友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

句読点とは何だったのか

2024年02月10日 17時41分38秒 | Weblog

 次女の所へ、「ワインとお菓子を贈るのでついて来て」と、カミさんに言われて出かけた。ヤマト運輸で箱を買い、次にスーパーで孫娘のための菓子を買って箱に詰め、再びヤマト運輸に行って贈る手続きをする。「この時間だとコーヒーにワッフルが付くから」と、カミさんが喫茶店に連れて行ってくれた。「じゃー、最後に本屋さんに寄って」とお願いする。

 新聞広告で見た2冊の書名を見せて、「どこにありますか?」と尋ねると、すぐに検索して、「こちらは出版元にも無いようです」と言い、もう1冊を指して、「こちらの方はお取り寄せになりますが、かなり時間がかかります」と教えてくれる。出版社はどういうつもりで、新聞に広告を出しているのかと思いながらも注文する。

 せっかく外に出て、いろいろ回ったのに、本は1冊しか注文出来ず、コーヒーとワッフルだけでは寂しい気がした。何が正しくて、何が間違っているのか、近頃はよく分からなくなった。テレビで、若い人たちは、スマホの文の最後に「。」を点けられると、威圧的と感じて嫌がると聞いてびっくりした。私は学校で、「文には句読点をつけなさい」と教えられた。

 長い文章は読みづらいので、読みやすくなるように「、」を、そして行の終わりには「。」だった。その順番から「、」は句点、「。」は読点だと思い込んでいたが、全く逆だった。それにしても若者はなぜ、「。」を威圧的だと感じてしまうのかと思い、ラインに送られてくる孫娘の文章を見て合点した。

 私はメールでもつい長い文になってしまうが、あの子たちは短い途切れ途切れの文なのだ。1行打って送り、また打つのがクセになっている。私は長々と続くので、途中に「、」が入るし、文が終るために「。」を点ける。時代が違うのだと思い知らされた。 

  「優しさにひとつ気がつく ✕でなく〇で必ず終る日本語」 俵万智

 さすがに歌人はうまく表現すると感心した。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 地域新聞づくりから離れて | トップ | 人間が作り上げて来た社会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事