毎週水曜日はデートの日、今日はヒガンバナを観に行く予定だった。木曽三川公園や岐阜県海津市の津屋川堤防、大垣市の明星輪寺、などいろいろと思い巡らしていた。けれど、コロナ感染で咳が続き、前向きな気持ちになれない。
ヒガンバナは群生で観るのが一番見応えがある。昔はどこにでも咲いていた。墓の周りでよく見たからか、「不吉な花」のように言われていたし、「地獄花」の別称さえもあった。母の実家は知多半島にある農家で、墓参りに行くとその先々で咲いていた。
祖母が「ヒガンバナを植えて、ネズミやモグラの被害から守った」と教えてくれた。「食べる物が無い時は、球根を食料にしていたね」と話した。そんなひもじい思いをしたことのない私は、ヒガンバナの群生に見とれていた。
彼岸の頃になると蕾が伸びてきて、一気に花を咲かせる。ヒガンバナを「曼殊沙華」と呼ぶが、確かにその群生は極楽浄土を連想させる。今では庭に植えたり、鉢で育てたりする人もいる。マンションの中庭にも、誰が植えたのか分からないが、赤・白・黄色そしてピンクの曼殊沙華が咲いている。
「不吉な花」と、親の世代から教えられたことの無い世代が、確実に増えてきている。山口百恵さんが歌っていた『マンジュシャカ』の歌詞は思い出せないが、低い声でやり切れなく寂しい歌だった。一番印象的だったのは、「マンジュシャゲ」ではなく、「マンジュシャカ」と歌っていたことだ。
ヒガンバナが咲くと、季節はガラリと秋めいた。今の子どもたちは、どんな思いでヒガンバナを見ているのだろう。快晴の空の下、小学校の運動場では、「イチニ、イチニ」の掛け声がしていた。「やりなおし。もっと大きな声で、元気よく」と若い男性の先生が檄を飛ばす。
いよいよ運動会のシーズンか、やっぱり10月14日のスポーツの日が運動会になるのだろうか。それにしても、行進練習はいやだったなあー。なぜ、同じことを繰り返さなくてはならないのかと不満だったのに、口に出すことは無かった。
明日の午後には、友だちのお姉さん一家がアメリカからやって来る。カミさんはその準備で張り切っているが、疲れも垣間見える。日本滞在が素敵な日々になりますように。