彼岸花の開花が遅れているのだろうか。どんなに天候不順であっても、彼岸の頃には必ず咲いていたのに、いつも見かける場所でまだ見ていない。彼岸花は球根なので、親球の周りに子球が出来て増える。それなのに、どうしてあんなによく目立つ花を咲かせて、虫に蜜を与えるのだろう。不思議だ。
不思議といえば、思議に否定の不がついているから、「考えられない」ということになる。植物の研究者なら、妖艶とも思える花を咲かせる意図が分かっているのだろうが、私は理解できていない。花が咲けば虫が寄ってくる。しかし、虫の中には花が咲く前に、蕾を食べてしまうものもある。葉を食べ尽くして、枯らしてしまうものもある。
自然界のことだからと寛容を自負している私も、蕾を食べられたり、枯らされたりする虫を見つけるとすぐ駆除してしまう。自分が愛おしく思うものには優しくできるのに、虫だって生きていくために食い散らかしているのに、嫌な奴だと思ってしまうのはどういう感情なのだろう。釈迦はそういう自分からの脱却を目指したのだろうか。
私たちが井戸掘りで世話になっている手押しポンプを製造している会社から、「社長が亡くなった」と電話が入った。私よりも10歳ほど若い、話好きな社長で、手押しポンプの普及に力を注いでいたのに残念だ。死は年齢順に来る訳ではないし、どんなに元気で情熱的に生きている人にも突然やって来る。
彼岸花のことを書き出した時は、もっと別なことを思い描いていたのに、まとまりのない方向へと進んでしまった。今また、別の人から電話が入り、ますます時間ばかりが過ぎていく。親子が殺傷されたり、小1の女の子が行方不明になったり、嫌な事件ばかりが続く。神様、いったいこれはなぜなのと問いたくなる。
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