はどこから来たのだろう。どこから来たのか分からないのだから、どこへ消えたのかも分からないのは当然かと納得した。

 話の中身、言葉の一つひとつは何も覚えていないのに、話し方はよく覚えているような気がした。それでもじゃあどんな口調だったかと思い出そうとするのだが、全く復唱できない。それで唯一覚えているのは、白い細い手足だった。手の形も足の形も美術室にある石膏ようにきれいな形だった。もし、あの時、私が自分の欲望に忠実であったなら、きっとあの手足に触っていたであろう。どうして勇気を出して、触ってみなかったのかと後悔した。

 触れてしまえば、それはおそらく現実の世界へ引き戻される。けれどもただ、遠くで眺めていたから、その女性は息子やダンナの話をしてくれたのだろう。夢と夢想と現実と、人はどこにいるのだろう。
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