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『画家たちと戦争』展を観て

2015年08月28日 17時44分04秒 | Weblog

 名古屋市美術館で開かれている『画家たちと戦争』を観て来た。戦争が終わる1945年、その前と後で、どのように絵が変わったかに焦点を当てた展覧会である。戦争に突入すると、物書きも絵描きも戦意高揚のために動員された。朝のNHK連続ドラマ『花子とアン』でも、「物書きなら戦地に行ってお国のために尽くすべき」と主張する女流作家がいたが、画家たちも同じだった。

 子どもの頃、我が家に45×30×5くらいのとても立派な画集があった。中でもよく覚えているのは藤田嗣二と宮本三郎の絵だった。作家の名前を当時は知らなかったが、画集は分厚くてどの作品も精密で力強いものだった記憶はある。私が中学生になる頃には、家に無かったから父が処分してしまったのだろう。どういういきさつで我が家にあったのか知らないが、今から思えば貴重な資料である。

 私の覚えていた藤田嗣二の絵は戦車に向かって手榴弾を投げ込む兵士を描いたものだが、展示されていたのは「シンガポール最後の日」というものだった。宮本三郎の作品は記憶にあったとおりで、山下司令官がイギリスの将校に降伏文書にサインさせる場面だった。戦前のシュールリアリズム作家は治安維持法で検挙されたが、戦争に協力し絵を描いた者もいた。そして戦争が終わると「戦争協力者」と批判されたから、戦前の作品を燃やしてしまった人もいた。

 北脇昇という作家がいる。代表作といわれる『クォ・ヴァディス』が展示されていた。1949年に描かれたものだ。右肩に袋を背負い、左脇に本を抱えた粗末な服を着た男が後ろ向きに立っている。彼の眼の先は広い地平線で、足元の右に道標があり、左手には赤旗を掲げてデモ行進する人々が小さく見える。右手の奥は暗雲が垂れ込めている。足元の左に大きな蝸牛の殻があるという極めて暗示的な絵だ。「クォ・ヴァディス」とは何か気になった。ラテン語で「どこへ行くのか」という意味と解説を読み、なるほどと思った。

 キリストの弟子のペトロはローマで熱心に布教していたが、迫害は激しくなり周囲の説得を受け入れローマを離れることになった。その途中でキリストに出会った。驚いたペトロは「どこへ行かれるのですか?」と尋ねた。キリストは「私がローマに行って、今一度十字架に架かろう」と言った。ペトロは迷うことなく道を引き返し、十字架に架けられ殉教した。「どこへ行くのか?」は北脇自身への問いであり、私への問いだった。

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