友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

列車の旅は楽しいが‥

2024年07月27日 17時09分49秒 | Weblog

 長野へは、自分で運転して行きたくなかったので、JRで行った。カミさんがいろいろ調べてくれたので、彼女の計画に従った。特急「しなの」の指定席は売り切れていたが、係りの女性が、「名古屋が始発ですから、並ばれれば自由席で座れますよ」と教えてくれた。

 確かにその通りで、ふたりで並んで座ることが出来た。車窓から見える景色は、なぜか懐かしい気がした。昨年9月末に、銀山温泉にへ友だちと行った時、仙台から観光バスで東北の山を見て回った。山が深いという感じは無かったが、どこも樹木で覆われていた。

 中央線を行く列車から見える山々は高く、山のすそ野が列車にまで迫っていた。日本は緑豊かな国だ。山に杉や檜を植え、平な土地は農地にして、米や野菜を育ててきた。しかし今、東北も信州も山の手入れは行き届かず、農地は荒れて雑草が生い茂っている。

 信州米の生産地の看板がある地域も、蒲の穂が目立つ田んぼが幾つもあった。山には杉や檜に交じって、枯れた樹木の列が目に付いた。秋田や山形で大雨による洪水や土砂崩れが発生しているが、やはり住んで生活している人が少なくなっているからだろう。

 人は便利で住みやすい所へ移っていく。中央線の沿線も、工場がある平地には家が建ち、街が出来ている。日本の人口は減っているというが、それでも都市はまだいい、農業や林業しかない地域は人口減少を食い止める手立てがない。

 朝、9時発の特急「しなの」はリックを背負った山歩きの人たちで混んでいた。帰りは長野発午後5時の、特急の指定席で買うことが出来た。行きは登りだったのに3時間を切り、帰りは下りなのに3時間7分だった。どうしてなんだろうと考えたが、中央線はまだ単線が多く、すれ違うためには複線のところか駅で行っていたから、上りが優先されているのだろう。

 列車の旅は楽しい。カミさんは「帰りは、車内で駅弁にビール」と決めていたが、私は食べたくも飲みたくも無かったので、「要らない」と言ったら、「どうして!」と叱られた。家でゆっくりワインを飲みたかった。今晩はマンションの夏祭り、カミさんは甲斐甲斐しく、「ビール買って来るから」と出かけて行った。

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