友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

夏目漱石の『こころ』その2

2009年07月29日 21時43分03秒 | Weblog
 夏目漱石の『こころ』には3人の男が登場する。物語の中心となるのは「先生」で、先生は人嫌いで、凄い勉強家で思想家なのだが就職はせずに奥さんと女中さんと3人で暮らしている。先生を慕う学生が、先生の家に通うようになって、先生がどういう人物かが明らかになっていく。「(自分は)妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでやしない」と学生に告白するが、苦しんでいる様子がよくわからない。

 漱石が乃木大将の死に賞賛といかなくても、強い関心を持ったことは小説の中でも明らかだ。先生は「敵に旗を奪られて以来、申し訳のために死のう死のうと思ってついに今日まで生きてきたという意味の句を見た時、私は思わず指を折って、乃木さんが死ぬ覚悟をしながら生きながらえて来た年月を勘定して見ました。(略)乃木さんはこの35年の間死のう死のうと思って、死ぬ機会を待っていたらしいのです。私はそういう人に取って、生きていた35年が苦しいか、また刀を腹へ突き立てた一刹那が苦しいか、何方が苦しいだろうと考えました」と言う。

 漱石は江戸牛込馬場下横町の名主の5男に生まれている。名主は士族ではないが、裁判の権限を持つ権力者であった。漱石はそんな江戸っ子の粋を感じながら育ったのだろう。だから武士が持っていた価値観や潔さを人の範としていたのではないだろうか。けれども、現実の人間は理想の鏡である武士のようには生きられない。それを漱石は西洋で見た近代で捉え返そうとしたのではないだろうか。エゴイズムと孤独な個人が『こころ』の中心課題といわれる所以だ。

 先生は親友から下宿先の娘さんが好きだと告白され、彼が相手に娘さんに告げる前に娘さんと結婚の手筈を整えてしまう。そして親友は自殺する。先の望みがなくなったことで自殺したことになっているが、もちろんそれは嘘ではないけれど、最大の原因は親友である先生に裏切られたことだろう。全くあこぎで卑怯な手口で盗られたのだから。親友の死は先生への見せ付けであろう。先生は憧れの娘さんと結婚したが、「自分も信じられない」人嫌いとなった。そしてとうとう最後に先生も自殺する。

 中学・高校時代からの友だちのブログに、私の初恋のことが書かれていた。「友だちから『あのコ、かわいいだろう?』と聞かれて、何と返事をしていいかわからず、曖昧な態度でいたが、友だちの嬉しそうな表情に、私は『コイツ、あのコが好きなんだな』と思い当たったのである」。へぇー、そんなことがあったのだと思った。彼や、今は疎遠になってしまった友だちから、好きな女の子の話を聞いたことはよくあったけれど、自分も同じように告白していたんだと知ったのだ。

 『こころ』のように、同じ人を好きになったこともあったけれど、私に何が何でも独占したい気持ちがなかったから何事にもならなかったけれど、独り占めにしたい、それが愛だ恋だと思い込んでいたなら、先生やその親友のような修羅場を迎えていたのかな?
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