友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

高校時代

2009年07月30日 22時21分31秒 | Weblog
 私の母校の高校が、夏の高校野球の県大会決勝戦に出場した。快挙である。母校はサッカーの名門校と言われ、私が生徒会長の時も中京を破って全国大会へ出場した。大会は確か1月4日から始まったが、その前の12月、私は地元の観光バス会社にバスを手配したり、応援団がなかったので団員を募集するなど忙しかった。西宮までバスを連ねて応援にでかけたが、残念ながら初戦敗退であった。

 今日の決勝戦は3回までしか見られなかったけれど、1回を見て、ああ勝てないなと思った。サッカーの決勝戦でもそうであったけれど、相手の中京の名前に金縛りになっていた。同じ高校生で、同じように練習を重ねてきた、勝負などというものは時の運だ。そう考えることが出来るならば、もっと溌剌としたプレーができるのだろうが、相手の名前に負けて、コチコチになっていた。サッカーの試合では、たまたま先に点が取れたことが大きかったのだと思う。

 それにしても、私たちが高校生の時は、野球部は1回戦負けが多かったのではないだろうか。野球部に在籍していた友だちを何人か覚えているが、そんなにスポーツ万能というタイプではなかったような気がする。サッカー部は体のがっちりした野武士タイプが多かったのに対して、野球部はスマートで品のいい奴が多かった。多分、学校の成績も野球部の方が高かったのではないだろうか。いつの間に野球部は、県大会の決勝戦に進めるほどの強いチームになったのだろう。

 32歳の監督がテレビ画面に映し出されることがあったけれど、まるで武士のような風格があって、そういえば我が母校の校風は「質実剛健」であったと思い出し、胸が熱くなった。私は高校生の時、未熟ながらも大人だと考えていた。自分を高めることが高校へ通う目的であるのに、学校は大学受験のためにあった。全共闘の後輩たちが掲げたスローガン「自己否定」と「造反有理」につながる気持ちが私にはあった。新聞部と生徒会が、私が高校へ通う目的となっていた。予備校のような学校への批判は、しかし大学進学が目的の生徒たちに絶対的な共感とはならなかった。

 高校は私にとって青春そのものだった。あの学校で私は人間として大きくなったと思う。受験のための勉強をすることは拒否して、文学や哲学や社会学に興味の大半を費やしていた。数学や物理は自分には無縁なものと決め付けていた。一生懸命で勉強し、成績を上げることは馬鹿のやることだと決め付けていた。それなのに、数学が論理学だと気付いて慌てた。英語なんて、文字のとおりに発音できないじゃないか、言語としては劣っていると決め付けていた。大人になって、英語のつづりは文字通りに発音すればいいのだと知って、高校の時の知識を恥ずかしく思った。

 高校時代の友だちは生涯の友となった。自分にとって、高校時代は原点であった気がする。何もかも、あれから出発している。それなのに、あれから少しも成長していない。それはひとえに自分の努力が足りないのかなと思う。いや、未だに自分の課題が整理し切れていないようにも思う。熱い時代だった。
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