友々素敵

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『美は乱調にあり』を読む

2019年09月29日 17時43分36秒 | Weblog

 天気予報では、曇り時々雨となっていたけれど晴れてきている。これも台風18号の影響なのだろうか。せっかく良い天気になってきたのに、どこかへ行こうという気が起きない。何だかめんどくさいのだ。それで窓際の椅子に座って、瀬戸内寂聴さんの『美は乱調にあり』を読んでいる。

 私はアナキスト・大杉栄には興味があった。大杉の父親が津島の代々続く庄屋の息子ということも関心の理由だろう。大杉は14歳の時、「将来は元帥になる」と野心を抱いて、名古屋陸軍幼年学校に入学した。多分、根っから自由人だったからだろう、幼年学校では成績は優秀でも素行が悪く、上官に反抗し放校となった。大杉栄と伊藤野枝は関東大震災の最中に虐殺された。

 『美は乱調にあり』は、伊藤野枝を題材にしている。小説の題名も、「美は乱調にある。諧調は偽りである」という大杉の言葉の引用である。諧調は調和のとれた心地よいリズムを意味する。古い秩序とか価値とか、一切のものに逆らった人らしい言葉だ。

 私の友だちは、「寂聴さんのものはちょっと」と敬遠していた。私が小説に興味を持って読むようになったのは、ヒマになった70歳過ぎてからで、新聞の紹介記事などを見ながら、「この本を読んでみよう」と書店に出かけている。先日、古書店で瀬戸内さんの文庫が見つけて買って来た。

 けれど、その時買った『釈迦とキリスト』(ひろさちや著)の方が興味深く、読み終わるまで引き延ばした。小説はどれもそうなのかも知れないが、読みやすくてどんどん進む。実際の事件を追ったものだが、まるで本当に本人がそう思ったかのような描写がうまい。私の友だちは、寂聴さんの作品よりも、寂聴さん自身に何か抵抗があるのかも知れない。

 

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