友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

勇ましい過ぎるのは好きじゃーない

2010年09月25日 12時11分36秒 | Weblog
 さわやかな風が吹く、すがすがしい秋晴れとなった。隣の小学校は運動会だ。元気な子どもたちの声が響いてくる。昨日は半田へ井戸掘りで出かけた。朝、7時に出発し道が混んでいなかったので8時過ぎには作業を開始することができた。場所も変更し、雑木が茂っている中のわずかな平地で掘ることにした。ここは今までのところと違い、粘土層ではあったけれど水で掘り進めることができた。しかし結果は2本も掘って、それも8メートルから10メートル近くまで掘って、不成功だった。1本目は塩ビ管が地中に埋まったまま抜けず、2本目はすぐ横50センチほど離れたところで掘り進めたけれど、途中で塩ビ管のつなぎが外れてしまった。

 午前8時過ぎから開始して暗くなった午後5時30分まで、作業を続けたことも初めてのことだったが、こういう結果になるとあんなに饒舌な仲間もさすがに口が重い。名古屋高速が渋滞していたこともあって、家に帰ったのは午後8時近かった。夜のテレビニュースで、尖閣諸島で逮捕した漁船の船長を処分保留のまま釈放したと報じていた。中国漁船を発見した時、威嚇だけして追い払うのか、追い払う際に船がぶつかったりした場合はどうするのか、船長を逮捕するのか、いろんな想定に対処する「きまり」はあったのだろうかと思ってしまう。逮捕したならば次にはどういうことが起きるのか、いろいろ検討した末に行動しないと対外国の場合は重大問題になりやすい。日本は外交がヘタなのか。

 「日本は弱腰だ」と非難する人がいるけれど、私は弱腰でいいから戦争のようなことだけは避けて欲しいと思っている。余り勇ましい奴は好きじゃーない。勇ましさを誇示する奴に立派な奴はいない。本当に勇気のある人は「右の頬打たれたら、左の頬を出せる」人だ。私が嫌だなと思うのは勇ましがる人で、怖いなと思うのはみんなが同じ方向に固まることだ。「弱腰だ」と言う人がいてもいいけれど、「弱腰でもいい」と言う人を許さない雰囲気が作られていくことは耐えられない。この世の中、いろんな人がいて、いろんなことを考え、いろんな動きがある。それが人間の社会ではないだろうかと私は思う。

 今日は昼から大和塾の市民講座を開く。市民講座も今回で18回目になる。今日の講師はNPO「戦争と平和の資料館・ピースあいち」の斎藤孝さんだ。戦争を美化することは絶対に許されないが、いつか戦争も風化されていく。体験者がいなくなれば、「あったそうだ」という悲惨なだけの話になってしまう。戦争の悲惨さを語ることだけでは、戦争を阻止する力にはなれないと思う。人はみんなが同じように言い出すと、「私はそうは思わない」とはっきり言えなくなる。斎藤さんがどんな話をしてくれるのか、楽しみにしている。

 そして今晩は、夏祭りの慰労会である。健康ランドの宴会場を借りて、飲んで歌って語り合おうという。みんなは早めに行ってお風呂に入り、早々と宴会気分だけれど、私は大和塾が終わってから駆けつけるが、もっぱら皆さんの歌を聞く側だから問題はない。そして、日曜日は「風の盆」の八尾へ出かける。月曜日の夜には帰るけれど、日・月曜のブログはお休みする。
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