中学時代からの友だちが、「お酒を飲んだらブログは書かない」と言っていた。やっぱり真面目な男だなあと思ったけれど、自分もそうしようとは思わなかった。そんなことを決意したなら、私はこのブログをほとんど毎日、立ち上げられなくなってしまう。晩ご飯前に書き上げてしまえばよいことなのだが、それがどうしてなのか、できない。日記は夜、一日が終わって、思いついたことを書き留めておく、そういうクセがついてしまっている。
昨夜はほぼ半分以上、食事前に書き上げてあった。義弟が送ってくれた白ワインが冷蔵庫にあったので、ふたりで飲みながら食事をした。私はどちらか言えば、お酒を楽しみながら食事をする方なので、食事はつまみになってしまう。そうなると、だらだらとお酒を飲み、ご飯は最後に少しあればいい。昔は最後に必ずご飯を食べたのに、この頃はなくてもかまわないようになってきた。しかしカミさんは、お酒は食事に必要な「食前酒」なので、欠かせないけれど、あくまで食事が中心である。
初めはテレビのことなど話し合いながら食事をしているけれど、カミさんはご飯を食べ、私はお酒を飲む。そうこうしているうちに、カミさんは無口になり、何時しか居眠りを始める。私は仕方なくまたお代わりをする。7時半頃から食べ始めて、そろそろ席を立たないとブログができないぞと思い、10時頃にはパソコンの前に移動する。そうして昨夜も、長々と1300文字ばかりを書き上げ、これでよしとばかりに、初めから読み直していた。そのはずだった。気がついたら眠っていた。時計を見たら11時を過ぎていた。1時間もパソコンの前に座っていたのか。そう思いながら、操作していたら、突然原稿が消えてしまった。
上書き保存を行なったはずだったのに、書き上げた原稿に白紙を上書き保存してしまったのだ。慌てていろいろやってみたけれど後の祭りである。悔しいけれど、私の能力ではどうしようもない。酔いがいっぺんに醒めてしまった。だから、友だちの「酔ってブログはしない」を教訓にしなくてはいけないのに、全くダメだ。パソコンに精通している友だちは「メモからやるといい」といつも言うけれど、メモってどこにあるのだろうという程度なのだ。全く困ったものだ。これで2回目だ。失敗を教訓化できない人間は成長しないというが、本当だなと思う。
失ってみると、実はたいしたものではないのかも知れないものが、本当は凄いできの良い文章であったようにさえ思えてくる。失くして初めて、人は失くしたものの大切さを知るというけれど、これだけは真実のようだ。昨夜は七夕である。1年に1度しか会えない男女のように、1年に1度しか書けないような傑作だったことにしておこう。そんな風に思わないとまた失敗を繰り返すような気がする。でも逆にその方が自分らしいかと、自己弁護も忘れないのだからおかしなものだ。今日はご飯前に出来上がった。やればできるじゃないか。
昨夜はほぼ半分以上、食事前に書き上げてあった。義弟が送ってくれた白ワインが冷蔵庫にあったので、ふたりで飲みながら食事をした。私はどちらか言えば、お酒を楽しみながら食事をする方なので、食事はつまみになってしまう。そうなると、だらだらとお酒を飲み、ご飯は最後に少しあればいい。昔は最後に必ずご飯を食べたのに、この頃はなくてもかまわないようになってきた。しかしカミさんは、お酒は食事に必要な「食前酒」なので、欠かせないけれど、あくまで食事が中心である。
初めはテレビのことなど話し合いながら食事をしているけれど、カミさんはご飯を食べ、私はお酒を飲む。そうこうしているうちに、カミさんは無口になり、何時しか居眠りを始める。私は仕方なくまたお代わりをする。7時半頃から食べ始めて、そろそろ席を立たないとブログができないぞと思い、10時頃にはパソコンの前に移動する。そうして昨夜も、長々と1300文字ばかりを書き上げ、これでよしとばかりに、初めから読み直していた。そのはずだった。気がついたら眠っていた。時計を見たら11時を過ぎていた。1時間もパソコンの前に座っていたのか。そう思いながら、操作していたら、突然原稿が消えてしまった。
上書き保存を行なったはずだったのに、書き上げた原稿に白紙を上書き保存してしまったのだ。慌てていろいろやってみたけれど後の祭りである。悔しいけれど、私の能力ではどうしようもない。酔いがいっぺんに醒めてしまった。だから、友だちの「酔ってブログはしない」を教訓にしなくてはいけないのに、全くダメだ。パソコンに精通している友だちは「メモからやるといい」といつも言うけれど、メモってどこにあるのだろうという程度なのだ。全く困ったものだ。これで2回目だ。失敗を教訓化できない人間は成長しないというが、本当だなと思う。
失ってみると、実はたいしたものではないのかも知れないものが、本当は凄いできの良い文章であったようにさえ思えてくる。失くして初めて、人は失くしたものの大切さを知るというけれど、これだけは真実のようだ。昨夜は七夕である。1年に1度しか会えない男女のように、1年に1度しか書けないような傑作だったことにしておこう。そんな風に思わないとまた失敗を繰り返すような気がする。でも逆にその方が自分らしいかと、自己弁護も忘れないのだからおかしなものだ。今日はご飯前に出来上がった。やればできるじゃないか。